時代と共に、脱主体と主体の狭間

タイトルはややこしいですが、ただ、私の頭の中が整理されていないだけ。芸術において、作り手の主体はそれ程意味をなさないとされます。芸術においては、脱主体が大切になる。彫刻においては、じぶんが彫るのではなく、木の中に埋まっているものをただ彫りおこすという感覚があるそうです。それは性愛においても言えると言われています。降ってくる、という感覚。
さて、理学療法においては、さすがに違いますかな?

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