ふわふわしている
2024年9月3日
・気がついたら9月になっていた!いや~。びっくりびっくりです。結局海開きしてから1度しか海に入らなかった。1年間、あれほど海開きを楽しみにしていたのにねえ。
・梅雨より雨が降っている気がします。毎日雨が降っている。まだ関東だからこれでもマシなのだと思う。銭湯でマダムたちが、稲の刈り入れの時期なのに雨で稲が倒れてしまって、もし米から芽が出てしまったら売り物にならなくなっちゃうから大変だろうねという話をしていました。圧倒的に世代が違うが故の知識ですごいなあと思いました。
・数日前にモノノ怪というアニメの映画を見に行きました。正直個人的にかなり微妙でした。でも、その微妙さを3000文字ぐらいで言語化している途中にその映画の予告をYouTubeで見たら、コメント欄がその映画を楽しんだ人たちばかりでした。なんかあらゆることで思いますが、それを楽しんだ人にはかなわないなあと思います。批評的な観点に意味がないとか、そういうことを言いたいわけではないのですが、なんとなく言いたいことが伝わったらいいなと思います。
・伝わったらいいなと思います、という言葉は圧倒的な違和感があり、書いては消してを繰り返したのですが最終的にはそれ以外の言葉が見つからないのでそのままにしました。自分が誰かの視線を向けられるような存在に値しないという事実が何度も何度も頭によぎる生活をしているもので、誰かに影響を及ぼす可能性がある事実を考えると頭がおかしくなりそうです。
・ここ1週間はそれまでに比べると調子は良かったです。それまでがぶっ壊れすぎていました。前回の投稿を書いた前の日が局所的に調子がよかったのですが、さすがにその日に比べるとそれ以降は調子が悪いです。でも、毎日首を吊ることを試みることはなくなりました。なんで生きているのかが分からない毎日ですが、死ぬことともある程度遠い日々です。
・1週間、文章は全く書いていませんでした。あ、例の映画が微妙だった理由だけは書いていました。自分についての文章を書くと、元のめちゃくちゃ狂った状態に戻る気がして怖かったからです。ていうか、そもそも文章を書く気力はありませんでした。過去を振り返ることなんてもう考えられなかったです。でも、頭の中で過去の歪みを再現しては、自分がいかにこの世に存在していけないのかということが思い浮かんだりしていました。
・自分が本当に穢れている気がして、誰かのそばに居続けることが申し訳ないです。1か月ほど、誰かを求めているはずなのに誰にも会わない日々を続けていますが、誰かが自分のそばに来てしまったら自分の穢れが移るような気がするので、それをとても恐れています。自分と認識されない場所のはじっこにいることはできるので、銭湯やスーパーには行っています。今日はカフェに居ます。カフェも大丈夫。でもこの前、地域が主催しているヨガの教室に行こうとしたのですが、そこは恐ろしくなって行けませんでした。全面が窓張りの教室だったのですが、すでに来ている人がいくつかのグループになって話していて、そこに自分の穢れを流し込んではいけないと思いました。それだけではなくて、なんだかみんなちゃんとしていました。人間の形をしていました。私は人間未満だからここにはいちゃいけないなという感じがしました。そこまで20分ぐらい歩いて行ったのですが、そのまま帰りました。
・人間未満になってしまうと、人間に戻るためにとても力を要します。すでに狂っている状態で、さらにそこからひとりだけで頑張るというのは不可能に近いです。しかし、誰かに力を貸してもらおうとすると、その誰かには人間未満の自分が迷惑をかけることになります。人間未満の自分には、この狂いを招いたような歪んだ考え方や行動原理があり、それをそのままに誰かに接することになってしまうのです。でも、その歪んだ考え方・行動原理を直すには、いちど人間に戻らなくてはなりません。人間未満の状態では、それに向き合うようなパワーに欠けるし、そもそも脳内が狂っているので安定した思考ができないのです。人間未満から人間に戻るためには誰かの視界に入ってもいいと思えるような感覚を取り戻す必要がある、でも人間未満のまま知人に接してしまうと、その人のことを大切にしたかったはずなのに迷惑がかかる、しかし人間に戻らないと迷惑をかけるような歪んだ回路を修復できない。それならばと自分ひとりの状態で、自分はこの世界に居てもいいと思えるように自分を論理的に導いていこうとしますが、自分ひとりで一瞬その思考に至ったとて、自分にとって現実はひとりの状態なのでそこに現実が伴わないのですから何の意味もないし、第一そのような思考を一瞬したとしてもそれ以上の力で自分の存在を抹消しようとする力が働く。すべて意味がないのです。
・あのとき、自分は自分よりも状態の悪い誰かを拒んだという記憶が蘇ります。一度ではなかった。自分を守るために、突き放したりうっすらと距離をとった人は何人かいる。それはしょうがなかったと思います。第一、今の私の状態で、私と同じような人間に助けを求められたとしたら私は助けれられない。でも、それをしてしまったから、今の自分は誰かに助けを求めてはいけないのだと強く思います。そして、今の私を誰かが拒むとするならば、その人たちにもその回路は植わってゆく。自分が駄目になってしまったとき、自分はひとりにならなければいけないのだという呪いは拡散していく。そもそも誰も、それまで仲良くしていた人を拒みたくはないのです。でも、そうなってしまったら、そうするしかないことがある。呪いは拡散する。出発点が自分だったから、私がどうにもできなかったことを心の底から申し訳なく思います。自分が憎い。存在をさかのぼって抹消したい。
