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NEW❗️❗️ 「おまえの職場、大変らしいな?」ーー優生手術政策 ーー同期の 観光交流局のヤツが言った。 1990年、呑み会のあとで。 (仮)川崎市役所  【そして・新しい重大なテーマへ..❗️❗️】

【重要】な  新しい 追加テーマ
とても大きなものです。🔴 一番下に 🔴 

本文も、工事中 の箇所が ありますが、🔴 スミマセン。  少しずつ直す予定。



二次会では、ウイスキーを ひたすらに飲んでいる同期の友人が言っていたのは、家がすぐ近いからという、経路や道順の説明であり 、  とにかく  もう 彼自身が 明確に酔っパラっているという実況の長い繰り返しなのであった。
さらに、隅っこで レモンサワーをチビチビ 飲んでいた サエない私を見つけ、ソイツは  ふわりと そばに座り込んで来た。

 「なあなぁ、オマエ ここから Uターンして 新丸子官舎まで、独りで帰れるのかーーよー?」 と笑いをとりながら、田舎者の私を 少しだけ気遣い からかった。

めずらしく彼は、 平和すぎる 私の田舎である 福島県のエピソードとかも、相槌をうちながら 感心しつつ 聞いてくれる数少ない友人でもあった。
本来、彼は 豪快で 楽しい男のようで、我々の座が、妙に静かになってしまうと、急に明るく  ショウもない自慢話を、よく通る声で語り、いつも 周囲を ホッとさせた。

「さすが 早稲田大学」

東北地方の四流大学の 私などは、何が『さすが』なのか、『偏差値なのか?』まったく分からない人生なのだが、何かと 感心しておりました。
そもそも 専門職で あった 私には、スタート・ライン以前から、とっくに  「出世」や「高級な人生」なんて関係ないのだし、、。

素性を  いろいろ聞き出してみると、彼は 大学を出て 何やら大そうな現場をいくつも経験してから、強く思うところがあり、川崎市役所に来たと言う。
そういう  たくましい経験談を聞くと、私は  ますます  自分が 大組織に属してはいるが、 ーーー  「結局、オレは  よそ者だ」と  ほろ苦く 思う。

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二次会が 終わり、  なぜか  ヤツと私は  新宿の駅前あたりを歩いていた。

人の通りも、ビルの山々の列も、果てしなく続いていく  あり得ない光景は、いつも、私には  夜の異世界だった。

彼は、しばらく、何も喋らなかった。
彼が、静かなのは 珍しい。
しかし、静かなのは  私の専門分野だ。

私の左右の目は、新宿のネオンを  睨む。


そして、彼は少しだけ笑顔を見せ、私に つぶやいた。
【おまえの職場、大変なんだってな?】

【 「子孫」を  のこしちゃ、ダメなんだろ?】

1990年の深夜の 新宿の ど真ん中で、そんなことを 急に ヤツが言い出したから、私は ただ、目を白黒させてしまった。

ヤツは、歩きながら、やさしい沈黙と、タバコの煙を 何度も吐き出しては、静かに 話の流れを変えていく。
・タバコは体に悪いという、不合理な主張
・新宿という街の楽しくて くだらない話
・俺達は お互い どんな女と、結婚するのだろうか?、という不毛な推測
・職業として 公務員って、ホントに いいのか?、という、漠然とした、どうでもいい問いかけ

かくして、私は 彼と別れ、 多摩川を渡るため、「川崎は中原区 往きの、東急の車中の人となってい  とても広く、そして 静かであり、とても黒い。

川崎 中原区に行きの 東急の車中の人となっていた。
夜の多摩川は、いつも とても広く、そして 静かであり、とても黒い。
真っ黒な窓の外には、 1990年も、 何もかもが 見えなかった。
しかし、その黒い川を 乗客たちは、 みな じっと見つめていた。


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以上が、 川崎市役所で 同期採用だった友人との  1990年当時の  どうでもいい話である。

その時、私は  川崎市役所の 障害者のための福祉施設に勤務する、「社会福祉職」 職員だった。
そして、優生手術についても  また優生保護法についても、当時の私は 何も知らなかった。
(その頃、私が少し読んでいた、「精神保健法」の中には、優生手術や優生保護法に触れる文面はなかったのだろうか?。見落としていたのだろうか?)

あの、1990年の晩、友人達との宴会の後、友人は   「たしかに」  優生手術 や 優生保護法について、 私に  質問したのだ!

