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学生団体の代表として感じたこととその変遷

 自分が学生団体の代表を務めていて感じること、感じてきたことを書き留めておく。


 自分が創設メンバーとなり黎明期に代表を務めていると、「この組織をより大きくしたい、より良くしたい」といった感情が必然的に湧いてくる。初めはただ楽しいからやっていたものに責任が生じてくる。特に黎明期であれば、組織がこれから先も自分が抜けても続いていくために幾つも決めなければならないこと、解決しなければならない課題がある。これらの問題は自分が解決しようと動かなければ誰も解決しようとしてはくれない。自分も初めは楽しくてやっていた。ただのスタッフの一員であれば言われた事をこなしながら楽しさを享受できれば十分満足に感じていたと思うし、そうしていたと思う。しかし、自分には責任がある。まずこのあたりで自分と周りに熱量のギャップが生じる。もちろん熱量の大きいメンバーもいるが。そこをどう上手く埋めていけばいいのか、僕は未だに正解がわからない。

 「自分がこの組織率いていかなければ」と思えば思うほど、組織が自分主体、まるで自分の物かのように思えてくるし、そうなってしまう。そうすると周りの仕事に求めるクオリティは上がってしまうし、口出しをしてしまう。自分と同じ熱量を求めてしまう。それでは不和が生じるので全て自分でこなすことでなんとかしようと思うようになる。そうするとますます組織の占有化が進んでしまう。そして、自分のキャパシティに限界が来た時。メンバーから指摘された時。いずれかのタイミングで自分がそのスパイラルに陥ってしまっていたことに気がつく。もっと周りを頼り、もっとみんなでやっていこうとここで思う。

 いざ周りに仕事を任せてみると、クオリティ、速度に納得がいかない。周りに判断の意見を求めてみるとレスポンスの遅さにイライラする。試しに自分から何かを考え、提案する事をやめてみると誰もなにもいわない状態が続く。学生団体の難しさはここに尽きると思う。会社は給与、解雇、社会的責任を用いて周りの熱量をコントロールすることが容易だ。学生団体ではそこが非常に難しい。

 これらを辿って、現時点の僕が思う一つのやり方がある。それはこの組織を「どうなってもいい」と思うことだ。逆に会社では社会的責任が大きいからこの手法は使えない。学生団体であるからこそできる思考法である。僕らになさねばならない命題は無いしクオリティが低かろうと自己満足度の問題である。だから「まあ最悪どうなってもいいか」と思うことで全て許容できるようになる。代表として責任を果たすために無責任さを取り入れる、という手法がいいんじゃないかと思っている。

 そう思ってから仕事を任せて何も言わずにじっと待っていると、思っていたよりもクオリティが高かったりする。僕は自分を過大評価し周りを過小評価してしまっていたのだなぁと気づかされた。物事の進捗は亀並みだが、ウサギと亀の話にもあるように元々これくらいが適正なのかもしれないと思う。とは言ってもいささか遅すぎるように感じもするのは、自分の卒業が近づいてきたからだろうか。卒業までに組織がずっと先まで続くように自分の責任を果たしたいと思いつつ、葛藤が止むことは無いなぁぁぁぁぁあああああああああああ

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