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12月4日(2010年)チームも自分らも未熟だった

 ホーム最終試合・ポンテ選手の退団・監督の退団。
様々な要因が選手たちに余計な緊張を与えてしまった、とフィンケ監督がコメントしていました。

 出場停止の山田暢久選手に替わって、CBでリーグ初先発となった濱田水輝選手。元気・直輝・峻希選手らとともにユース黄金世代からトップチームに上がり、大型ディフェンダーとして期待されていましたが、残酷な洗礼を浴びてしまいます。
 降格から脱しようと死に物狂いの神戸に飲み込まれてしまい、2回の自身のミスから失点。頭の中が真っ白になってしまったことでしょう。
 徐々に出場機会が増えてきたのに、ショックは大きかったと思います。
チームの若返りと結果の両方を求めた矛盾が現れてしまったゲーム。シーズン最後のホームゲームでこれを見せられるのは辛かったです。
 

 試合後のフィンケ監督退団挨拶。多くの言葉と説明で今日の負け試合の分析と、2年間で積み上げてきた成果を語るのはいつものスタイルですが、全部頭の中を通り過ぎていきました。
 それよりも、レッズは未熟だなあとの思いの方が強かった。
チームは、この監督へのリクエスト内容をもっと正確に、はっきりと示し、必要なスタッフと選手の補強をすべきだったのではないか。そして何より、サポーターへの発信が不足していたのではないか。コンセンサスを欠いたため「ひとつ」になれず、ダイレクターの信藤さんや監督を追い詰めてしまいました。会社はまだプロの組織になっていなかったのです。
 通訳兼任コーチのモラスさん。2年前の語る会で、美しいくらい歯切れよく、ピシリと明確に通訳してくれるモラスさんに惚れていました。しかし、今日はハナをすすり、涙をこらえての通訳です。それはそのまま、口惜しい思いのフィンケ監督の姿でした。
 黙って結果を出せよ、という人たちからは、試合後のコメントが言い訳と責任逃ればかりだと糾弾され。彼のパーソナリティ自体が嫌われるようになってしまいったのは残念です。

 

試合後にポンテ選手のお別れセレモニーがありました。
5年半在籍。マリッチ選手とやってきて、そのシーズンの正月の天皇杯の歓喜をチームにもたらしてくれました。
 これまで浦和レッズでプレーした外国人選手の誰よりも大きな功績を残し、これからもこんな素晴らしい選手は表れないと思うのです。

後日談
18日MDP編集長主催のサポーター望年会。ゴール裏で裸の応援をする「彼」が 、裸で登壇し「自分にとってはかけがえの無いロブソン・ポンテとともに正月の国立まで行きたい」と涙ながらに訴えて、我々の胸を熱くしました。
 

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