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世界が遠い

2024年8月5日

・仕事を辞めてから私はものすごい勢いで瓦解していった。正確には半年かけてほとんど崩れていたであろう心をなんとか外側だけでも保っていたのだが、外側を保つ力が失われてしまい、外側が壊れたと思ったらその内側が何もなくなってしまっていたことに気がついた。

・自分はやれていると思っていた。しんどいことには気がついていたけれど、それでもベースには幸せがあったと思っていた。多分、自分はずっと力んでいた。そして自分に対して暴力を振り続けていた。

・わからない。上に書いたことはどのぐらい本当のことなのだろうか。自分はいまどのぐらい本当のことを考えていて本当の言動をしているのか。


・ここ3日食欲がなくて、1日に1食はご飯ものを食べて、後の2食ないしは1食はウイダーインゼリーを飲んでいた。なんか体重が1ヶ月で2kg減っていた。1か月以上前から自炊をほとんどしなくなっていた。冷蔵庫と冷凍庫の中にあるものを忘れてしまっていた。こんな情報に意味はない。

・私の感情があることに意味はないと心の底から納得した日があった。そこから持ち直してその極端な考え方からは自然と離れたと思っていたが、今になってその呪いがずっと自分を苛んでいたことに気がつく。あの人とコミュニケーションをとるときに自分が自分である限りは加害者になるということ。それは誰のせいでもないけれど、でもそれは事実であること。変わるのは自分しかいないこと。あの人ありきではなく、自分の力で立てるように人生を進めなければ明日はないことを理解して、そこから先は、うまく言えないけれどずっとひどく乾いていた。飢えていたというわけではなく、心がドライになっていたということ。多分それは、自分に対してドライになっていたのだと思う。あらゆる動作に対して、これができない、これをやらないぐらいなら死んだ方がいいよね、という印がついて、それをクリアできるほど自分は幸せであると思っていた。本当はあの人が好きだとか、そんなことはどうでもよかった。どうでもいいことにしないと正気を保てなかった。ある日、あるできごとがあり、私はひどく裏切られた気持ちになったが、裏切られたとちらっとでも思ってしまった自分が正しくなさ過ぎて許せなかった。裏切られた気持ちになったと素直に認めないとなんらかの調律が狂うだろうという予感はしたが、そんな予感は今までに何度もあったので無視した。本当はすごくすごく悲しかったけれど、その感情はこの世界にない方がすべてがスムーズに回るので、なかったことにした。「私のこの感情はこの世界にない方がすべてがスムーズになる」ということを、対人関係だけではなく仕事や自分が過去にやろうと決めたことなどのあらゆる場面において考え続けて、その通りに行動して半年、結果がこれだ。なんで生まれてしまったのか、なんでまだ生きているのか、それを四六時中考えている。本気で命というシステムを憎むようになった。自分の感覚、感情、思考、存在、すべてが不要であるという結論に達した。当たり前だ、自分がいないほうが世界はスムーズに回る。世界だけじゃない。自分が苦しまないで済む。苦しむよりも、そもそもない方がずっといい。

・誰かが「これがいい」みたいなことを言う。私はそれを完璧にできないから駄目だと思う。「完璧にできないので駄目だと思う」という極端な思考に偏ってしまう自分は駄目だと思う。「極端な思考に偏ってしまうことは駄目」という考え方をする自分は駄目だと思う。みたいなことを永遠と繰り返すのがデフォルトになった。3か月ぐらい前から極端に思考が巡るようになった気がするけれど、多分ずっとこんなことを考えていたと思う。

・アフリカに行こうと思っていたのは、それ以前の過去を言語化したいと思うことやマッサージの仕事をやりたいと思っていたことと同じだ。目の前に希望をぶら下げて、それに向かってひた走る。その間は幸せでいられる。その希望はたぶんハリボテではなかったけれど、過去の言語化やマッサージの仕事をどちらも諦めてしまったので、もうアフリカにも行けないだろうと思ってしまうようになった。そう考えたというよりも、今までやりたいと思っていたことが潰えたことの虚無感や絶望感が仕事を辞めたことで一気に押し寄せてしまった感じだと思う。多分、私はなにかをやりたいと心から望んだとしても、もうなにもやらない。


