ヴィヴィ

びびさんインタビュー (前編)

びびさんの経歴

職歴はこんな感じです。
・ゲーセンの店長(SEGA)
・先物の営業
・パチ屋店員
・BTOのPCメーカーの営業とCE
・ヘルプデスクからの社内デリバリ部門SEのお手伝い(ちょっとだけJSとかLotusScriptつこうた)
・システム更改PJのSPMやらサービスマネジメントやらからの社内インフラ
・某会社の運用保守チーム(VBSやったりシェルスクリプト)
 からのカード系運用保守→構築→ユーザーサイドでのPCI DSS経験
・現職

びびさんのインタビュー

――何度かセッションでお聞きしてるので私はスペクタクルな経歴なのは存じてますが、意外とコーディングできなかったんですね。

コードは高専のときにCのポインタで挫折しましたwwwww
通らないコンパイル



みたいな感じです。

――高専ってこの世界でも強いエンジニア多いじゃないですか。Cのポインタなんで私は今でもわからないですし。
だから、結構専門教育としてすごいイメージあります。

高専は大学以上に上と下の差が激しいと思います。
もともと変わった人が入ってくるってのもあると思いますが…
紗倉まなとか…
もともと「大卒まで育てる時間が勿体無いから即戦力を短期間で作ろうぜ」的な教育機関なので。

――え、あの女優がそうだったとは・・。(ここで僕がググってたら妻になぜAV女優を検索してるのか強く詰め寄られる)

木更津高専ですよ、彼女w
今一緒に働いている後輩が木更津高専で彼女と同期で、いろいろ話を聞かせてもらいましたwww
話を戻すと、当時の私はロボコンやりたくて入ったのに、何もかもスタートラインに立てず…。でも、その時は悔しくなかったんです。
高専に入ったらやりたくなくなっちゃったんです。勉強がつまらなくなったんです。
参考までに高専だとどんな勉強するのか貼ります。

 高専に入ると大卒レベルになれるもの
 ・物理
 ・数学
 ・コンピューティング
 それ以下になるもの
 ・英語
 ・国語
 ・地理歴史経済

――興味は変わるものですからね。特に専門科目は難しいですし、気持ちはよくわかります。

ええ、1年~3年のときに物理と数学ばっかり、しかもCで挫折したのもあって全く面白みがなくなってしまいました。
そんな自分が「これは!」ってなった出来事が、5年のときに研究室でサーバー作ろうぜってなったことです。
FreeBSD
それは燃えました。

――もふもふさんのインタビューでも、コードに挫折してインフラに燃えた!って展開がありました。でも、それがすぐに仕事に繋がるわけではなかったんですよね。

学生時代はゲームばっかりやってたのでSEGAの求人に惹かれました。
アミューズ(ゲーセン)と開発両方あったので開発志望していたのですが、いろいろあってアミューズで仕事することになって、当時バーチャファイターとかバーチャロンとかデイトナUSAとか自社から製品が出るたび
「楽しいな~、でも自分には作れないなぁ…」なんて思いながらゲーセンで仕事してました。

――高専出てゲーセンでものづくりできないのはもったいない気がします。

当時技術を諦めていた気持ちが強かったんですよ。
店舗運営(接客とかお金周り)とかとかやってたんですが、実はITILに通じるという伏線。当時そんなこと全く考えてなかったんですが。

――意外なところが通じてるんですね!

ITILは全てに通じます、人材育成系も結構勉強になりました。

――確かにエンジニアの仕事だと機械と向き合う時間が多くて、それ以外の仕事をした経験って結構役立つんですよね。僕も営業してたのが、エンジニアでは得られない経験になってコミュニケーションとかで役立ってますし。

営業スキルはめちゃくちゃ活きると思います!
単価上げるのにも増員するにも…絶対必須だと思っています
案件取るあたりに絡むなら、提案系の力も…。
SESやってたときに年に5万ずつ単金あがったのって、手前味噌なんですがまさにそこだったと思います。(※フリーランス)
「びび中毒にさせた」と言われました。

――そんなに上げられるんですかwwすごすぎます。

60→85まで上がりました。
SESやり始めた頃って、実はクライアント系しか実務経験なかったんです。

――せっかくなので、順を追って聞きたいです。SEGAを辞めたきっかけから。

せがた三四郎と湯川専務が殉死したので…それに伴って全社的な人員削減があったんです。希望退職制度なんですけどね、「あー、先々危ないんかな、じゃぁやめたろ」みたいなカジュアルなノリで退職しました。まだ入社して2年でしたが。

