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優生保護法は_ 私たちに _問う

市民は、どのくらい変わっただろう?,   福祉・医療の団体は変わったか?,   育成機関である大学や各種の学校は、どうか?
政治家は進歩したのか?,   政党は変わったのか?
また、そして裁判所は市民に開かれた、身近な施設になったのか?,    そもそも日本にも憲法裁判所を設置する議論が必要だ!。今回は、それが 喉元に突きつけられている!!

有権者である高校生世代への わかりやすい社会情勢の話を、政治家やメデイアは、果たして行なっているのか?,     障害者にも理解できる丁寧な解説を増やす積み重ねは  中高生に向けた説明と ピタリと リンクする。   ぜひ取り組むべき未来への投資なのである。

ーーー 西の灰色の空から、 いつか また、再び、「優生保護法」が 復活する。   形を変え、 すでに もう動き出しているのかも??
ーーー 国会議員は、「生命倫理法」の制定を、私達に約束せよ!
ーーー このままでは、私達は  死んでも死にきれない。

優生保護法裁判の 原告・被害者・家族は、いったい、何のために この国に生まれたのか?

その人生が、あまりにも  惨めだ。
日本という国家に  生まれることが、 惨めな人生のはじまりなのか?

◆  ◆

2018年に #優生保護法裁判 が  仙台地方裁判所から  はじまった。
そして、 6年が経過した。 この間、私たちと日本社会は、どれくらい進歩しただろう?

いやいや、 2018年以降に限らず、、もっと前から日本社会も 私たちも大きく激しく 変わるべきだったのだ。

最高裁ではなく、それぞれの地方裁判所の段階で、私たちは都道府県の議会を取り囲み、そして地方裁判所を取り囲んで、しっかりと首相官邸の前に 長く 「座り込み」  世間にも意見を表明し、1日でも早く事態を転換させるべきだったのだ。
  各地の 医師会も、私達は 取り囲むべきだった。

とうとう、最高裁が開廷してしまったよ。。

ある意味、私たちは 負けたのだろう。

この6年間の社会の動きは、優生保護法が成立した 1948年以降の 日本の暗黒の歴史の罪の重大と比較すると、  ほとんど進展が無かった と言える。

今後こそ、性急的な運動が必要だ。
もしかすると、明日から、そして 来週から 性急な強い運動が必要になると思う。

礼儀正しく椅子に座って、ネクタイをして 時間通りに交渉の場へ行く 必要など ない!
日本社会は、優しく心地よく 動いてなど くれやしない!。  速やかに手を差し伸べてくれないのだ。

何より、 私たちには時間がない。
そして、日本経済も、日本の政治家の『質』も、 さらに 下へ 下へと向かい、落ちていく。。

とにかく、私たちには時間がない。

もう 充分だ。  
私たちは、日本社会に対し、すでに 多くの意見を言い、ひたすら礼儀正しく 付き合ってきました。  そして 数え切れない警告も与えてきました。

もう   充分だ。



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