僕が文章を書くこと、本を書くこと

僕にとって文章を書くことの意味

僕は現役のインフラエンジニアなので、時間をかけて文章を書いていても本業には何も影響がない。同じ時間を技術的な勉強にあてた方が自分のキャリアアップのためにも有用かもしれない。

だが、勉強ってなんだろう。エンジニアの勉強はインプットとアウトプットを繰り返すものだ。覚えたことを資料にして発表したりブログにしたり、何かのサービスやアプリという成果物にする。

技術書を書くのも、エンジニアのキャリアにとってはプラスになる。僕だってそんなエンジニアは尊敬する。だけど、僕は書きたいのはだいたいそのとき自分が思っていることだ。だから技術書とはちょっと違う。noteでコードレスエンジニアのマガジンを書いているのも、おそらく技術力を高めることには役に立たない。

だけど、面白そうだし僕が書きたいから書いている。そして、僕が面白いと思って書いているものは、他の人にとっても面白い可能性が高い。少なくても、自分で面白いと思えないことよりは可能性が広がっている。

今回は記事が三本もレビューで止まっていて少しだけ手持ち無沙汰になったので、自分が文章を書くことのバックボーンを少しだけ書こうと思う。

作文ができなかった僕

小学生の頃、作文は苦手だった。絵日記も書けなかった。低学年から居残りさせられていた僕は、全く文章を書けない子だった。
三年生くらいになって、ようやく句読点を使うようになった。友達に使い方を聞いたら適当で良いと言うので、適当に書けるようになったのである。
そんな僕も本を読むのは好きで、自分の考えた物語をせっせと文字に書いたりもしていた。文章は苦手だが、読むことや考えることは好きだった。だが、しばらくは作文が苦手なのは治らなかった。

小説を書くようになった僕

中学生の頃、友達みんなで小説を書くという活動を始めた。みんなで小説部を名乗り、原稿用紙にひたすら小説を書いていた。といっても、友達を題材に適当なことを書いたり、ひどく適当なものだった。
この活動を続けていると、小論文とかが得意になり、いつの間にか作文は得意なことになっていた。僕はひたすら詩や小説を書いていた。ただし、この頃は文章をひたすら書いているだけで、小説といえるレベルではなかったと思う。プロットもないいきあたりばったりの文章だった。

小説を完成させるようになった僕

当時、10代で芥川賞を受賞する人が出ていて僕もほんのりと影響された。しかし、思いつきで面白いシーンだけを文章にすることはできても、一本書き上げることはまだできていなかった。
友達をネタにした傑作の恋愛小説を完成させた。あまりにも傑作だったから適当に応募したらあっさりと予選落ちした。そして、電話がかかってきて「共同出版しませんか」と言われた。共同出版というのは僕と出版社でお金を出して本にしませんかという意味だ。学生の僕は全く興味を持てずに、小説を書くのをやめた。

リクエストフィクションを書くようになった僕

大学生で就職活動のために、アパートにインターネットを引いた。当時はブログ全盛期だったので、僕も毎日適当なことを書きまくった。
その時に、お題をもらって即興で小説を仕上げるという遊びを思いついた。それがリクエストフィクションである。適当なキーワードで面白おかしく書くのが楽しくて、誰かからリクエストをもらえば必ず書いていた。中には傑作シリーズもあって自分の才能に相当自画自賛していた頃でもある。

文章表現論を履修した僕

大学の講義で、日経新聞の記者だった教授の文章表現論がとてもおもしろかった。文章の基本的な書き方は全てここで覚えた。たとえば「〜する事」みたいな表現はひらがなで書くなど、本当にごく初歩的な「物書きとしての基本」を教えてくれたのだ。新聞が漢字で書かない表現は僕も漢字で書かなくていいんだと思い、新聞を読む目が変わった。
また、この授業では最高の文章を提出してやろうと傑作の文章を仕上げて、ものすごく褒められたことを覚えている。大好きな教授に嬉しそうな顔をさせたことが今でも忘れられない。