いやあぁ、 衛生局の  おまえらの仕事は、すごく 大変だみたいだな?、と。】

彼は、心配してくれたのだ。

しかし、 当時の  私は  何も知らなかった。

彼に何も言えなかった。
その時  私は 頭の中で  いろいろな引き出しをあわてて探ってみたのだが、、
??  すごい昔の民生局の話なのか??ーーーなどというような事しか、想像できず、、
つまり、、実際の 私は 薄ら笑いを浮かべただけであり、
それだけで誤魔化してしまった、 無知な若い福祉職の公務員だった。 

質問の意味が わからないなら、わからないと、、私は 観光交流局の彼に、聞き返す選択肢もあったのではないか?!!ーーーもしかすると、私の人生はそこから大きく変わったかもしれないーーー巨大な怒りが、その時  私に もし、スタートしていれば。

あの  1990年、もしくはもっと前から、早稲田大学を出てから  苦労して、公務員になった 友人は、キチンと この国の問題点を 知っていたのだろう!
何の苦労もせず、東北福祉大学でも サボりつづけ、スーパーなマグレで 公務員の社会福祉職に就職できて、喜んでいた  この私とは ぜんぜん違っていた!

そして、ナント 、  、
私は  その後も 【約30年間】も その件について   🔵 何も知らないままだった!!!

ーーー  まるで、深夜のTVの  気持ち悪いドラマのみたいな話だ。


私は、公務員生活から  2000年頃に脱落し、仙台に戻り、のんびりと過ごしていた。
そして、2018年、裁判が  仙台地方裁判所で はじまる。
多くの若い現場の職員も、社会全体も 驚愕したはずだ。

しかし、悪いことに、、仙台のアパートで、ゴロゴロしていた 私が  この歴史的な大ニュースを知ったのは、2020年頃であり、 私はとにかく 遅れていた。

もちろん、私の衝撃は大きかった。
今も 続いている。
今も まったく 消えていない。
ーーー これだでも、裁判に訴える価値があると思うのだ。  このダメージを回復させよ!
ーーー  こんな、若者たちへのインチキ、、また 日本の中で  繰り返させたら、たまったモンじゃない!!


知っていた者と、 何も知らなかった者の 違いは何か??
何も知らずに、障害者や弱者のために働いてきた人間を  馬鹿にしているのか?   それとも、まんまと利用していたのか?

正義の実現のためにも、努力してきた人間に、必要な情報を与えず、職業人のプライドを殺してしまうような所業ではないか?、、、もはや、これは事件なのである。

これは、 コメディーのようだ。

残酷すぎないか?

さらに、キリスト教徒だから、がんばってきたという人間もいると思う。(私もその影響があります)
長年、キリスト教会に身を置きながら、、そして  キリスト教に関連した福祉施設・医療施設で 懸命に 働いていた職員も多いはずだ。

何が、 どうなっているのか?
代表者が YouTubeでしっかりと謝罪と説明を長時間かけてするべきだ。書面で済む話ではない。

総括は、誰が行なうのか?

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そして、、失礼ながら、、

神は イジワルだと   私は思う。

現在🔵⭕️
工事中🔵⭕️
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あれから、30年以上が過ぎました。
多摩川の風は、まだ、青く広いままでしょうか?
みんな、元気で、
上手く、立派にやっているだろうか。
私は、忘れないよ。
あの素晴らしい風は、今も  私の骨肉であり、私の福祉の教科書だ。

【追記】その①。。 津久井やまゆり園事件 の 「加害者について」

下記のことも、、、 多くの日本国民によって、、、書かかれなければならないと  私は 思います。

今後への、簡単なストーリーの下書きなのですが、、、
優生思想に取り込まれていく若い職員を助けることができなかった………………
もし、優生保護法が改正され、強制不妊手術が撤廃された1996年に、(まるで、誰にもわからないように、条文が消されただけのイベントだったらしい)、その頃に、全国的に全国民的に「総括」ができていたらなば、、もしかすると、津久井やまゆり園事件は、防げたのかもしれない???

【追記】その②。。 彼の視点からの、 いろんな 「ストーリー」を、 私たち日本人は 書かなければならない

私の、川崎市時代の、その友人は、1990年には知っていた。
つまり、それ以前から知っていた。
彼の、心の中には、巨大な社会矛盾について、どのような葛藤があったのだろうか?ーーー 時間をおいてから、私は気づくーーーここに、アウトプットして、はじめて、次の段階に移れました。まるでカウンセリングみたいだ。

彼が、良心的に真剣に悩んでいたか、、それとも、単に、田舎者の私を少しからかうつもりで、偶然、口をついて出た言葉だったのかは、、わからない。

しかし、彼はとても昔から、、法律の改正前→→法律が生きている時点で、、知っていたのだ。

つまり、彼を主人公として、彼の視点からの、いろんな 「ストーリー」を、私たち日本人は書かなければならない。
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