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敗戦直後、_9月 宮城【塩釜港】 アメリカ軍上陸

海からも 来た! /
港に 鬼畜が 来る! /アメリカ軍が 来るぞ!
/占領軍が 来る!
/ それは、GHQと 呼ばれる /鬼か? 人間なのか?

1945年 9月16日。 仙台空襲から  およそ2ヶ月後、
塩釜、仙台、 各地の宮城県内に、

アメリカ兵、  
   10,000人が 来たのだ!!



なぜか?、 人は、 それを「進駐軍」と  呼んだらしい。

正解は、占領軍である。 勝利を手にした兵隊たちだ。

早くも、、一行目から、この話の文章は  荒れる。

日本は、そして日本人すべてが、 無条件で 降伏したのだ。
何ひとつ 条件を出せないのだ。  完全なる屈服だ。

当時、、私の祖母、そして 母は、敗北した国家の庶民だった。
そして この宮城県の 土を踏んだのは、勝利した国の  完璧な武装兵団である。

そのアメリカ軍は、『空飛ぶ要塞』B-29 を、無数に、日の光を覆うほどに、所有する。
闇の夜を飛ぶ、巨大な飛行機の群れのたった数時間の戯れのせいで、つい2ヶ月ほど前、 仙台 の西側が 街ごと火の海になり、消えた。
 いや!、何よりも、アメリカ兵の背後に存在する、ヒロシマと ナガサキの2つの大きな都市を一瞬で消したという、「魔法の兵器」がまだまだ山のように積んであるのだ。

これは、、もう、、「くやしい」とか、「完敗だ」とか、そういうレベルではなく、自分の町が消滅するか?、、人間が 蒸気となって風に揺らぐのか?、
ーーー それよりも、 それよりも、この日本という国家の存続自体は、いったい  どうなってしまう??
その、最悪のシナリオが、苦悩できるほど、基本的な全体的な情報を、まるで知らない 階層の 阿呆のような人々の方が、ある意味 一番 幸せだったかも、知れない。

まさに、、敗戦濃厚となった、日本の上層部の情報やデータを 国民・庶民が知っていたら 確実にクーデターが巻き起こり、戦時政府も軍も 皆んな倒されていただろう。
つまり、、大きな情報の統制と操作は、皮肉なカタチで 完全に成功した、ようだ。
庶民としては、、その「洗脳」の 最初の段階から終わりまでの、全てで 負けていたのだ。

( 注意 … … このストーリーの飾りの部分は、私の、想像です。盛ってます。


知っていますか? 
日本各地、  それぞれの  主要都市に、 

いつまで ?、、 GHQが いたのか ?

いつまで   アメリカ兵は、  いたのか????

あなたの 市に ?

あなたの  郡に ?


ーー 私達は、何も知らない。ー

Web で 検索をしても、なぜか?、GHQに関しての資料は、ひじょうに  見つけにくい。

アメリカ軍の力なのか?。また アメリカ政府のプライドからの圧力なのか?

このまま、私たち 一億二千万人の 日本人は、、日本の近現代の歴史も、自分の故郷の祖父と祖母・大切な人々の 大切な物語も、何ひとつ知らないままで、、

死  ぬ  。


いったい、 誰が 知るだろうか?!、

宮城の 塩釜の 海に、、黒い軍艦が 次つぎと入る。

米兵たちは、軍靴の音は、埠頭で街角で、 鳴り渡る!

 響き 渡る 。

ヒドイ ハナシ ーーー

その 港の 小さな町の 民衆、男も女も子供も年寄りも、、

つい 先日に 「彼ら彼女らの国家、大日本帝国の 絶対勝利」を 叫んだ。

つい    先日に 『鬼畜米英!』を迎え討ち、「一億総玉砕の精神」を みんなで 固く誓った。

ーーー つい先日 2ヶ月前、 宮城の中心・仙台が 焼き払われた。

ーーー それは、塩釜の 東の 都だ。


塩釜の 恐怖は、その日、

【鬼畜】の 白い集団 は !、

黒い船で 来た。

上陸して来る、米兵たち

止められない。 

止められない、大きなもの。


( しかし、反対に、アメリカ軍の考え方も、頭では理解できるのだ!。)

( 日本軍に勝利した。
日本政府の降伏を、やっと完全に手に入れた。
 次の問題は、残軍の反乱を防ぐこと。
電光石火で、日本軍の基地と 主要施設を 自分達の支配下に置く。)

( さらに、さらに、宮城県民の 悲劇は この 9月では 止まらない。)

( 宮城には、日本軍の 主要施設が とても 多かったらしい。
東北の要、、北の砦 ?  の悲劇だったのか?。)


どうか!、
調べることが 出来る人よ!、


あなたのそばの、主要都市は、すべて、同じなのだ!

どうか!、
調べてほしい!、

アメリカ兵や、イギリス兵に、怯え、
女性たちは、髪を切り、顔に、炭を塗ったのか?

それは、、

はるか昔の話では ない、すぐ手を伸ばせば届く月日なんだ!

中東や 海外の、言葉も わからない、未知の国の 人達の話じゃない!

今日現在、あなたが調べて、考える、その意義は、とても深く 巨大なものだ!。


◎ さらに、◎ 
◎ 私の 身勝手を言えば、◎


地方都市や、多くの田舎で、戦中戦後の波乱の中、、、意外に、行動半径が広い、親戚の人達や、その世代の人々を、書いた、小説や物語は、少ないと思う。

調べモノの 副産物として、、歴史と図書の、その空白を埋めることになれば、、、、それは、つたない情報であっても  レポートであっても、、、この日本という国家と、それぞれの故郷の未来に向け、太い枝葉と  豊かな果実をもたらすことだろう。

現在、今日、この日本国は、極論すれば、、根ッコもなく、まともな幹もない、古い針金のような、無機質さを、私は感じる。
みんな   そうだよな、
きっと。

1945年9月。
話は、これでは終わらない。
  話は これだけでは すまないのだ!
ここでは書かないが、、お金のない女性は苦しむ。その悲劇の跡は、かすかに 今も残っているはずだ。とても暗く深いものだから。

戦争は してはならない。金持ちは何処へでも逃げる。しかし、貧しい者が すべて背負う。
元から、貧しい者の力では、戦争を はじめられない。しかし、兵隊に出されるのだ。負け戦となれば、簡単に 潰されるのだ。
まさに、ゲームの駒である。
一方の、雲の上の 神々は、勝っても負けても、短く冷たく  笑うだけなのだ。痛くも痒くもないのだろう。



* 1945年(S20)9月16日、本格進駐開始(第8軍指揮下の第14軍団第11空挺師団)/ロード准将ら将兵106人がジープで仙台到着

・特別列車と、


 海路塩釜から上陸して


仙台、塩釜、石巻、松島、大河原、古川、多賀城など


7市町村に、


計1万人が分駐した。


▶ 出典  /参考資料 ◀

①..
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P67/毎日新聞の発行物の掲載写真のキャプション/「仙台市史 年表」P114

②..


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