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僕の死ねない理由と10数文字に込められた思い

 Twitterでこんなハッシュタグがトレンドに乗っていましたね。「死ねない理由をそこに映し出せ」って。たまにはこうゆうのにも便乗してみるか、と参加しました。

僕の死ねない理由…そんなのこの笑顔を見るためです。僕はニディガが大好きなんですよね。それはもう死ぬほど…死なない理由が死ぬほど好きって面白いですね。

 僕は病める時も健やかなる時も、ニディガを…実際はあめちゃん(超てんちゃん)を愛し続けると心に誓ってからというもの、ある程度病む事に対しての耐性は付いた気がします。まぁ…それでも病むときは病むけど…
 でもどんなに病んでてて辛い時でも、この笑顔を見てる瞬間は安らいでいて、辛い事も一瞬無くなるんですね。だから辛くても頑張れる(大丈夫とは言ってない)んですよ。頑張った先には何があるんでしょうね。

 で、でですよ。まぁ上のような事言った手前あまり言えませんが、普通に病む時は病むわけですよ。病んでるバカがSNSなんてしてたらツイートもとい発言が病み気味になるんですよ。先日も若干病んでてたんですよ。
 その時ですね、扉を背に座って考え事(もう覚えてない)をしてて、その際にいろいろな事を脳みそが処理し続けるのも限界が来たのかその限界が涙となって出てきました。正直その時はなんで涙が出たのか分からないですし、今も色々限界で涙が出たと思っていますがよく分からない。その事をツイートするわけですね。
 「考え事してたら涙出てきた」。12文字。僕の限界が12文字なんですよ。たったの。限界になってしまった僕の思いなんて文字にしてしまえばたったの12文字に収まってしまう。小説の蜘蛛のかなちゃんも同じような事言ってた。それに反応したのは、リプでフォロワーさん、いいねは知り合い。人に心配掛けるような事はもうあんまりしたくないね…

 僕の知り合いで最近Twitterを始めた人がいて、その人もなんか病んだツイートしたんですね。死にたいくらい病みって言ってました。人の病みツイに反応出来るほど出来た人間じゃないので特にいいねもリプもしなかったんですよ。てか病みツイにいいねだけするのなんか嫌じゃないすか?死にたいってツイにいいねだけする人って氏ね!って言ってるの?って思う時あります。それは置いておいて、死にたいくらい病み…何があったのか知りませんがし興味も特にあるわけでは無いです。が、それくらい思うって事は何かあったんでしょう。嫌で嫌で仕方ない事が。知り合いなのである程度どうゆう人間か知ってるつもりです。まあ多分人間関係だとは思うんですがね。
 で、その嫌で嫌で仕方ない事があって、それで本当に嫌になったんでしょう。ですが、その思いも書いてしまえば10数文字。たったの10数文字。たったの。僕とかなちゃんと同じです。

 面白くないですか、どんなに嫌で嫌で嫌でも、書いてしまったら10数文字に収まってしまう。まぁ書こうと思えば書けると思うんですよ。でも直感的に書いた文字は10数文字で、それ以降書こうとすると考えて書いてしまうわけですよ。僕も以前病み日記を上げた事ありますが、感情的に、直感的に書けたのってホント最初だけで、途中からだんだん考えて書いてしまって「何書いてるんだろう…」と賢者タイム的思考が脳裏を掠めながら書いていた記憶がある。
 その10数文字のドラマも客観的にはふーんくらいにしか成らないので、病みツイは必要以上にしないほうが良いと思う。まあそうゆう思いのはけ口になるからやっても良いと思う。つまりどっちでも良いって事!

 こうゆう事が一日で起こったらちょっと運命というか、偶然だけど「おっ」ってなるよね。どっちも「死」に対する事だけどさ。死って言うとなんか重苦しいというか、普通に重いですね。でも死って言葉の重さの割には軽くて、日常生活で氏ね!なんていくらでも言うことはありますよね。それくらい軽いんですよ重さの割に。そうゆうのが嫌!って言ってた相互の人がいました。それ見て以降は反射で出てしまう時もありますがある程度縛っています。そうゆう「死」って言う重くて軽い事に対して、こうやって色々考えるのも良い事ですね。

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