・死ねばよかった。でも、仕事を辞めてからはほぼ全く動けなくなり、死ぬために行動することが全くできなかった。だからまだ生きている。


・やっぱり、文章が全く書けなくなってしまっている。そういえば、文章が書けなくなってしまったこともとてもつらかった。なんで書けなくなったんだろう。わからないな。

・今は太巻きを食べている。より正確に言うと、さっきまで食べていたのだが、すっぱくてつぶつぶの粘土(繊維質入り)を食べているような感じしかしなくて、気持ち悪くなってしまったので、食べる気力が失せて半分ぐらい残したままこれを書いている。ウイダーインゼリーとプリンはまだおいしいけれど、白米とパン、麺類、シリアル、カロリーメイト、肉、魚、野菜など、ほとんどの固形物は食べる気が湧かない。昨日はチョコワッフルはおいしく食べることができた。ワッフル以下ならば食べられると思う。ワッフル以下って何だろう。みかん入りゼリーはワッフル以上、パンもワッフル以上、クッキー・チョコレートはワッフル以上、でもヨーグルトはワッフル未満だ。なにを言っているのだろうか。


・部屋は当然汚い。一本歯下駄の底に保護のために貼ろうと思って買ったバイクのタイヤ(17インチ)は、大きさはちょうどよかったが太すぎたため、そのまま部屋に放置している。タイヤが臭くて、それだけで希死念慮が湧く。大きいから場所も取る。タイヤはワイヤーが入っているので、切ることもできない。分厚いゴム板のようなものなので、もしちょうどいい大きさだったとしても切れなかっただろう。3000円以上払って買ったが、何にも役に立たずにお金を払って粗大ごみに出すしかないだろう。狂い始めてから、このように本当に意味のないものにお金を払ってしまうことが増えた。判断力が低下しているのか、運が悪くなったのかよくわからない。なんか、少し前までは追い風が自分をとりまいていた感覚が常にあったのだが、気がついたら流れが滞るようになったなと思う。


・誰かに助けを求めなければ本当にやばいことは分かっているし、誰か助けてくれと本気で思っているが、病院とかカウンセラーでない限り、誰か個人に助けを求めるとお互いに溺れてしまうし、溺れなかったとしても自分の事しか考えられない状態の人間に会わせてしまうのは申し訳ないので、引きこもる道を選んだ。こういう本当にやばい時期って、今までは誰からも連絡がこなくて、回復し始めたらなぜか連絡がくるというジンクスがあったのだけれど、なぜか最近普段の自分から考えたらかなり多くの方から連絡があって、引くかどうかを自分で見極めなければならなかった。本当は会いたいし、ひとりでふさぎ込んだら終わるかもしれないことは分かっていたし、引くという動作は自分をひとりにするので自分の行動によって自分が傷つくこともわかっていたが、会う理由がすべて自分にしかないので断ることにした。そして先ほど、すでに連絡をくださっていてある程度やりとりを進めていた方々全員に、断りの連絡を入れ終わった。余談だが、動けなさ過ぎて連絡をすることがとてつもなく気力を使う動作だったので、数日時間がかかった。連絡が遅くなってしまった皆様、本当に申し訳ございませんでした。あたたかいお返事をくださり、本当にありがとうございます。

・さあ、これで本当にひとりだ。これでよかったと思う。今までもずっとひとりだった。半年間、他人は等しく全員とんでもなく薄情だと感じていた。もちろんこれは実際にはそんなことはない。誰かに寄りかかりたいと思いながら他人を見ると、全員薄情に見える。自分一人で立った時に、初めて他人は思ったよりも自分に対して優しいことを感じるのだと思う。でも、もう私はひとりで立つための努力をしない。生きる努力をやめる。お金は1ヶ月生活できるぐらいはある。それまでに働こうと思ったらまた働くけれど、そうでなかったら、そうでなかったらどうしようか。そうでなかったら死ぬと書こうとしたけれど、死のうと思いつづけて早8年、一度も成功した試しはない。どうするんだろう本当に。