インフラ勉強会を作った僕

2017年12月23日、僕はインフラ勉強会というコミュニティを作った。これは僕や様々な人の人生を大きく変えた。前例のないこのコミュニティはどんな初心者でもオンラインでゼロから学ぶことができて、しかもあらゆる領域のプロがネット上にない最新の情報を無償で提供してくれる。そんな奇跡のコミュニティになった。発足一ヶ月で日経SYSTEMSの記事になって僕の名前とコメントが載った。
それを書いた沢渡あまねさんが「佐々木さんもこういうのに慣れないと」と言うので、それが心にずっと引っかかった。沢渡さんはベストセラー作家なので執筆と講演で生きているプロだ。
だけど、僕は何か書けるような引き出しはひとつもない。ただのインフラエンジニアである。何も極めていない凡人である。そこに答えをくれたのは湊川あいさんだった。
「コミュニティの作り方を本にしてください」
これを革命的な気づきだった。エンジニアだから技術書を書く必要はないと気づいたのだ。自分が得意なことを書けばいいのだと気づいた。世の中にはそんな本はあまりないと思うが、前例のあることだけが全てではない。

コミュニティは一年で4000人の登録者になって、規模も影響力も大きくなった。それを作り上げて運営していくということは、大きな学びがいくつもあった。年単位で先のことを考えなければならないし、誰に何を聞かれても矛盾なく適切に答える必要があった。一貫性がないと、自分自信をも見失ってしまう。意思決定も手探りだけど、大きな間違いはできない。周りの情熱も強いので、いい加減は判断は通らない。

僕は自分自身の財産になるノウハウをたくさん得ることができた。それがもったいないからテキストメモにノウハウを書き留めるようになった。

その一部の内容が冊子になって、1周年イベントに配られることになった。

出版のきっかけを得た僕

書き溜めると止まらくなって、何万字もメモが残っていた。しかもコミュニティの運営は辞めたので書く時間がたまたまたっぷりあった。そんなときに、本を17冊も書いているゆたかさんが「どんな内容でも本にできますよ」と紹介してくれたのが平田さんである。
今までは商業出版というのは、書きたいことを書けないというものだと思いこんでいた。彼らは売れるものしか書かせないのだと。好き勝手に書いていいならぜひやってみたい。
平田さんは「どんな内容でもではないんですが」と言いながら僕のメモを読んですぐに出版を決めてくれた。僕の経歴を一ミリも知らないで決めたわけだから大変な勇断である。
そしてなぎさんを紹介してくれて、一緒にどんな本を作るのかを考えることになる。どんなテーマでどんな構成の本を書くのか、これを決めるのが一番重要なことである。らしい。

どんなテーマでも良かった。なぜならたっぷりとメモを持っているのでそれをどう使うかという話なので気が楽である。
テーマが決まると凄まじいスピードで執筆が進んだ。なぎさんは褒めながらも修正点で真っ赤になった原稿を返してくる。僕はその要求をはるかに超える奇跡的な傑作に仕上げて返す。すると、ここをこう直すともっと良くなりますと、僕の完璧だった原稿をさらに良く仕上げてくれる。

こんなに楽しい作業はない。仕事で書くドキュメントは大概レビューでけちょんけちょんにされる。自分の意図にそぐわぬ方向に修正されるのが普通だ。自分が書きたいように書いていいというのが素晴らしい。
果たして原稿はすぐに仕上がった。温度の高い状態で書いたので、いい内容になった。それでも少し弱気になって少しでも自信がない部分はまるごと削った。

出版後の僕

なぜだか理由はわからないが、すごく売れた。何も成し遂げていない無名の一般人の僕が書いたものが、売れている。理由はわからない。色んな人の協力があったので僕の実力ではないかもしれないし偶然かもしれない。
ただ調子にのってあえて勝因を言えば、自分が面白いと思うことを書いたからだと思う。構成とか読みやすさとかはツメが甘い部分が正直ある。だけど、自分の形はこれなんだと思って書いた。(もちろん、甘い部分がないように実力をつけていくことは約束する)

noteを書く僕

コードレスエンジニアの話はあんまり力を入れずに書いている。
だけどインタビューと記事で少なくても2時間ずつは使っている。その時間でその人の人生が面白くて興味深い内容だという話にしなければならない。インタビュー前から勝負は始まっている。

これがエンジニアの多様なキャリアの実像を解き明かすものにしたいし、僕自身も道のないキャリアに道をつけるような活動をしたい。

「エンジニアといえば開発をしている」プロの僕らもそういうイメージがあるが、実はそうではない。そういった現実をちゃんと発信して、血に足のついたキャリアを考えるきっかけにしたい。

そしてこの記事も一度も読み返さずにえいやと投稿しているので、細かい部分がダメだとしても許して欲しい。

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