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父は持ってたなぁ!という話 その2

さて、初めましてで飛び込んだ市内の個人病院。大きな総合病院の紹介カードを持って、かかりつけ医になっていただく相談に行きました。

一度も、家族はかかったことがなかった(と私は記憶していた)病院なので、腎不全末期などのあらましだけを伝えて、また体調が良い日に本人を連れてくる話をしました。

その際に、
「本当かどうかわからないけれど、先生のお父様と父が同級生で一緒に勉強をしたとかいうんですよ」と話すと…

「え?本当ですか?父も亡くなって何年も経ちますが、そういう話をあまり聞けていませんで。。。」

と、ご挨拶程度の会話で失礼しました。


改めて、父の体調の良い日に先生の診察に伺ましたら…

先生は、

👨‍⚕️「僕はね、あれこれダメって言いませんから。これからはFさんの好きなようにしてください。一応、検査はしますけどね。」

そんな口調で接してくださったので、気難しい父は急に気分良くしゃべりだしました。


「先生。俺はね、先生の親父と同窓でしてね。教科書を一緒に見ていた仲だったんですよ。市内に教科書は3冊しかない時代で。俺は悪やったんですけど、先生の親父は出来がよかったからね、俺の教科書を見ながらよう勉強してました!」

👨‍⚕️「ええ?Fさんの教科書を見せていただいてたんですか?」

「はい。アレ(彼)は、よう出来てねー。いや、アレは、はよ逝きました…早すぎた。」

👨‍⚕️「そうですね…Fさん、また、父の話、聞かせに来てください」

そうやって、父と先生とのお付き合いがはじまりました。



父の喋りたい時の話の断片をつないだストーリーはこちら👇

戦中に生まれ、もう少しで戦争に駆り出されるくらいの年齢だった父たちは、戦後、勉強したくてもできないお宅もたくさんあったようで。
父の実家は、教職の家系だったようで、比較的充実した勉強道具を揃えてもらえたようです。

父は、勉強よりも外でわんぱくする方が好きだったようで…
自分よりも一生懸命に勉学をする先生のお父様に、教科書を見せていたようでした。

「アレ(彼)はな、よう勉強した。学校の先生になるんやいうて。そやけど、医者になることにかえたんや。ほんまによう頑張っとったんや。そやのに、はよ逝ってもて…」


別話。これは母から聞いた話でどこまで本当かはわからないのですが。

先生の病院は学校の近くにあって。
父が高校生くらいの時?下宿代をはらって先生のお宅から高校に通ってたらしいのです。

???

母の話の断片と父の話の断片をつなげると…
勝手な私の妄想ファミリーヒストリーですが😅


もしかしたら、戦後、先生のご実家は大変な時期があったのかもしれません。
仲の良かった父は、一緒に勉強するという理由で、先生のお父様のお宅へ下宿し、教科書を見せていたのかも???ご家庭の事情で、教職への憧れを捨て、医者の道にすすまれた。。。
みたいな???


今を思えば、かけっこ、駅伝の好きだった父にしたら、先生のお宅や学校までは走り抜けれた気がします。なのに、下宿?
夜遅くまで、先生のお父様に教科書を見せたかったんじゃないのかなぁと思ったり。(自分があまり活かせないから😂)


あ、余談ですが、
母の姉である叔母も父の同窓生でした。
5月の四十九日の法要で叔母から聞いた話では…

いつも父は、友達3人でよくつるんでいたそうです。
走る父の横には、一人は近くに住む同窓生(自転車に父の荷物を積んでいたそうです🤣)
もう一人は…???
先生のお父様?だったのかもしれません。



で、次に通院に行きましたら、先生はお父様の若き頃の写真をご用意しててくださいました。

👨‍⚕️「Fさん、いかがですか?」

「あー、おかげさまでなんとかやっとります」

👨‍⚕️「それはよかった。今日ね、父の写真を持ってきましたよ。Fさんと仲良かった時期の写真は見つかりませんでしたけど…わかりますか?」

「あー、あー、アイツや。〜中略〜アレは早よ逝きすぎた。。。」

👨‍⚕️「そうですねぇ。僕ももっとFさんとのことや若い時のことを聞いとけば良かったですわ。また、父のこと話しに来てくださいね」


ついつい先生の前では饒舌になり、先生の時間を使いすぎてしまう父を毎度引き剥がすように連れて帰りました😊

先生と先生のお父様の存在が、医者嫌い、通院嫌いな父を変えて行きました。

この準備期間が、5年弱の在宅介護を実現していったと言っても過言ではありません。


ね?ウチの父、持ってる感じしませんか?

ご縁てね、繋がり続けていたら、生まれ故郷でなら、こういうことはありうるかもしれませんけども。

親交が途絶えて何十年。父も長きに渡り故郷を離れていて、相手も他界して…

父自身が、望んでその後にその病院にかからずにきて…

そこからまた何十年もして…
老後にたまたまかかっていた病院で、病状に合う病院として見知らぬ青年に紹介されたカードの中、たまたま立地的に私が引いたカードの中からこの病院を父が見つけるって…
一体、どれだけの確率だろうか?と考えたら、もう全くわかりませんけれど😊幸せすぎますよね。


とにかく、すごい運命で繋がった人としかいいようがなくて。


まーね。こんなご縁に恵まれたらねー、多少のややこしい親族関係があるくらい、仕方ない。

どんなに豊かにお金が残せていても、
この先生に出会えなければ、
先生と父との思い出も、
私との在宅介護の思い出もなかったわけで。
まぁまぁ、ラッキーなじーさんで人生の幕引きをできたんじゃなかろうかと思うのです。

亡くなる2週間前でも
先生に体を向けて吸引を受ける父。
なかなかこんな姿勢は取れないそうです。
頑張ってたなぁ!



※トップの写真は、父の高校時代の写真。皆、大学に合格したらしい時の悪たれ達の写真だそうです。先生のお父様もいらっしゃるといいですが…さて、どうでしょう?

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