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20230410 - 拭えない

久々の大学。ガイダンスが2コマ。ただ、話を聞いているだけ。苦しい。何がおかしいってただ普通に話を聞いてるだけなのに吐き気とかが残るし、息も何となくしにくい。

久々に苦手なシチュエーションで生活したがとても息苦しいし、罪悪感や希死念慮が無から沸々と湧き出してきて苦しい。ガイダンスは後半45分間息苦しさと異物感に苛まれ話半分耐久半分といった感じであった。

誰とも話せなかった。サークルやバイトの同僚というフィルターを持つ人々とはなんとなく普通に話せるが、同学科だと本当に話せない。LINEdで交流をちょっとだけしている人とは会っても会釈もない。私から避けてしまう。

なんとない絶望感に襲われている。このまま卒業まで寡黙キャラ(キャラというわけでは決してないが)を貫き通さざるをえないのかという。もっと話したいし、趣味嗜好が合う人を見つけて友達になりたいのに。勇気と口が同調しない。どもる以前に、息が出せなくなって、声が出せなくなるあの詰まった感じ。

もともと学校というものに少なからず嫌な印象を受けているのだが、大学に進学してから、というもの、それが誰のせいでもなく、メタボになっていっているように思える。これはきっと個人の苦手とか、経験とかからでしかないのだけど、自己に歪みが生じているせいでまるで筋の通っていない言葉が真であるように考えてしまう。おかしいのはわかる。でも止められない、ブレーキの利かないところまでネジが曲がってしまったのだろう。

自分は良くも悪くも頭が単純なので(ダメではないか?)、自己統制が上手い。正負ともにただただ正直に働く。そしてめちゃくちゃ持続する。マジックテープのノリで手錠をつけられるようなイメージ。わはは!と笑ってやるが10kgの鉄塊。

まず、冒頭の頭が悪いという文言。これは自己を否定するときの決まり文句のようにつかってしまうせいでなおのことそれが真であるとしてしまい、いろんなことに対して(自分は頭が悪いから正しいことができない…)とか(どうせ間違っている、ならもう話さないほうが良い)とかアウトプットして、修正する一般的なサイクルの不可のせいで悪循環を生んでしまう。

次に、話せないというところ。インターネットでも最近うまく言葉を発せなくなってきている気がしているのだが、それが現実世界にも色濃く残ってしまい、もっと話す勇気が出ない。教授にもそうだし、職員、同学科にもそう。そうやって話せない結果、自己を否定して悪い方向に循環してしまう。

ひたすらループの中にいて、それで手錠が増えてしまって、取ろうとするのに必要な努力量が自分の現状のキャパシティを上回ってしまっているような枷を自主的に化してしまっているためそれもまた悪い方向にループしてしまう。

おそらくここから脱する方法は第三者の適切な視点がないことには何も始まらないのだろうなと思う。あとはそれを受け入れる土台がないといくらいい意見だとしてもそれを瓶底眼鏡をかけてしまうことになるから、いずれにせよ底を直しておかないと水は漏れ続けるまま、ということなのだろう。

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