エッセイ:エディプスちゃんのここがすごい!

仕事中にふと思う。私はなんて立派なのだろう、と。
べつに会社勤めがえらいとは思わない。が、嘗てのじぶん自身を想うと、いまのまじめな生活は奇跡にちかい。大学時代の私といえばダメな人間の筆頭であり、周りから徹底的に甘やかされていたのだった。ひさびさに同級生や先輩たちに会うと、私が生活をし、働いていることに皆が驚愕する。嘘でしょ、あのエディプスちゃんが……? 圧倒的な成長を感じる。あるいは、なにか大切なものを失ってしまったようにも思う。私は、しごく退屈な大人になってしまったのではないか。あの頃といまでは何が変わってしまったのか。大学時代を振り返りつつ、私のどこが立派か整理しておく。これを読めばきっと読者諸氏も、私を褒めずにはいられないことであろう。

1)朝、ちゃんと起きる
まず私は朝がたいへん弱かった。大学で気ままな一人暮らしの身分になってからは生活リズムが崩壊し、朝方に寝て夕方に起きるということもざらであり、放っておくと午前の授業なんて当然のように行かなかった。沈む夕日をながめながら「これがぼくの朝日か……」としみじみ思ったものである。そんなふうであったから毎朝(ほんとうに毎朝)、甲斐甲斐しく友人たちが起こしに来てくれていたのだが、その友情を裏切って二度寝するなどの愚行もしばしば。(当時、私は部屋の鍵をしめる習慣がなかったので、)どかどかと友人が勝手に部屋に入ってきて「エディプスちゃん、一限めに遅刻する!」「……着替えてすぐ行く、ぼくに構わず先に行ってくれ! すぐに追いつく!」着替えるそぶりを見せ、友人が出て行ったのを見計らってまた寝る。数分後、二人めの友人がどかどかとやってきて「おい、起きろー!」「……いま着替えてたとこだから!」とそんな具合。波状攻撃、もとい友人たちのチームプレイによる遅刻防止の二段構えであった。そんな私がいまでは一人で起き、朝の支度をし、会社に遅刻しないように家を出ている。これは本当に立派と言わざるをえない。

2)掃除や洗濯をしている
大学時代には部屋の掃除なんてしなかった。それでも部屋がきれいな状態を保てていたのは、私が生来のきれい好きだからではなく、友人たちが小まめに掃除・片付けをしてくれていたからである。とはいえ、これはギブ・アンド・テイクの関係で、私は大学ちかくに借りた下宿をかなりオープンに開放していて、いつでも遊びにきてもらってよいぶん彼らが掃除などを進んで買ってでてくれていたという見方もある。いつか高校時代の友だちが遠方から遊びにきていた折り(そのとき何故か、家主の私は不在であった)、その光景をみて驚いていた。「いや、マジでびっくりしたよ。おまえが留守のあいだに、△△君の彼女という人がきて、床に落ちてるパンツとか拾ってフツーに洗濯してるんだもんな」いま思うととんでもないこととわかるが、当時はそれがフツーなのだった。ほとんど介護である。そんな私がいまでは掃除も洗濯も基本的にはじぶんでしている。これもやはり立派なことである。

3)虫を殺せる
そもそも私は大の虫嫌いであった。特に蝶々が苦手だが、それ以外もまんべんなくダメだった。ある深夜、バイトから帰ってくると部屋の電気は点けっぱなし、窓は開けっぱなしという状況で、季節は夏の盛り、部屋はワイルド・エリアさながら虫たちで溢れかえっていた。鳥肌がたつ。私はすぐに部屋を飛び出し、近所に住む友人に緊急の連絡をした。事情を話すと彼は「わかった、待っとき」とだけ言い、コンビニで殺虫スプレーを買って飛んできてくれた。そのときの彼の勇姿をいまでも覚えている。スプレー片手に部屋に入り、虫たちを皆殺し。後片付けまでしてくれて、その晩、私は安心して部屋で過ごすことができたという。時は流れて大学卒業後のこと、入社3年めくらいか、一人暮らしの部屋にGが出現するという嫌な事件があった。私は再び彼に連絡をした。「もしもし?」「もしもし、おれおれ」「どしたんや。久しぶりやな」「いやあ、いま仕事から帰ったんだけど」「おー、お疲れ」「なんか、部屋にGが出てさ」「……エディプスちゃん。大人になるとき、やな」そもそも彼は他市町にいた。私はコンビニで殺虫スプレーを買い、隠れたGを見つけ出して滅殺した。きっと私はこのとき大人になったのだと思う。以来、覚悟を決めている。先日もベランダの排水溝につまっていたセミの死骸をじぶんで捨てたのでたいへん偉かった。苦手は苦手だが、いまの私は臆さず、虫を殺すことができる。

