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木が森に隠れると分かんないよね

 Twitter等のSNSで、フォロー1桁、フォロワー何万みたいな人いるじゃないですか。スゴイですよね。フォロバ抜きでそこまでの功績なんですから、相当すごい事をしていらっしゃる方でしょう。そんな人がフォローしている方はどんな方でしょう。そのフォローしている人もまた、フォロワー何万の人。有名人ですね。
 面白いのが、そのすごい人をフォローしている人もまたすごい人なので、その何万人の中にすごい人が入っているわけです。Twitterはフォローしている人がフォローしていると、○○さんがフォローしています的な文が出ますが、それを除けば何万人は全員知らない人なわけで、全員平等なんですね。
 何が言いたいかっていうと、すげー人でも有象無象に混じったらすごい人っていう皮が無くなるんですね。なんかそれに対して面白いなぁって思ったんですよ。

 まあホントにただちょっと面白いと思っただけで、それ以上もそれ以下もあるわけでも無いですマジで。でも面白いと思うんですよね。木を隠すなら森の中、みたいな?どんなに珍しいすごい木でもさ、森の中に入ってしまえば探さなきゃほぼ一緒なわけで、その森の中もいろんな木でひしめいているからね。でもその木ががある森(フォローしている人)は少ないんですよ。だから珍しいのか?まぁ例え話だし深く考えないでいいか。
 なんで面白いのか。それの謎を解明するため、我々はアマゾンの奥地へと向かった───。

 1人の人間としてフォーカスして見てみれば、とてもすごい人物なんでしょう。絵が上手い、音楽が魅力的、面白い、偉い、などなど。でも人間という種族単体で見れば、まぁ種族単体で見ても大分すごい生き物なんでしょうが、その人のすごさは分からないですよね。そうゆう謎の神の目線的な、達観して見てみたwみたいな面白さなのかもしれない。うわ厨二病で草とか思った人いるだろうな…そう思っている人もまた僕を評価して達観しているのに。
 そんな感じか。まぁ面白い以外で何も無いので良いですがね。

 でももう1つ、そのフォローされてる側がその人を認知していたらすごい嬉しい(小並感)ですよね。さっきの森だって、自分の森に珍しい木があるんだぜ、って少し誇らしげに出来るし。そうゆう意味では別に沢山の人に埋もれてるワケでは無いですね。それもまた面白い。第三者と、フォローされた側で思える所が違うんですから。まあ見てるだけと本人だし違うのは当然なんだけどさ…

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