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ぼっち在宅介護 基本に立ち返ってみよう!

今度こそ、ヤバめのターミナル期と言われてから、1ヶ月経ち、2ヶ月が経ち、酸素を吸い、浮腫まくりながらも、なんだか、この状況を受け入れた感のある最近の父です。

食欲は戻っていませんが…
全く食べれないわけではなく…
水分はガバガバ飲んで…
吸引時に吸われて…
日々の対処が、いいんだか悪いんだか…

最近、昼夜逆転になって、2週間ほどになります。朝、起こしに行くと…

酸素チューブを握りしめて
外しています

血中酸素を測りますと、88%とかを叩き出します。

「これは苦しいよ。はめとこうか」

私が寝坊してお待たせしすぎてご機嫌斜めの時は、ちょっと嫌がります。

寝坊気味じゃない時、本当に苦しい時は、素直に付け直してくれます。

最初は、
「なんで外すねん!余計なことしないでよぉ!」
と思っていましたが…

なんとなく…
自分でできるチャレンジをしてるんじゃないかなぁ…とか思ってきました。

まだ、生きているか?
ヤバいのか?オレ

みたいのを父自身が感じて測る方法が他に見当たらないのではないか?
と感じてきたんですね。


耳も目も、なんとなく怪しくなってきたし…
酸素の入り具合で、やっぱり理解力も全然違うので。
いろいろ五感があやしくなってく中で…
テレビもわかったりわからなかったり…
遠くを見つめる時もありますし。 


そんな世界にポツンと1人いたら…

そりゃぁ、私でも、

「今日は、コレを外してもいけるかな?」チャレンジ

しちゃうかもなー。

と、思いはじめました。


人が人として、
生きてるか?もう終わりそうか?
なんて…
周りはもちろん本人にもわからないけれど、
知りたい!とか
感じたい!とか
よくわからないから喚きたい!
は、あってもいいはずで。


それは、
介護される人にも、介護する人にも、
等しくあってよいことなんだろうと思って。

だから、
今、ここに一緒にいて、
互いに無理できる範囲でちょっと無理しあって、
でも、できない範疇になったら、ちょっと距離をとって、わがままを言ったりしたりして。

それで、叶わぬ願いはそういう現実だし。
それで、叶う願いは、まだまだ頑張れという天からの言葉で。

とかとか、思っています。


だから、
介護をする自由
介護をしない自由
介護を人に任せる自由
介護を自分でする自由

介護される自由
介護されない自由

は、みんなにあると思っていただきたいです。
そして、労力を負った人は、きっとその経験が生きる時があると思いますし。

労力を負わなかった人は、あとあと自身で知ることとなるでしょう。


どんな選択をしても、
どんなに辛くて喚いても、
途中で挫折したって、
全部自由なんだと思います。

自分で選んだ自由は、
自分で果たすより仕方ない。
なぜなら、どんな人生も自分の人生なんで。

最後は、
どんな人も
自分自身を頼るしかないのかなぁ
と思うのです。

吸引、慣れすぎて、落ち着いています…

で、
ウチの父ですが…
ステージ下がったところで…
どうも落ち着いてきました😛

(良くはなりませんが、悪化がちょっとステイしたようです)


まだ、彼の人生は修行が続くみたいです😅

そして、新たな実験をはじめました。
それはまた🖐️

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