・そういえば、すべてやめるのだったら、このアカウントも削除して大丈夫だな。でももし死ぬとしたら、死ぬまで自分はこのアカウントを削除できないのだろう。だって、他人に死をちらつかせることで愉悦を感じるような終わっている人間だからだ。この文章は他人に自分の死をちらつかせることで愉悦を感じるために書いています。やったー。ここまで読んでしまったことをせいぜい後悔することだな。ざまあみろ。残念だったな。私は、今書いている内容がなにを意味しているのかほとんど理解していない。考えたことを指の動きに落とし込んでいるだけで、それ以上の意味はない。


・部屋にいるよりも歩いている方がまだましだということを感じたから、明日から旅に出ようかと思った。さっき。いつか、東京ー京都の間を歩いてみたいと思っていた。別に東京にも京都にも、その間の道中にも全く興味はないので、行き先もスタート地点もどこでもいいけれど、歩いたら少しは苦しくないかもしれない。なんでいずれ死ぬ人間が歩く必要があるんだろう。でもそれをいったらご飯を食べる必要も、文章を書く必要も、眠る必要もないはずだ。すべて放棄したらどこにいくんだろう。あの世?


・さっき食べていた太巻きは、キンパ風太巻きです。


・世界がすべて遠くなった。味覚が遠くなり、色彩が遠くなり、セミの鳴き声が遠くなり、他人が遠くなった。敷きっぱなしの布団の周りにあるゴミとか脱ぎ捨てられた服とかも遠いので、何も感じない。驚くことに、自分自身も遠くなった。離人感みたいな感じだと思う。自分が今ここにいることに現実味がないので、テレビを見ているみたいな感覚がする。喪失感をよく、心に穴があくと表現すると思うが、今は人型の空洞があるような感じがする。心の穴は自分の形の中心部分が欠けている感じだと思うけれど、自分そのものの形をした空洞が世界になぜかまだあるという感じがする。


・精神科に行ってくれ~~~~~~!!!!!!と思うかもしれない。本当にそうだと思う。だが残念なことに私は精神科の先生が超絶嫌いだ。カウンセリングも超絶嫌い。病院に行って先生と話す時間だけでも我慢して、薬をもらってでも生きてくれ~~~~!!!!!と言ってくれる人もいるかもしれないが、残念ながら今の私はそこまでして生きる意味がないと完全に思ってしまっているので、行かないと思う。じゃあnoteを汚染せずにひとりで勝手に生きて死んでくれ~~~~~~~!!!!!と思うかもしれない。いや本当にその通りです。本当にごめんなさい。マジで関わっちゃってごめんなさい。優しくしてくださったのに本当に申し訳ないです。私とかかわりを持ってしまったことが間違いだったと思ってください。実は、存在が呪いなんです。特急呪物なんです。もしこれを読んでくださっている方の中に呪術師がいたら住所を教えるので祓ってください。お礼に宿儺の指をプレゼントします。呪術廻戦はほぼにわかなので、上に書いたことの意味はよくわかってないです。

・こんな文章に惑わされずに、どうか心穏やかに生きてください。私のことは1ヶ月ぐらい忘れてください。1か月後に何事もなかったかのように復活していたとして、そのときまだかかわりを持ちたいと思ってくださったのならば、その時はまたよろしくお願いします。もし、1ヶ月後に何らかの理由で姿が見えなくなっていたら、その時はそのまま忘れ続けてください。夏は私の好きな季節です。楽しんでください。この前食べたスイカはおいしかったです。


・さようなら



追記:今の私の文章を読むのがしんどいけれど、フォローしてしまっていたら否が応でも目に入ってしまうので読まざるを得なくて本当にしんどい。という方がいらっしゃるかもしれないです。フォローを外してもらって全然大丈夫です!実は、私もフォロー欄がかなり精神状態に影響をもたらすタイプなので、時期によってフォローを外して後にまたフォローするということをやっていたりします。1度フォローを外して、もしその後私が回復したタイミングでまたフォローしたいと思ってくださったとしたら、そのときフォローし直してくださっても全然大丈夫です!嬉しい限りです。各々生きやすいように生きてください。お目汚し失礼いたしました。

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