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いろいろあって私は死にかけている

2024年7月28日 (約8300文字あるので気をつけたまえ)

・笑ってしまうぐらいにいろいろなことがあった。頭の中が混乱している。ガラス戸に反射した自分の歩き姿を自分で見てみたら、驚くほどに猫背だった。実家を出る前ぶりの猫背である。ずっとしんどかったけれど、今はかなりしんどいと思う。

・まず、オイルの施術の研修が終わり、お客様に施術をするようになった。これはまだいい。7月9日にある方にお会いして以降、アフリカに行くことを決めたので、いつ仕事を辞めるかということをずっと考えていた。考えれば考えるほど、やらない理由は見つかったが、やる理由はほとんど見つからなかった。唯一やる理由として挙げられるものがあるとすれば、安心のためという理由だった。慣れている仕事を続けられたら安心する、帰国後も同じ仕事ができればイレギュラー続きにならなくて心が安定する。ちなみに、私がこの仕事を好きなのは、施術の時間内は無心になれるうえに、身体を動かす感覚が好きだからだ。やる理由にも、仕事が好きな理由にも、お客様は入ってこない。お客様という言い方はずっと嫌いだったので、言い方を変える。私がこの仕事で感じている旨みは、目の前の人間とは全く関係がないものだ。私は目の前の人間とかかわりたいと思っているが、それはこの職場のマッサージやマッサージをしながらの接客を通してではないということに気がついた。デスクワークをしているからお疲れなんですねとか、肩の張りに左右差がありますねとか、そんな会話で終わりたいわけではない。さらにいうと、マッサージをすることが相手にとってよいことなのかどうか、もしよいことなのだとしたらどのような状況下・方法のマッサージならば相手にとって真によいことなのかを私はまだはっきりと理解していない。これは私の直感なので全く間違えている可能性があるが、「体がガチガチですね」「すごく張っていますね」という声掛けは害になる可能性が高いのではないかと感じている。医者ではないのだから話半分に聞こうと思っても、そういう声掛けをされたら無意識にそれが脳内にインプットされるものだと思う。ふとした瞬間に、「そういえば自分って体がガチガチだったよなあ、だからかなあ」と思うだろう。たぶんだけど、身体が全くもって歪んでない人なんてほとんどいない。生活の性質によって固まりやすいところは誰にだってあるだろうし、それ自体は全く悪い事でもない。でも、それに悪いラベリングをして、あまつさえマッサージでしかそれをほぐせないとインプットをしたら、マッサージに依存してしまうのではないかと思う。

・いや、そこまで思っていたわけではないけれど、でも目の前の人に「全身ガチガチですね」「肩がすごく張っていますね」というときには、常に胸にざわつきが残った。その「不具合」を解消しきれていないと私は知っているからそう思うのだろうし、また、マッサージは根本的な解決法ではないと感じていたからそう思うのだろう。前者ははっきりと、後者はぼんやりと胸の中にあった。私は私のことを詐欺師だとずっと思っていた。本当に思っていないことを目の前の人間に言っている。自信がない施術を人に施している。だから後ろめたかった。

・目の前の人間に対して不誠実だと思う理由はほかにもあった。私は、目の前の人が癒されるかどうかについてはまるで興味がなかった。いや、気持ちよかったと言われると安心はした。でも嬉しいとは違った。施術が不安だから、大丈夫だと言われると安心する。しかし嬉しい気持ちはないので、自分にとっての施術を上達させることの目的とは、この時間が平穏に終わることだった。指名が増えなくて、表面上は焦っているふりをしていたが、実際はこのままでいいやと思っていた。施術を上達させる気がないことも薄々気がついていた。


・マッサージを始めた理由はたくさんある。まず、東京にしばらく定住して、そこで過去の言語化を進めながらできる仕事をしようと思ったからだ。物理的な旅からは一度離れる決意をした。定住するなら、長期でスキルを磨けるマッサージの仕事はうってつけだとおもったのだ。そのような目論見が具現化するよりもずっと前からマッサージの仕事をしたいと思っていた。人のぬくもりが好きだったからだ。今になって思うが、誰でもいいわけでは全くなかった。でも、それはこの仕事を始める前にはわからなかった。あと、言葉以外の繋がり方を見つけたかった。体を動かしたかった。イレギュラーがあまり多くない仕事がよかった。

