ヒロぼうさん

ヒロぼうさんインタビュー(後編)

ヒロぼうさんの経歴

2007年07月 - 2013年06月 いろいろなところに常駐するSES
2013年07月 - 2018年09月 金融工学の中小企業でインフラエンジニア
2018年09月 - 現職 Fintechのベンチャー

金融業界でインフラエンジニアになり10年ちょっと経ちます。
キャリアの初めは、客先常駐のエンジニアとしていくつかの金融機関で働きました。主にサーバーの構築、運用、保守を担当しました。
ある程度経験値を積んだら常駐じゃなくて自社で働きたくなったので、金融機関向けのシステム開発から運用も行う会社に転職しました。ここでは、システムの要件定義、設計、構築、テスト、運用、監視、障害対応、改善活動の一連を経験。他にオフィス移転やシステムリプレースなどを担当しました。
いろんな経験をさせてもらいましたが、自分にコンテナ技術の知見とコーディングスキルが足りず、いまいちInfrastructure as Codeの流れに乗り切れていないことに不安を覚えたので、それらを補完する目的で再度転職しました。
そんな流れで現在はいわゆるFintechベンチャーで働いています。

ヒロぼうさんインタビュー(後編)

――東日本大震災の後の常駐先では、だいぶ仕事の内容が変わったそうですね。

はい。次の常駐先は某証券会社でしたが、仕事内容としては個人的に残念でした。それまでの経験とは変わって、社内向けSEで、PCサポート、ヘルプデスクでしたので。

――ああ・・、ちょっと技術から離れたんですね。

もっと裁量があれば楽しめたのかもしれませんが、それがなく。周囲のスキル、ビジネスレベルも低かったです。
ある日、ネットワークプリンタが遅延するようだ、という問い合わせがありました。
ログを調査したりメーカーに問い合わせたりするのかと思いきや、ストップウォッチをもって全フロアのプリンタのプリントアウト時間を測れと言われました。
意味あるのかと上司に尋ねると「部長の言うことは絶対」とのことで仕方なくやりました。チームで手分けして全フロア数十台のプリンタ調査を行いました。
そうしてすべてのデータを持って部長にプレゼンしたところ「ストップウォッチのボタンを親指の先で押すか、腹で押すかは人によるだろう!」と謎の激昂。
そういうことで一人で測りなおせと言われ、転職を決意しました。

――ええ、結局なんの意味があることだったんですか?

エンジニア的には意味がないです。偉い人の留飲がさがる行為があるだけです。モチベーションが急降下しまして、エンジニアをやめようと思い始めました。
30歳も控えていたので将来を見直し、改めて小説家を本気で目指そうと思い始めました。
仕事の傍らコピーライター養成講座に通い始めたり、詩を書いて賞をいただいたりしたのもこの時期でした。迷走している感が否めないです。

――いや、仕事が面白くないとき、他のことに興味を持つ気持ちはよくわかります。

ここで転機がありました。二つ目の派遣先の、金融工学の会社の部長から
facebookを通じて連絡がありました。実に5年ぶりなんですが、インフラエンジニアのポストが空いたので一緒に働かないかというお誘いでした。
振り返っても奇跡のタイミングだと思います。
尊敬するかつての(客先)の上司に誘われたので、もう二つ返事で転職しました。

――ドラマティックで劇的な展開で胸熱です。

2013年7月のことでした。2018年9月に現職に転職するまで、5年働くことになります。ずっと派遣型の労働スタイルだってので、派遣される寂しさを感じていたことも転職の理由にあったような気がします。

――この業界は人が足りないのでスカウトされることはあっても、5年前の人脈が急に繋がるってすごいです。

ここでは、インフラもアプリも自社で作ってました。お客様に提供するのはサービスのみなので、すべてのレイヤのエンジニアと密に会話して仕事しました。
自社開発・自社運営なので、お客様である金融機関のかたがたに要件をうかがって、設計から構築・運用・保守などなど行っていました。

少数精鋭の会社にもぐりこめたのはとても満足していますし、誇りでもあります。ただ、すごく大変でした。

――少数精鋭だと個々の負担が大きい上に、全行程やってるから幅も広くなっちゃうってことですね。

まず、入社1年で、私をひっぱってくれた部長が会社を辞めました。
少人数で業務を回していたところだったので、部長がやめることにより、オフィス移転のプロジェクトを一人で対応することになりました。
この会社のインフラは顧客業務も社内業務も全部が範囲だったので、マジやばいです。

――オフィス移転とか、若い人が一人でやることじゃないっすwww
予算かかることですし、そこそこの立場の人がやらないとww

繰り上がりでプロジェクトリーダーとなったわたしの対応範囲はつぎのような感じです。
自社オフィス移転プロジェクト。社内インフラシステムの移設に関する全ての工程を担当。社内業務環境(AD, Exchange, PC, LAN, 無線, SIP)、社内システム(電話回線, インターネット回線, WAN, Firewall, 本番環境等への通信システム、等)、ベンダーコントロール、データセンターの移転、等を実施。

――データセンターの移転まで・・。何から何まで手探りだと思うんですが、よくやりましたね。

正直なところ、絶対に無理だと毎日のように妻に愚痴っていました。スキル的にも、工数的にも。

――いや絶対に無理だと思いますよ。重たいことばっかりですし。

でも、不思議となんとかなるもんなんですよね。ベンダーが設計を手伝ってくれましたし、毎週社内をかけずりまわって調整したりconfig読んだりし続けて長時間の残業もして・・。
期限も決まっていて大きなお金も動いていましたし(4000万円)
逃げられない状況が成長を助けてくれました。

――たとえばそのレベルだと線表引いてスケジュールを管理すると思いますが、そういうのは誰かやってくれたんですか?

