終電と始発

先日、有り難いことに内定を頂いた。取り急ぎ人生を成り立たせる算段がついた。人生なんか成るように成ると思っているため、多少は喜ばしくもあるが、まあ、といった所感である。

というわけで内定者の懇親会に赴いた。

内定者には様々イベントがある。社員座談会、研修、会食。内定者からすれば、入社後の不安、残りの学生時代にしておいた方が良いこと、他の内定者について等々、知り得た方が良いことを知れる会でもあり、企業からすれば、内定者の辞退を防ぐ名目でもある様々なイベント。と、名目はあるが、私は単にタダ酒を飲みに、わざわざ大阪まで赴いた。

単にタダ酒だから、と言う訳でもなく、買い物も、飲みも、遊びも、近場で済ます出不精の私なので、大阪での飲みはそれなりに魅力的であった。

現地集合先は個室の居酒屋。なるほど会食らしい。
スーツもきちんと着た。下座に座った。座布団には勧められてから座った。足も勧められてから崩した。
それなりの気遣いをしたので、交通費のもとは取らせて頂くべく、健啖させて頂いた。具体的には私1人で他3人と同等くらいには飲まさせて頂いた。
遠慮は程よくするのと同時に、しないことが愛嬌でしょう。

私ともう1人男の子の内定者と、新卒採用部の社員の方2名の計4名での男飲み。話は仕事内容やプライベート、シモまで、男飲みらしく進んだ。

それなりのコネが作れたかしらというところで、21時過ぎには阪急に乗った。
が、気がつけば竹田などという辺鄙な土地に着いていた。
日付も変わった頃のことだった。

程々に頭が冴えてくると、淡路であったり、北大路であったり、駅のホームのアナウンスが耳の奥にこびり付いていたことに気付く。どうやら何遍も寝過ごしたらしい。
我ながらよく寝たものだ、とか、我ながらよく乗り換えられたものだ、とか、喫緊の事態を目前にした私を落ち着かせるべく自嘲しては、一先ず宿を探すべくiPhoneを手に取る。
月の半ばだというのに通信制限が掛けられていた。
ポンコツな板っころめ。肝心な時に役に立たない。

仕方なく、ホームのエスカレーターを登り、改札を出て、階段を降りては外に出る。事態を把握してからの身体の動きように若さを覚える。

外に出てみれば、知らない辺鄙な土地の、辺鄙な駅前がそこには在った。
何も無い駅前。深夜の駅前。閑静な駅前。
それは混乱の直後の私の目に映る、唯一の在る可き風景であった。
私にはそれがなんだか有難く感じられた。有難い、辺鄙な土地の辺鄙な駅前がきちんと辺鄙でいてくれることが嬉しかった。

そして、その嬉しさからくる安堵感そのままに、その辺で寝ることにした。

使えないポンコツ板っころを、一応鞄の中に仕舞う。鞄の取手に腕を通す。最低限の自衛を終えたら、アスファルトで出来たよく分からないモニュメントのようなところに腰掛け、そのまま寝転んで天を仰いでみる。
あんまり知られてないようだが、星はどこにも輝いている。

そういえば、ジャケットを羽織ったまま、ネクタイは緩めることを忘れていた。自戒の意もあったのかしらと回想する。

辺鄙な駅前は静かで良い。人の気配がないようで、遠くのマンションの明かりからそれを感じもしたり、お外で寝るのなんて2年ぶりくらいかしらと面白がったり。
とはいえ防犯なり外聞なりも気にしつつの緊張感もあったり。
楽しい。非日常、お手軽じゃあないか。

船を漕ぎ終えた頃、原付が目の前でエンジンを切り、停まった。若いあんちゃんがカブに乗った姿勢そのままに声を掛けてきた。

お兄さん大丈夫かい、だとか、倒れてるのかと思って吃驚した、だとか、この辺朝になると車通りあるから危ないよ、だとか。

当の私は、この子今日の会食に来てた子に顔が似ているなとしか考えていなかった。朧げな記憶ながらあまりにも似ていたのだから仕方がない。
ごめんね。

とはいえ、心配されることは嬉しいものだ、と改めて思わされた。ありがたいね、日本、捨てた物じゃないね、とさえ思われる。

その子には缶コーヒーを奢った。礼には礼を尽くしてあげようじゃないか。

そんなこんなで始発の時刻が差し迫ってきた。宵の緋衣、なんて言ったかしら。早朝の景色なんて久しく見ていなかった。重度の夜型の私にさえ、それなりの感動と感傷を抱いた。緋衣なんて洒落た言葉がどうでも良くなるくらいには、綺麗だった。
鞄に忍ばせていたフィルムカメラで、街灯の明かりを頼りに写真を1枚撮った。

そして駅の改札へと踵を返した。

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