アンチ、運営、本人、私

アンチに「その人を叩くより、うちの推しを叩いた方が論が通るよ」とよく思う。本人が悲しむのは見たくはないが、トンチンカンなアンチの方が見てて悲しい。私の推しを前科がないのに「犯罪者」と評したアンチを見た時、語彙力とかもろもろを不安に感じた。

全肯定オタクも見てて悲しい。励ますために誉めているのかもしれないが、ほとんど自分を下げてしまうし、善悪の判断がついてないように見えてしまう。

このどちらにもなりたくない。善悪の判断がついて、ダメなときはダメと言うけどいいときは良いと言える存在でありたい。ただ、これは自分の判断だから他の人とは違うかもしれない。それでも自分の信じたものを信じていきたいとは思う。

私はアンチの行動を見るのが好きだったりする。こんなこと言ったらやばいが、アンチの発言はほとんど本人に響かない。私にも響かない。「そんなこと言ってるけど、私、いつでもあなたのことぶっ潰しますが?」の気持ちでいる。別に戦いは挑まないけど。推しの目の前に現れたら、静かに報告をするだけ。私の推しへの愛の強さが「あー、また言ってるやついるよ。数字でしか判断してないからな、こういうやつ」という気持ちにしかさせない。無視してるとだんだんヒートアップして謎の語彙力を発揮する。そこが面白くなってしまう。推しも耐えきれず反応してしまうくらいには。そういうところやぞ、と思ってしまう。

数字で売り上げはわかるが、それだけじゃ計れないものはたくさんある。数字だけで見てしまったらだんだん苦しくなる。「私はこの人、このグループを応援するために、金を取られ続けなきゃいけないの?」と悲しくなってくる。実際、過去に少しそう思うエピソードがあった。アイドルを推していた時代に。推すことは、余裕があることだし心の余裕を作ることでもある。そこで本気出して厳しくなるならやらない方がいい。

私は推しがしたいことを応援するけど、危ない発言、行動は応援しない。アンチが言うこともわかるし、そう思うこともあるけど、それでも私は推しを応援したいと思えば応援する。金を巻き上げるような行為をしてくるならば途端に嫌いになる。私たちを数で考えるな。

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