・でも、過去の言語化をやらないと結論付けてから、東京にいる意味が全くなくなってしまった。強いていうなら、自分は住まいや仕事が変わると心の安定感がなくなってしまい、再び安定するまでに時間がかかるので、乱れる恐怖に飛び込まずに安心するためには東京にいる必要がある。でも、生活を安定させるために生きているわけではないので、いずれはその不安から抜け出して外に行けたらいいなと思っている。そして、人のぬくもりに触れたいという邪悪な目論見も、いざ仕事をはじめてみたら、それによってテンションが上がることは全くないことに気がついた。一応、知り合いや友達にマッサージをやることを想像してみるとそれはテンションが上がるが、それはマッサージである必要は全くないなと思った。余談だが、私は知り合いや友達に自分のマッサージを勧められない。技術もないし、そもそも自分のマッサージの効果が本当によいものであるのか確信が持てないからだ。家族や知り合い、友達に勧められないものを目の前の人間にやってしまっているというのは、かなり自分をげんなりさせた。唯一当初の目論見通りだったのが、身体を動かすことと、イレギュラーが極力ないということが自分にとってかなりあっているということだった。


・2000文字も書いているのに、全然進んでいないな。7月9日ぐらいから私は仕事をいつ辞めるか(長期休暇をとってアフリカに行くか、12月末ぐらいまで働いて辞めてアフリカに行くか、今すぐやめるか)で迷っていた。そして冒頭でも書いたが、そんな矢先にオイル施術が合格し、お客様に施術を開始した。

・私はオイル施術でデビューしたら、ある方の施術を受けに行こうと思っていた。その方は、私がマッサージをやりたいと思ったきっかけの一部になった方だ。その方は、去年の5月にある単語でインターネットで検索したことによって出会った。私がインターネットで検索をしたときは、路上マッサージをしつつ旅をしている人はいないかなと思って検索をしたのだが、見事それに該当する人が出てきたというわけだ。というか、その方はマッサージをしながら世界一周したのだが、その経歴がメインにならないぐらいにいろいろとご経験されている方である。わき道にそれるが、おそらく私がその方の存在を知った数か月後にその方と私が尊敬している別の方が出会ったことを知り、そんなことあるんだと驚いた記憶がある。ずっとその方の施術を受けたいと思っていたが、その方のメインがおそらくオイルでの施術なので、オイル施術がデビューした暁に行こうと決意していたのだ。

・施術を受けに行ったのが1週間前か。時間の流れが濃密すぎて、結構前に感じていた。私は、仕事を辞める時期を検討し始めたときから、仕事に対して批判的な目を向け始めた。正確には、しがみつかなければと思う気持ちが薄らいで、本当はどう思っているのかということを直視し始めたということだ。本当に思っていることをそのまま見ることに決めてから、どんどん疑念が膨らんだ。マッサージは悪いものであるから離れたいのか、それともマッサージは極めたら素晴らしいものであるが自分が自分としてそこにいることは難しいから離れたいのか、それを見極めたかった。マッサージを極めたらその先に何があるのか、それを知るためにその方を訪ねた。

・いや、厳密にはそれだけではない。マッサージの仕事を辞めるかどうかという問題に関して、何か漠然としたヒントがほしかったというのもあるし、それだけではなくてアフリカへの行き方についても知りたかった。入国審査の前にホテルの予約はすべて必要なのか、ホテルやツアーなどはすべて事前に日本で調べておくべきなのか、乗り継ぎの国には滞在したのか、そもそも費用はどのぐらい必要なのか……などなど、調べていくうちに予想以上に知らないことが多くて半ば投げやりになっていた。ていうか、目の前のすべての物事が自分の手には負えなくなっていて、半ば投げやりになっていた。



・この調子だといつまで経っても書き終えられない。実際に彼女にお会いして気がついたこと。まず、マッサージも接客も極めたら本当に素晴らしいものであるということ。そして、自分は同じようなことをやりたいかと言われたらそういうわけではないということ。癒すより、もっと荒々しくて、わくわくすることをしたいと思った。でも、彼女がつくっている空間と時間は素晴らしいものだった。この2つが違和感なく自分の中に両立すればいいなと思う。
・あと、思ったよりも簡単にアフリカに行けるのではないかと思い、希望が持てた。というか、アフリカに行くぐらいならば世界一周とは言わずとも、ついでにいろいろな国をまわってもいいのではないかと思った。あと私は初めて知ったが、カンボジアはアフリカではないらしい。アジアだった。タンザニアはアフリカ、カンボジアはアジア。なんと隣にタイがある。知らなかった……。
・そして彼女は、よりコアな話をするため、自分のやりたい施術をするために自分のサロンを作ったのだと話した。後者については私は知識不足なので何とも言えないけれど、前者はすごくよくわかるなと思った。人と繋がれるのならば(ここはちょっと曖昧)マッサージでも占いでも何でもよかったと話していた。私はマッサージによって生まれる、癒し~って感じの空気感になじめない感覚を抱いていたが、コアには人と繋がりたい気持ちがあることを改めて感じた。マッサージや接客に違和感があり、目の前の人間と繋がる気持ちが湧かないからといって、そもそも人と繋がりたい気持ちが欠けてしまったわけでは全くなかった。
・さらに、私は解剖生理学を勉強したり、施術を上達させたりなどのやる気が足らないことがかなり後ろめたかった。いちばんひっかかっていたのは、近日中に控えているマッサージの資格の勉強を全くやっていないことだった。上にたんまりとやめたい理由を書いたが、直近で辞めるか、はたまた海外に行くお金を稼ぐまで続けるかで悩んでいる一番大きな理由はこれだった。しかしやる気がないのでやめるか悩んでいると伝えたら、「座学と実践のどちらが自分に合うかは人によって違うから、座学のやる気が無いからといってあきらめる必要は全くないよ。10年この仕事をやっても、座学はそれほど必要ではなかった」と教えてくれた。施術を教わって真似してやってみる時間自体は楽しかったので、救われたような気持ちになった。