4)節度がある
大学に入って酒を覚えた私は、イキリ大学生にありがちな《オレ、酒つよい!》ムーブをし、滅法に飲んではほうぼうで記憶をぶっとばしていた。酒癖は悪くないと思うが、とにかく楽しくなる。そして、ある飲酒量を超えるとプツンと糸が切れるように記憶がとんでしまう。目覚めると、トイレのなかでテトリスのような形になって嵌まっていたり、知らないひとの家の台所マットの上で寝ていたりした。酒の失敗には枚挙にいとまがないけれど、1ばん反省したのは卒業式の直前のこと。学科の追いコンがあったのだが、私は早々に愉快なきぶんになり、割りばしを両耳にさしてジオング(パーフェクト・ジオングのほう)のマネをしていた辺りで記憶がぶっとんだ。「知らない天井だ……」目覚めると私は見覚えのない部屋のベッドで寝ていて、上下の服も見慣れないものになっていた。ひどい二日酔いの朝であった。起きたかい、エディプスちゃん。院進した他学科の先輩であった。彼女曰く、追いコン後に、1年生から4年生までの10人ぐらいでこの部屋にきてぎゅうぎゅう詰めで二次会をしていたとのこと。まったく記憶にはなかったが、私は当時熱中して読んでいた村上春樹の小説のすばらしさを後輩たちに雄弁に(とても愉快そうに)語るやっかいおじさんになった挙句、新入生の女の子のカバンのなかに嘔吐したらしい。考えられうる最悪の結末であった。その後、意識を失い、浴室に連れていかれて、誰かのもってきたジャージに着替えさせられたということ。立つ鳥跡を濁さずというが、盛大にゲロで汚した卒業である。後日、私は後輩に菓子折りをもって謝罪にいった。さて、社会に出てからはここまで大きなお酒の失敗はあまりない。一度ほど、記憶をなくして朝起きると陰毛がすべて剃られているという珍妙な事件はあったが、他人には迷惑をかけていないと思う。たぶん。ふだんもお酒を飲むが、仕事のことを考えてセーブできている。そう、私はずいぶん節度のある人間になったのだ。

5)死んでいない
大学二年生の頃には既にうっすらと死にたい気分になっていた。もともとの根暗な性格と、陰鬱な映画や小説をたくさん摂取したことや、昼夜逆転で日照をあまり浴びなかったことも原因だったかもしれない。私は夜な夜な町をうろうろと徘徊し、おのれの存在の虚無を呪って泣いたりしていた。何があったという訳ではなかったが、いつも生きていることに疚しさや申し訳なさを感じていた。精神的に不安定だったと言える。幸いなことに昼夜逆転友だちが何人かいたのでAM4時とかそんな未明頃に麦酒を買ってアポなし突撃し、B級ホラー映画を観あさったり、マイナーな音楽を勧めあったり、(じぶんの家にはインターネットがなかったので)パソコンを借りてmixi に怪文章をアップすることで魂を癒したりしていた。うんとこしょ、どっこいしょ、それでも鬱は抜けません。この頃から小難しい本を読むようになり、それも死にたいきぶんを加速させていたと思う。私は、じぶんのことを疑りぶかい性格だと思っていたが、いま思うと案外と信じやすいほうなのかもしれない。とかく影響を受けやすい。マーク・トウェインの『人間機械論』を読んでは自由意志のなさを嘆き、サルトルの『実存主義とは何か』を読んでは実存の強さに縋るような、そんな一喜一憂の日々。いくつか死ぬ方法を具体的に考えて準備をしたこともあったが、途中でバカバカしくなったり、また怖かったりで、幸か不幸か現在まで実行に移したことはない。虫の件でもわかるとおり、もともと臆病な性分なのである。大学院に入ってからも、会社で働きだしてからも、死にたさはうっすらと日常に漂っていた。が、祖父母の死を契機に、私は一時的に別のタイプの精神的不調になり、そのとき、自己像ごと死にたさをすこし遠くに置いてきてしまったように思う。熱い死にたさは消え、冷めたい死にたさが残った。いまは石くれのような死にたさの残骸を抱えているような感じ。当時は三〇歳までには死のうと思っていたが、気づけばその歳を超えている。なおも苦しい日々ではあるけれど、死んでいないというその一点において手放しで褒められるべき、私はたいへん立派なのであった。えらい、えらすぎる。

以上、私はなんて立派なんだろうというお話。賞賛は甘んじて受ける。

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