見出し画像

善行と罪の数え方


これは星野みなみについて記事である

しかし、星野みなみを断罪するための記事ではないことを冒頭で断っておく




星野みなみ

1998年2月6日生まれ、乃木坂46の1期生として加入し生生星として1stシングルのフロントを務める。現在に至るまで無邪気なところも含め可愛いの天才として選抜常連メンバーに名を連ね乃木坂46の成功に貢献する。


星野みなみの説明はこんな感じでだいたい適当であろう


彼女はわがままな妹キャラを武器におおくのおにぃ¹をファンとして取り込んできた

そしてそれと同時にメンバーに対しての行いがファンに、メンバーに評価されてきた

例えば、活動再開後居場所が無い秋元真夏と唯一普通に接していたのは彼女であるし、不倫報道により紅白に出場できず(憶測含む)針の筵となっていた松村沙友里に話しかけたのも彼女である。

こうした彼女のやさしさを象徴するエピソードには枚挙に暇がない。


俺は彼女の事を推すことはなかったが乃木坂に必要な存在であると思っていた


しかし彼女の不動と思われていた評価は昨年の9月22日に大きく揺らいだ


御曹司との文春砲である

路上抱擁と恋人繋ぎが報じられ、また後日、本人のブログにより行われた釈明がマズかった。不文律として恋愛禁止であるグループにおける彼女の軽率な行動と、あまりに拙すぎる釈明文にそもそも社会人としての品格などが問われ多くの批判を浴びた。


擁護派と批判派について整理すると3タイプに分かれているように感じた

①彼女の文春砲は確かに良くなかったが、これまでの貢献を加味して許そうという擁護派 (これまでの行い)-(文春砲)=擁護 の等式

②これまでの貢献と差し引きした結果の批判派 (これまでの行い)ー(文春砲)=批判

③これまでの貢献と今回の事件は分けて評価した批判派 そもそも別な式

②と③は似ているようで異なる、同じ計算式の中に善悪が組み見込まれているのが②で、善と悪で別な計算をしているのが③だ

ここでは、なにがあっても悪くないなどという輩のことは論ずるに至らないので無視する


さて、ようやく本題に入る

善行と罪の数え方についてだ

俺はそれぞれの事象を個別に判断していく必要があると考える、なぜなら日本の司法がそうであるからだ

上述の分類わけでいうところの③がこれにあたる


例えば、日本のアイドル界に多大な貢献をした秋元康がもし仮に人を殺めたのであれば確実に裁きを受けるだろう

なぜなら、これまでの貢献と罪は別なのだから


上級国民だと揶揄された飯塚被告だって結局は罪に問われている


こうやって例えることで理解できるはずの当たり前の構図をアイドルの事になるとうまく置き換えれず、見当違いな軸で論理を展開する①と②のような人がいるせいでこの件はややこしくなったように思う


この件における適切な行動は以下の通りであったのではないかと思う。
ファン:善行と罪をそれぞれ別に分けて評価し、批判をする。
星野みなみ:状況と今後の対応についてはぐらかさずに説明し謝罪をする。


これができていたのが松村沙友里だ

松村は紅白出場を逃した責任の一端を担い、多くの批判を浴びた。悲しみの忘れ方ではメンバーからもそういった批判のようなものを受けていた

裏を返せば、これをしないことには松村や当時批判をしていたメンバーに顔向けができないはずなのだ


この対応ができていれば予定よりも早く、追われるように卒業する未来は待っていなかったのではないか


許しだけがやさしさではないということに気づく日が来ればいいなと思う


not


¹おにぃ:らじらーサンデー内で多用される、ロリコンファンの総称

補足:付き合うこと自体罪ではないだろという意見に対する回答として、恋愛禁止が不文律として存在している。これについて複数のOGが明言しているため、犯罪ではないが世間一般が認知しているハウスルールを破ったとの認識でいる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?