・様々な発見をして、その日は久しぶりに「なんかやれるかも」という気分になった。それは、仕事に対しての考え方を先に進めることも、アフリカに行くことも。マッサージは極めたら素晴らしいものであること、自分が後ろめたさを感じていたことの一部は自分が捉えていたよりも大きな問題ではないこと、それでも自分はこれをしたいわけではないということ、いろいろなことを頭の中に留めながらも、次の日の仕事に臨んだ。仕事中は、いずれこの仕事は辞めたいなあと考えつつ、目の前の人と繋がるために心のこもった接客をしてみることを試みたりしていた。

・そうしたら、その日の最後のお客様からはじめてクレームが来た。はじめてというのは、5か月ほど働いている中ではじめてという意味だ。これまでたくさんの整体を受けてきたが、このひとは到底店に立たせられないレベルの施術をしている、このスタッフを店に立たせる判断をした責任者に問題があると店の責任者に対して怒っていた。私には一切怒らなかった。クレームをもらったことはショックだが、それ以上にショックだったのは、それを経てなお全くやる気が出なかったことだった。施術を上達させたいとか、目の前の人間に喜んでいただきたいとか、そういうことは一ミリも思わなかった。この瞬間までは、アフリカに行くお金を稼ぎきるまではこの店で働こうと思っていた。でも、目の前の人間を惰性でやりすごす時間を、たとえ数か月であったとしても持ちたくはないと思った。次の日は休みだった。その次の日、私は店の責任者に辞める意志を伝えた。

・ここまで書いていなかったが、すぐにこの店を辞めるかしばらく続けるか悩んでいる大きな理由がもう1つあった。それは、店のリーダーが産休で一時的にいなくなるからだった。店に在籍しているのは、もうすぐ臨月(というかもう臨月かもしれない)のリーダーと私だけだ。もう一人ほとんど店に在籍しているような先輩のヘルプと、ほとんど店に在籍しているようなものの一応本社勤務の講師と、あとは研修生が数名居るのだが、この店の運営についてかかわっているのはリーダーと私だけなのだ。私もつい最近、リーダーがしばらくいなくなるからということで運営についてのいろいろを教わった。レジや運営、オイル施術を現段階に合わせてすべて覚えたのは、リーダーがいなくなることがわかっていたからである。そんな私が今すぐいなくなるということは、リーダーをはじめ、技術を教えてくださった講師や店のスタッフを裏切ることになる。正直、私はたかが入って半年のバイトにそこまでの責任を背負わせる店はどうかしていると思うし、そもそも当初配属希望だった店から離れてこの店に来たのも研修生の受け入れ態勢が整っていて他の経験豊富なスタッフから施術を見て学ぶ機会に恵まれている店だったからという話だった。などと、いろいろ理屈を並べて否定することはできなくはないが、みんな優しかったので、心は揺れる。優しいなんてあたりまえだし、辞められない理由がみんな優しいからだけだったらまあ大抵自分にとって続ける意味などないのだけれど、それでも裏切るのはつらい。責任者(講師)には、せっかくここまで教えてきたのにねと言われてしまいました(泣)。こんなことを書いていたら、いやこっちが泣きたいんやがと講師に言われてしまいます。ちなみに、講師に辞める意向を伝える直前まで、2日前にいただいたクレームを踏まえて講師に研修をしていただいており、辞める意向を伝えた後もまだ研修の時間は残っていたのですが、こんな修羅場のまま研修なんてできないので研修を打ち切り、休憩に入りました。そうして休憩明けに、私はそのままお客様の施術に入ったのですが……。

・はい、クレーム再びですね。いや~すごいですよね、5か月クレームをもらわなかった人が2回連続でクレームをもらうっていう。もうこれ「辞めたい」「やる気湧かない」っていう気持ちがお客様に伝わっているじゃん……と私は完全に思ってしまいました。クレームの謝罪はどちらも講師がやってくださったのですが、特に2回目なんて、これから辞める人間の尻拭いをさせられているっていう感覚でひたすら謝るわけで、最悪ですよね。もうめちゃくちゃ申し訳なかった。私も2回目は完全にパニックになってしまって、まともに話せなくなってしまったので、すべて任せてしまったし。

