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見なきゃいいじゃんというオタクへ

「この件に関して不快な思いをするなら見なきゃいいじゃん」って主張を中西アルノ関連のツイートでよく見るようになった最近


ずっとこの表現に違和感があってでもそれをうまく言葉にできないまま数日が過ぎていた


でも、ようやく腹落ちしたので書いていこうかなと


見なきゃいいじゃん、やらなきゃいいじゃん、聞かなきゃいいじゃん

なにか大きな問題やストレスが目の前にある時に自身の心の声、あるいは他者からささやかれるこの誘惑に満ちた一言にどれだけの価値があるのだろうか


例えば、グロ画像や生理的に受け付けない映像描写など、その場さえ凌いでしまえば今後に何ら影響を及ぼさないものに関してはこの誘惑に誘われてもいいと思う


しかし、この問題やストレスが、自身に対するいじめや勉強でのつまずきなど今後に影響を与えるものだったらどうだろうか
いまこの場で逃げ出すことが果たして自分のメリットとなりうるのだろうか
一歩踏み出し教師に相談するとか、苦手科目と向き合い勉強を行うという逃げ以外の一手を打つことが解決に繋がりはしないだろうか


今回の中西アルノ騒動では後者であると考える
なぜなら、乃木坂オタクが今まで通りオタクを続けるのか、乃木坂運営と中西には不満があるが推しメンは応援するのか、それともオタクをやめるのかという三択を迫られているからだ

多くのオタクが今この三差路に立っている


今後に大きく関わる状況で嫌なら見なきゃいいじゃんなどと抜かすオタクはこれまで逃げたことしかないのだろう、逃げでポジティブな結果が得られると誤解している浅はかな思考の持ち主だ

もしそうではないならこの場でそんな発言は出てこないはずだ

勉強が嫌になった時に勉強から逃げ、自分の天井が見えたところで部活をやめ、なんかだりーみたいな理由でバイトをやめてきたのではないだろうか、憶測にすぎないが


オタクはいまこの状況だからこそ、不快なこの騒動と向き合い、暴言ではない手段で意見を発信し、他者の意見を吸収することでさらに自身の意見を洗練させることが必要なのではないか

そう振る舞う事で初めて自分がこれからどうしていきたいのかがはっきりすし、これは逃げでは永遠に達することのない結果となる



最後に、過度な中傷を扇動する意図はないことを断っておく


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