――ゲーム機がSONYに大敗して撤退したときですね。殉死というか、当時の大川社長とか強烈な、まあ殉死で・・激動の時代でしたね。

次が先物取引ですが、ドブラックでした。知人が先に入社していて引き込まれたんです。
お金に興味津津とはいえ世間知らずでした。

――完全に闇の業界ですね。怪しい商売で世の中に多くのマイナス影響をもたらしてましたね・・。

当時の辞める勇気を褒めてあげたいです。やめてよかった。
闇ですね、電話営業もそうですし、一任売買(今もあるのかは不明ですが)も。
今のオレオレ詐欺どころじゃないですよ。電話営業から訪問~勧誘まで全部スクリプト化されてるんです。
あぁ、、、思い出したら良心が痛む。悔みきれません。

――噂に違わぬやばさですね。まあ、私も営業してた頃は色々しましたから・・。

その仕事を半年でやめてからは、パチ屋で食い扶持確保で命からがらおせわになりました。腰を痛めてしまったのが致命傷で2年弱でやめましたが、それがなかったらもしかしたらお世話になり続けていたかも?
20歳に社会人になったので、このあたりで25歳ぐらいになってます。

――社会経験豊富な25歳ですね。

その後IT業界にいくわけですが、ここから10年年収はほぼ横ばいになります。
紹介予定派遣でいろいろやらせてもらって、素地はついたものの…その会社がいろいろあって正社員にならず、やはり他の会社へということになってヘルプデスクの業務をやることになります。

――いろいろのあたりはやばいので記事では割愛します。

「この上司はやばい」ってあたりの察知能力もこのあたりで醸成されてます
そういう中での振る舞い方とか。

――生き抜くためには必須スキルですね。特に弱い会社にいると危機察知能力が生死に関わるので。

変なのに巻きこまれて自分自身が沼にハマっていくのだけは避けないといけないですよね…身動き取れなくなったら何もできなくなります。

――エンジニアとしての本格的なデビューはヘルプデスクからなんですね。

はい。よくあるネットワークに繋がらない系の問い合わせから入って、技術的な問い合わせを諸々。クレーム受けてその場で吐くなんてこともありましたw
ヘルプデスクの仕事はある程度で外部移管することになって、そこから社内SE的な何かをすることになります
ヘルプデスクとは書いたものの、実はサービスデスクでして、まさにITILでいうあれです。
SPOC(Single Point of Contact単一窓口)
稼働管理やらSLA遵守に向けての施策やら、あれこれやりました。

――懐かしい。ITILの勉強してたときに覚えました。それにしても、ハードな経験してますね。

組織に責任があるはずのものを自分自身に責任があるって勘違いしてたんです。なので苦情を受け流せなくて。

――絶対自分自身で受け取ったらいけないやつですよ。でもわかっててもそんなに器用になれないですよね。僕も聞いてるからそう言えるだけで。

リーダーにもSOSは出してたので、助けてほしかったですね…。
とはいえ、佐々木さんも言う通りなかなかうまくできないと思います。
このときに主観的対応の限界を悟りました、組織と個人の境目とか。

――でもそういうこと学んで今もちゃんと働いてる我々は偉いっすよ・・。
そこから社内SE的なキャリアになっていた感じでしょうか。

ようやくDominoですがWeb扱うことになりました。Domino自体がWebサーバにもなり得たので「画面を作り込む」ってイメージです。
不思議ですよね、サーバー知らなくてJSやCSS書いてるとか。
AssetManagementとかもこのあたり。
Lotus Scriptっていう訳のわからない言語を無理やりいじりつつ、Notesで見てる情報をWeb経由で見せるための工夫をしたりとか。

――AssetManagementってなんですか?

某I社は社内ソフトウェア配布用のツールがあって、そのツールにクライアント情報吸い出す仕組みを入れ込んでサーバに情報集めてました。
(誰ですか、スパイウェアなんて言う人は)

――資産管理(ツール等のインストール状況)もできて、配布もできるみたいな?

そうですそうです!各社でいろいろ出てますが、それより早くありました。
いろいろ楽しかったんですが、社内に不満があってそこを辞めることになります。人材育成だとか会社の方針が要因でした。
で、また転職エージェント使ってプロジェクト採用で会社を移りました。

――技術的にかなり強くなってきてるので、ステップアップできたのか楽しみになってきました。長くなってしまいましたので、後編に続きます。




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