・これで、さすがにやばいってなったんですよね。その日はそのままお客様には入らずに研修生の研修にお供し、翌日すべての施術を一度振り返ることになりました。その日は講師がいなかったので、おそらく臨月のリーダーにいろいろ教えていただきました。多分、リーダーにはまだ辞めようとしていることが伝わっていないんですよね。7月末なので、あと5日ぐらいしかないなかで、かつ戻ってくるのもだいぶ先という状態で、わざわざ心労を増やしたくないという本社側の計らいだと思うのですが、それにしても、研修の相手が辞めることを知らずに研修させてしまっているのが申し訳なくて申し訳なくてしんどかったです。もちろんですが、もう私も全くやる気が無くて、というかモチベーションが皆無なのにお客様に実際に施術をすることがお客様に対して申し訳なさ過ぎて、だから頑張って教わったことを覚えなければいけないけれど覚えるモチベーションがないから辛くて……という永遠ループで文字通り死を覚悟しました。

・そして今日、講師にうつ伏せの施術を再度教えてもらって、いざ再びお客様に施術をすることになりました。というか、昨日もなんどか施術には入っていたのですが、今日はもう本当に何のやる気も出なくて、あと1ヶ月も持たないということを強く感じました(最低でも8月末までは施術に入らなければならないので)。でもすでに8月のシフトも入ってしまっているし、すでに今やめるという最悪な裏切り方をしてしまっているので、この上今後の施術に一切入りたくないとどうしても伝えられず、お客様に施術をしなければいけないというストレスで胃痛と気持ち悪さが限界突破してしまい、今日はすでに入っていた施術を行ったのちに早退しました。


・ここまで書いて、自分は本当に辞めたかったのか、今すぐやめるべきなのか、そういうことが何もわからなくなっています。多分、今すぐ辞めることが一番いいとは思うのですが、頭の中がわんわんとうるさくて、何も考えられない状態です。わんわんうるさいまますべて書いたら7000文字を超えていました。もう自分は本当にどうしたらいいのかわからない。アフリカに行きたいのかどうかもわからないし。仕事を辞める必然性はあったとしても、この先なにか別の仕事をしたいわけではないので、これで本当にいいのかどうかわからない。というかまず今の自分はどう行動したら人間としてまともなのかどうかわからない。施術に入らなければスタッフにしわ寄せがいき、施術に入ったらお客様をぞんざいに扱うことになる。あと自分の精神が1ヶ月持つかどうかが分からない。私はどうしたらいいのか、誰か教えてください。部屋が汚れている。何もする気が起きない。明日休みで、明後日はまた施術が入っている。一度施術に入ったらそれまでのルーティンである程度心が鎮まるが、施術に入るまでが苦しすぎる。それは克服するべき弱さなのかがわからない。施術に入ったらある程度楽にはなるが、後ろめたくはある。

・夏なのに、海に行かないなんてどうかしている。猫に触りたい。

・今日、シェアハウスの同居人に、友達と飲みに行ったり遊びに行ったりしないんですか?と聞かれた。そういえば、最後に誰かと遊んだのっていつだっけ。5月?6月?そういえば東京都内にほとんど友達がいない。友達がいないとか書くと盛大に語弊があるけれど、気軽に遊びに行くような友達は全くいない。別にいないだけなので、それが虚しいとか逆にすっきりするとかそういうことはないけれど、強いて言うなら、自分が思っていることを決定打にする前にもっといろいろな人と共有しておけばよかったと思った。それは仕事においての話。辞めるという前に、自分が感じている違和感とかをもっといろいろなひとと話しておけばよかった。そうしたら、みんなが何を考えているのかを知ることができたのに。馬鹿にされるのが怖くて何も言えなかった、というのは嘘で、実際には私が他の人を馬鹿にしていたのだ。伝わらないと思っていた。伝える必要性すらも感じていなかった。それはほんとうによくなかった。それは心残りだ。


・とりあえず、2日後の施術が怖すぎる。施術だけではなくて、もう無理だと言ってしまうのならばそれが怖いし、それを言わないのならば1ヶ月極度の苦しみを抱えて施術にのぞまなければならないことが怖い。すべてに対していい顔をして自分が苦しみ続けることを「善人」と称して揶揄するとして、その反対が「悪人」であるとするならば、それを「悪人」と称することが本当の意味でしっくりきていなかったが、善人のルールにしたがって善人の仲間入りをして、その後自分の感覚を優先してそこから外れるというのは、善人からしたら明確に悪であるのだ。それが崇高な理由であったとしても、確実に裏切ることにはなるので、悪人なのだと思う。私が尊敬しているあの人の手は私が思うよりも遥かに血に染まっているのだと思う。



・疲れたので眠る。おやすみ。


・さようなら

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