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人生時計と一日生涯

8月9日、神奈川県西部を震源とした震度5弱の地震がありました。私の住む街もそのときに大きく揺れました。
南海トラフの情報が頭にこびり付いていたせいか、大きな地震がくると思って、Jアラートが鳴り響く中、テーブルの下へ慌てて身を潜めたのです。直ぐにおさまったのでホッとすると、その様子を見ていた三女が私に言いました。
「あっはっは。お父さん!さっき地震なんかいつくるか分からないんだから、ビクビクする必要なんてないんだ!って言ってたよね?」と笑われ、返す言葉がみつからなかったのです。
少し年老いたせいでしょうか。臆病な自分にも気づきました。
しかし、地震なんていつくるかは、誰にも分かりません。震度8にも耐える耐震住宅に住んでいても、そのとき家にいるかどうかは分からないのです。
それを運命という、ひと言でおさめてしまったら、虚しいようにも感じるのですが、神のみぞ知るです。

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先日『人生時計』ということを知りました。人生時計とは、一生を24時間として表した際に自分が今、何時何分の地点にいるのかということを確認することです。その計算方法は

男性の場合自分の年齢÷81(男性の平均寿命)×24(時間)

【女性の場合】 自分の年齢÷87(女性の平均寿命)×24(時間)


私は16.5でした。つまり16時30分。夕暮れ時です。残された時間はもうそんなにありません。そう思うと切なさと同時に限られた時間、今なにを為すべきかと思ったのです。人生やり残していることはないか?伝えるべき人に大切なことを伝えているか?という思いに駆られたのです。

あしたに道を聞かば夕べに死すとも可なり』 −論語・里仁りじん
その道を極めたと思えれば、人生に悔いはないのかもしれません。

『一日生涯』

という言葉が天理教ではよく使われますが、今日という一日を生涯と思って、悔いのないように日々を送れたら、どんなに素晴らしいことでしょうか。
しかし、頭で分かっていてもこれが難しいのです。すぐに惰性に身を任す私には、なかなか出来ません。言うは易し行うは難しですね。

人はとかく今を疎かにしてしまいがちです。ときに明日やればいいやと、先延ばしにするのです。
明日になれば、また明日がある。明日はいつでもあるのです。だから直ぐに昨日となってしまう今日という日を、大切に生きたいものですね。

また肉体はいつか朽ち果てても、崇高な精神というものは滅ぶことなく、永遠に受け継がれていくものだと思います。
目紛しく変化する現代だから、いつの時代も変わることのない、正しい信仰や信念というものを、伝えるべき人にしっかり伝えていかなくてはいけないと、夕暮れどきに思う今日この頃です。

ー了ー

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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