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残っていなかったことによるひがみ

ああ、もうダメだ。脱力して力が抜けた。
今月の生活費をおろそうとしたら口座に残高が20万しかない。お金をおろすのやめた。

最近、リビングのテーブルを買った。今まで使っていたものがボロボロのガタガタになって危なかったからだ。結婚してすぐにIKEAで買った安物の耐用年数はとっくに過ぎていたのだろう。椅子は背もたれが折れてるし、テーブルは金物が壊れて脚がぐらついている。釘や金物で気休めの補強をして使っていたが、とうに限界は超えていた。

新しいテーブルは20万弱。たっかいなぁと思った。が、これでも一年もかけてあちこち見て熟考し、最低限このくらいのものが必要だよねと妻が判断したものだった。
つまり、ガタガタ揺れないこと。ちょっとでも揺れるものは嫌だった。もう辟易していた。しかし、そんな高いものを買うと椅子を買う予算はない。椅子も4脚のうち4脚はまだ使えるが、ひびが入っていていつ折れてもおかしくない。

という出来事でお金が消えて行った。他にマンションの固定資産税を支払ったせいで一気に出費が重なった。

なんだろう。どうしてお金が貯まらないのだろう。死ぬほど貧乏だったのは過去だ。こないだ最高評価をもらって、ボーナスが100万近く入金されたはずだ。特に贅沢をしたつもりはない。

しかし、最近は毎年大きな買い物をしている。
去年は冷蔵庫。これは30万くらいした。今までずっと私が22歳のときに一人暮らしをするにあたって購入した冷蔵庫を使ってきた。さすがに限界だろうと思った。今まで小さい冷蔵庫で無理くりやっていたのだから、このくらいのものを買ってもばちは当たるまい。

一昨年はテレビ。50型のやつで14万くらいだったと思う。
テレビも32型で特にダメだったわけではないが、息子の友達が、小さいテレビだと馬鹿にしてくるのだ。確かにそれも一人暮らしの間取りのときには良かったが、マンションのリビングには小さすぎた。

子供も公文に通わせるようになった。
私も妻に古い服は捨てなさいと言われて、よれたシャツやサイズの合わないものを捨てた。ちゃんとしたものに買い替えた。

なんのことはない。自覚がないうちに生活レベルが上がっていたのである。あるいは、今まで買うべきだったものを後回しにしたツケを払っているだけなのである。

38歳。収入は600万。貯金はなく、口座には残高20万ぽっち。
生きるということはこんなに余裕のないものなのだろうか。頑張って働いて結果を出して稼いで、手元にはほとんど残らない。
むなしくなった。30歳のときは400万弱だったわけだから、不自由しないくらい昇給したつもりだった。

でもお金はない。

本を書くようになって、さらにお金はなくなった。単純にたくさん本を買うようになったからだ。本を買うのは自己投資でもある。しかし、リターンのない投資は失敗である。

3月に出した本はまだ一円も報酬を受け取っていない。なのに、私費から編集を雇ってお金を払っている。2年も費やした力作だった。
初版は1800部。
某有名出版社で執筆する作家は「うちだと新人でも7000部からですね。そのくらいは売れます」と言っていた。
僕にはその実力がない。
Twitterのフォロワーが少なくても売れる人は売れる。そこがまた僕の劣等感を刺激するのである。

地元の本屋さんでは平積みしてくれていた。
何度足を運んでも減らない。売れてる様子がない。
そして、今日、平積みではなくなっていた。
棚に一冊だけ残されて、なくなっていた。
これは返本されたんだろうと思った。

書店としては売れない本をいつまでも並べておくわけにいかない。だから返品するのである。本は定価から価値が下がらないので、別の書店の棚に並ぶチャンスがある。
――それでも売れない本は裁断されて処分である。まさに無価値。
僕の本は初版分すら売れないのか。

ビジネス書のコーナーを避けるようになった。
Twitterで「増刷になりました」「新作書きました」「私の本が出ます」と、キラキラしているものが、必要以上にまぶしく見えた。

近所の書店には、色紙で地元の作家がメッセージを書いていた。
僕には当然そんな依頼はないし、その作家は有名文学賞の受賞者で格が違う。特設コーナーなんか作ってもらっちゃって、憎たらしいほどうらやましい。立ち読みしようとしたら、体がそれを拒絶した。

しかし、今日その書店に寄ったら、その作家のサイン本が売られていた。私はそれを買った。サイン本の小説なんか買ったことがない。
興味本位であると同時に、将来の自分の参考になるかもしれないと、そういう言い訳をした。

小説はいいなぁ。娯楽として素晴らしい。
私も学生時代は作品を応募していたくらいだから、小説が書けないわけではない。むしろ、今の方が書けるとは思う。時間があれば。

試しに調べると、このミス対象に応募するなら、3月に書いた本のちょうど倍くらいのボリュームが必要だ。芥川賞なら逆に半分だ。
ボリューム感がイメージできれば、どのくらいの材料が必要で、どう組みたてればそこに至るのかがざっと計算できる。

ビジネス書は今のまま書いてもほとんど収入にならない。私の本に興味を持つ人は限られている。レビューもほとんどつかない。反響もない。
技術書を書きませんかと出版社から言われたが、今までよりずっと大変なものを書くだけのモチベはなかった。だって出すたびに売れないもん。つらいもん。パクリ本は出るし、警察は冷たいし、Amazonはすっかり信用できなくなったし。

本業のエンジニアの仕事もこれ以上やる気が出ない。結果を出すことで一気に給料が上がるならともかく、サラリーマンとは実力ではなく積み重ねに賃金を支払われるものだ。
稼げる会社を探せばいいのかもしれないが、そうでないなら本業はそこそこに別の稼ぎ口を探した方がいい。

華々しい経歴をもって作家をしてる人がうらやましい。経歴の力で売れるからだ。
新卒からずっと余裕のある給料をもらってた人には敵わない。
自分にないものを持ってる人すべてがまぶしい。

元々僕は落ちこぼれ気質なので、誰かと競争することがひどく疲れる。だから技術も王道と少しピントをはずしてマニアックなことをやっている。そこにガッキーテックと名付けて、本流での勝負から逃げたことをごまかしている。
有名になりたい願望もない。
フォロワーを増やしたい欲求もない。
本が売れるなら気にするが、フォロワーが増えてもその恩恵は感じない。

僕にとっての承認欲求は、やったことが認められて評価されてお金になることである。
お金が欲しい。
この年にもなって貯金がないことが精神の安定を邪魔する効果がある。
ただお金が欲しい。

Twitterを見ると、常に誰かが転職している。
常に誰かがキャリアアップしている。
よごさんすね、華やかで。

しかもそれが「友人の紹介で」とか「スカウトされまして」というやつが、友達のいない僕の地雷を踏みぬく。
いや、頼めば紹介くらいしてくれる人はいるだろう。仕事を探してると言えば親身になってくれる人くらいいる。たぶん。ただ、そういうことすらせずにいい話が降って湧いてくるなんて、どれだけ高尚な生き方をしたらそうなるのだろう。

こうしてひがみ根性に支配された僕は、朝起きてから、夜眠くなるまで、ひがみに脳を支配されて、誠に無駄な休日を過ごすのである。
そして、恐ろしいことに、こういうひがみっぱなしのnoteの下書きは公開できずにたくさんたまっているのである。

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