部長が辞める前にざっくり引いてくれていたので非常に助かりました。
ざっくり引かれたスケジュールの意味を理解しながら、具体的なタスクに落としていきました。

――すごいです。常人なら潰れててもおかしくないです。マジで。

ありがとうございます。何度か倒れそうになりましたけれど。
引っ越しだけが仕事じゃないですからね、ほかにも掛け持ちで障害対応などもありましたし。

――ですよね、当然通常業務があるわけで。ていうか、社内に余裕があればそんな無茶な丸投げもされないわけですし。

障害対応で思い出しましたが、この会社は4名で20の取引先600台以上のサーバーを運用していたので、月間80000通のアラートメールを受けていました。

――もはやスパムですね・・。

緊急のインシデントは携帯で受けていました。月間で200通になります。
裁量労働24時間対応なので枕の下に携帯を置いてがんばっていました。

――夜間オンコールはつらいです。その量だと障害対応だけで終日仕事できそうに見えます。

4年以上続けましたが、さすがに人間には無理な量なので、ITSMS(ITサービスマネジメントシステム)を導入しようという方針になりました。
ここで10年前に取得したITILが意外に役に立ち始めます。

――ここでITILが役立つんですね。組織的にITサービスの品質を確保・改善していくための仕組みを作るために。

激論に次ぐ激論を交わして、構築設計、運用設計を作りました。
時代はクラウド全盛期に差し掛かりましたので、サービスの企画立ち上げから終了までの社内プロセス、システム設計の基本的なセットを主にAWSでやりました。
Infrastructure as Code(インフラ構成をコードにしておくこと)に適応するために何のツール選んだらいいかなんてのも考えたりしていました。

――システムの移行とか切り替えの時に提案して少しずつクラウドにしたのでしょうか。

おっしゃる通りです。システムを「自前の(しょぼい)DCで運用するより、AWSに持ってった方がいいですよ~」という感じで、次のシステムはAWSでやらせてくださいという提案をしていました。

――その結果、激務は減ったんですか?

アラートは減りました。80000件から2000件まで減り、実対応数は月50程度まで減りました。
ただ私は優先度の高い新規開発を行いながら、優先度のやや低いが重要な運用設計の見直しをしつつ、24時間の障害対応をしていたのです。
私は激務で適応障害になりました。

――作業が輻輳しているのは結局改善されてなかったんですね。さすがに、人を増やさないとダメですよね。稼働が常に溢れてるわけだから。

睡眠不足が常態化して、仕事はいつも終電でした。思考が常にフル回転して、いっぱいいっぱいでした。
2017年の決算月にリリースと障害が重なったある日、文字が読めない感覚があり、これはやばいと思って早退したところ、妻に病院に連れていかれ
適応障害の診断、2か月の休職をすることになりました。

――なんかわかります。文字を読むということがどういうことか理解できなくなる感覚というか、当たり前にできてたことができなくなるんですよね。

そんな感じです。

――だけど、周りも激務で普通に働いてるから、なんとなく異常に気づかないままおかしくなっていく感じです。

おっしゃる通りです。優秀な周りの方々を尊敬しすぎて劣等感を感じたり、責任感が強くてしんどくても何とかしようとする私の性格も原因だったと思います。

――でも、激務が続くと冷静になる機会がないから何が普通で何が異常か、わからないんですよね。そういう何かがないと。

休職中に、街を歩いていて、人の表情がよく見えたことがとても印象に残っています。気温が温かいとか、植木の葉っぱが揺れてるとか、そんなことがとても大事なことのように感じました。2カ月は産業医の指示にしたがって図書館行ったりしていました。
でも病んだまま転職するのは自分にとっても転職先でもよくないと思いましていろいろ考えた末に、ITSMSの導入はやりとげようと思いました。

――さすが真面目ですね。重たい仕事を最後までやろうとするのが偉いです。

その後、インフラエンジニアとしてのキャリアを考えて、「自分に足りないのはコーディングスキルとコンテナ技術」だと思いました。
とりあえず、運用設計のスキルと金融システムに携わった経験を活かしたかったので、スタートアップのfintech企業を選びました。
30代後半でコーディングスキルとコンテナ技術を補完し、40代でだいたいなんでもできるマネージャになれたらいいなーという動機で転職し現在に至ります。

――開発とインフラ両方できた上でマネージャーやるって一つの完成形ですよね。もちろん、突き詰めるとたくさんのスキルセットがあるわけですが。
あと、差し支えない範囲でベンチャー企業の内容もちらっと知りたいです。

fintechでロボアドバイザーを提供しています。
お金を入れれば自動的に外国為替とか株など、いろんな投資対象に分散してくれるのがロボアドバイザーです。ユーザーが自分でやるのは手間ですから。資産運用を自動でやってくれることで、投資のハードルを下げるサービスともいえます。

――めっちゃ最先端ですね。ちなみになんですけど、ベンチャーって給料的には上がるんですか?
よく知らないのですごい偏見かもですが、やりがい搾取の会社もあるじゃないですか。

私にとってはお金はかなり重要な指標なので上げてくれるベンチャーに転職しました。横這い以下だったら転職しませんでした。ちなみにこの3カ月は残業時間も10時間未満です。

――それは本当に良かったですね。スキルを身につけてキャリアアップの転職で、昇給も実現して稼働も減ったってお手本みたいな転身です。すごく長くなりましたが面白かったです。今日はありがとうございました!

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