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明日には死ぬんじゃないか、という思考

 ずっと、明日には死ぬんじゃないか、と思っています。具体的に言うなら明日以降の自分がいないなら楽なのにな、と思っている。なんというか、慢性的に希死念慮があって、毎日生きていく事に意味を感じないのですね。
 生きていたところで、僕が運動会で頑張ろうと、大学に行けても、音ゲーでイイ成果が出ても、絵が伸びても、結局何も残らないんですよ。少なくとも今は。なのに、毎日ストレスを受け続けて苦しい思いを続けるのに何の意味があるのでしょうか。

 母親も、だいぶ前に聞いた話ですが、母親の若い時もそうゆう考え方ではあったそうです。ちょうどノストラダムスのころなので、どうせ終わるんだから、みたいな考え方だったそうです。母親自体も、割と辛い人生を歩んできているので、その辛い局面だったのかな、とは思います。

 母親の話はさておき、僕の日記をちょくちょく見てくださっている変な人たちは、割と知っているとは思うのですよ。たまに爆発してぐちゃぐちゃ書きだすから。最近はそれなりに落ち着いてはいるのですが、おちついただけでずっと消えたいなぁ、というか、元々いなかった事にならないかな、と常に考えている。
 こうゆうとき、好きな事や生きがいを考えるのは大事だとは思うのです。別に絵が嫌いなわけでも無く、やりたいな、とは思っています。音楽が嫌いなわけでもなく、毎日日記を書く時はつべのミックスリストを流しています。今はUSAO氏のKnight Riderが流れています。日記も、文章を書くこと自体嫌いじゃないから好きです。音ゲーも、友達とやっているときは時間を忘れてできます。でも、それを加味したうえでこの世は楽しくない。楽しい事をやるよりも、ストレスが勝ってしまう。

 明日なんていらないよ。というか、今しか僕は生きていないので、明日の僕が死んでいる証明は出来ない。今のこのコンマ何秒かも分からない無限のfpsの一瞬しか、僕は生きていないんですよ。その次のフレームに生きているかどうかは分からない。だから明日には死んでいるんじゃないかな、と静かに期待している。正直自分でも何を書いているか分かりません。伝わったらすごいね。常に感覚で生きてしまっている弊害がここにある。

 どうすれば苦しまないで済むのか。まず学校が苦しいので、学校をやめるか。超てんちゃんも、家族をやめろ社会をやめろ人間関係をやめろ、って言ってたし。その社会を切り捨ててしまうか。ははは。まあ、僕みたいなカスにそんな勇気はない。また苦しみながら生きるよ。眠い。

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