・過去を振り返って、そしてそれを心理学の観点から見直したりした日々があったから気がついたことですが、自分の考え方、行動はすべて歪んでいました。その歪みが私の周りの世界をすべて呼び寄せた。その歪みが生じた理由までさかのぼっても、結局のところその理由すらも自分がそう受け止めて認識したからという所に行き着くので、原因も結果もすべて自分の歪みの範疇だったわけです。時間をかけてその歪みを正してまでこの世界を生きたいと思えないところが自分の弱さです。
・自分が生まれて生きてしまったことにおける唯一の良心は、自分がこの歪みを望んでいなかったことです。私だってこうなりたかったわけじゃなかった。もっといくらでもいるほかの人のようにうまく生きたかった。自分がもともと持っていたものがおかしかったのは認めるけれど、でも、それを持って生まれることを自分は望んでいなかった。それは、自分が唯一被害者でいられる部分です。でも、他の人にとって自分がそれを望んでいたかいなかったかということは関係がない。私が起こすすべての行動が他者にとっては私に起因するものである。私がすべてどうにかしなければならない。そうでないと、自分が動いていった場所全てに歪みをもたらすことになる。台風みたいなイメージを持っています。その狂いをすべて自分で鎮めないとそもそも他人と関わることすら許されないわけですが、それをひとりでやるだけの力を持ち合わせていない。
・私はずっと同じことを書いていて、苦しみに浸って快感を得ているだけですね。滑稽です。
・すべて間違えていた。でも、すべて間違えてから気がつくのでは遅すぎました。この期に及んでカウンセラーに頼むのはお金がかかるから無理とか思っている自分は救いようがありません。お金を払って合法的に迷惑をかけられるような他人はカウンセラーぐらいしかいないのにね。めちゃくちゃ精神科医も調べたけれど、治したい人が纏っている灰色な感じを纏いたくないという謎な理由で精神科医の治療を受けようとしない自分は救いようがありません。苦しいけれどいまだってそこそこ生活できているのだからわざわざ薬を飲んで、正常に戻す対象として見られるような環境に自分を浸すことがいいことだと思えない。精神科医の動画を見るとき、話している人自体はいいなと思えた場合でもコメント欄の感じはかなり地獄だと思ってしまう。治すより遊びたいと思ってしまう。治すことの目標はまともな人間になることであり、そもそも目標が灰色なのでそれを目指している人間が笑っている感じはない。でも、遊ぶことを考えられるようになると渦中も面白いような気がしています。歪みをほどく作業を苦しいものだと考えることがほとんどですが、なんらかのゲームのミッションのようにわくわくするタイミングもあって、そういう感覚を大切にしたいです。
・っていう理想論のせいでお前はずっと溺れてるんだよ(笑) そのまま死ね。
・なにを書きたくてこれを書いているのか全く見当もつきません。
・青森にめちゃくちゃイケてるスーパーがあるらしいです。NHKでみた豊島美術館にも行きたいです。SCP-173の元になった作品がいまなら東京都現代美術館で見られるらしいです。大阪にあるでっかいホームセンターにも行きたいです。肩が硬くなってしまったので、キャッチボールとかしたいです。散歩もひとりだとクソつまらんのでやる気にならないですが、誰かと一緒だったら楽しいだろうなと思います。今の感覚として一番大きいのは「つまらない」と「疲れた」です。この生活はつまらんすぎる。ひとりで楽しむことが私は致命的に苦手です。それをどうにかしなければと日夜考えていますが、結果的になんもできないです。映画、アニメ、マンガを見たり、読書をしたりすることにのめり込む能力が明らかに私にはない。いくら試してみてもできないので、呪われていると思っています。それならアウトドア系の趣味はどうかといわれると、まだ一人でも可能ですが、ぶっちゃけアウトドア系の趣味はすべて誰かと一緒の方が楽しいです。誰かと一緒に居つづけるとそれはそれで疲れると思いますが、今が圧倒的にひとりなのでその感覚を忘れつつあります。
・自分がもっとちゃんと無害だったらよかったです。ごめんなさい。
・さようなら
追記:
・モノノ怪のアニメはガチでめちゃくちゃいいぞ……。世界観とストーリーが死ぬほどいい。一つの物語が2話~3話で完結するのもいい。あと薬売りが妖艶すぎて気絶する。薬売りほどの美しい人間はこの世に存在しない。個人的には映画をみてがっかりするぐらいならアニメをまず見てほしい。モノノ怪の前に怪~ayakashi~というアニメの後ろ3話が薬売り主役のアニメだから、まずそれを見てからモノノ怪を見てくれよな。
(ayakashiは完全に違うストーリーが3つ組み合わさっていて、その一番最後の薬売り主役のところがめちゃくちゃ評判良かったからモノノ怪ができた)
・かたつむり。今日だけで30匹ぐらい見た。人生でいちばんかたつむりを見た日。
・墓に居た猫。今日だけで8匹の猫を見た。引っ越してから最多。
・ぐちりさんの『オルソドクシア』。調声がめちゃくちゃいい。機械っぽい感じなのにこんなにすんなりはいる体験は初めて。世界観も好き。2番のサビ前のステンドグラスのところが気持ちよすぎる。
・夏山よつぎさんの『ころしちゃった!』 おしゃれすぎる。サビがスタイリッシュで大好き。
・アメリカ民謡研究会の『貴方だけが、幸せでありますように。』 アメリカ民謡研究会の曲はすべてなんか本当にすごいけれど、曲に浸る気持ちよりも、すごいと言える自分でありたい気持ちが肥大してしまうから己には何も言えない。この曲はめちゃくちゃいいってちゃんと言えるから唯一載せられる曲。いつかコメント欄で「アメリカ民謡研究会の曲は小説みたいで好き」みたいなコメントを見たけれど、それはかなり端的で正解であると思う反面、これをそのような表現で収めることは罪だろとも思うので、口をつぐむしかなかったりする。
・おわり~
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