耳が痛い痛い痛い
2024年8月1日
(紫色の空。人生で初めて見た。)
・数日前耳掃除をした。耳掃除っていって片耳だけ掃除してはいおしまいなんて人はこの世に存在しないと思う。もちろん両耳掃除したんだけど、そうしたら左耳だけ内側がはれ上がった。初めは、綿棒が強く当たったであろう一部分がほんのり痛いだけだったが、やがて耳から顎関節まで痛みが出てきて、眠れないほど痛くなった。こういうのを俗に外耳炎という。
・ちょっと前に、風邪と皮膚が細菌に感染して両目が腫れあがった時期があった。その時もいろいろ追い込まれていて焦っていた時期だった。免疫力が落ちると皮膚炎をおこしやすいのかもしれない。
・一昨日満を持して仕事を辞めた。1か月働かなければいけないだろうと思われたが、あまりにメンタルがやられて食べられない&眠れない状態ですと素直に伝えて素直に超絶謝ったらなんかすぐやめられた。
・最後に社長と2時間ぐらい話した。ほとんど仕事を辞めることについてとは関係のない話。私は社長に人間として惚れていた。そういう人間は今までそう多くはない。去年から今年にかけてかなり増えたが、それでも片手がギリ埋まるぐらい。社長から言われた話はすごく耳が痛いものがあった。別に外耳炎とかけたいわけじゃない。
・行動や生き方についてひとに面白いと言われると、猛反対されたり心配されたりするよりも断然嬉しくはあるが、同時にそこまで軽いものじゃねえとも思う。私が「面白い」ことをするのは、命を保つことを放棄しているからだ。これができなかったら、うまくいかなかったら死ぬ道しか残されないのだと自分で自分を追い込んでこの生き方に全て懸けているのだ。だから、間違えても、みんなこうすればいいのにとは思ってもいない。むしろ、こんなのやめておいた方がいいと思っている。普通に正社員になって結婚して子供を設けてマイホームを持って老後はゆったり暮らせるのならば、そんなに楽な道はないと思う。やりたいことをやろうとしたら、かなり苦しい。今まで受け入れていたぼんやりとした苦痛を一度取り除こうとしたら、どこまで苦しみを除いたらいいのかわからなくなる。答えは、正しさの中にではなく、自分の感覚の中にあるのだが、自然とそれまでは他者に幸せを規定されていたものを自分がすべて規定しようとしたら頭が狂いそうになる。規定された幸せの中で、例えばおいしいものを食べるとか、自分オリジナルの些細な幸せを導入するぐらいなら狂わないと思うけれど、本当にすべてをまっさらにして自分の幸せを追い求めようとしたらかなりしんどい。
・ちょっとまってマジで耳が痛いわ。なんなんこれ。痛み止めがないと耐えられない。さっきちょっと書いたんだけれど、顎関節まで痛いから、口開けるのもしんどい。昨日恵方巻みたいな切られていない太巻き買って食べたら死にかけた。切られていない太巻き大好きなんだよな。
・あー、なんか一般論みたい書き口で書いていると狂いますね。いやもうもとからかなり狂っている気がする。何度も書いているけれど、ここ半年は何が原因か分からないままに自分の精神が破壊されたような感じがする。精神が病んだとかそういう感じでもなく、なにかが明らかに失われてしまったのだけれど、でもそれをもう思い出せないみたいな。
・話を戻すけれど、私には自分の幸せなんてわかってないんですよね。そりゃ、何が好きか、何が嫌いか、今なにをしたいのかぐらいはわかるけど、でもそれって今の衝動の話で、今後人生でみたいな話でもないんですよね。だから容易に裏切られるし、表面上はとても満足しているはずなのにずっとかなり虚しいっていう。だから、生活の枠組みってあった方がよかったんだなって。でもですね、一度些細な違和感で仕事を辞めると、もうそのこだわりを捨てられなくなってしまうんです。個人的には全然「些細」ではないし、それを「些細」だと後々思わないようにいろいろ考えもするけれど、でも結果的に生活の枠組みを壊すことになるし、一度それをやるともうその点で妥協できなくなる。それのどこが「面白い」?
・とは思うけれど、この道を始めたからには、人生はすべて道楽であると決めたし、少なくともそう心から思えない瞬間でもそのように明日思えるようにせいぜい生きる自分ではありたいと思う。わくわくすることはなんでもやるし、できなくなったら死にます。それが傍目から見て「面白い」で集約されるとしても、全然いいし、むしろ面白いと言われて「だよね!」と一緒に楽しめるぐらいに軽い精神性で日々を過ごすことを目指している。この道を歩むのはかなり苦しいときもあるけれど、ていうか苦しいときがほとんどだけれど、それでも踏み出す一歩は軽く、手放す動機も軽く、跳ねるように生きるのです。苦しくてもそれをするのは、運良く死ななかった未来で最高に到達できると信じているからです。普通に生きていけないことは過去の経験でもうわかっているので、こんな私が生まれてよかったと思える可能性があるとしたらこの生き方しかないのです。生まれてよかったと思いたい。でも、できることなら、こんな生き方はしないほうがいい。もっと平穏に少しづつ温めていくような生き方ができるのなら、そっちの方が断然いいと思う。これしかないという強迫観念にかられながら必死に爆発し続けるよりもそっちの方がいいと思います。羨ましいです。でも、私は私の命を咲かせます。運がよくて死ななければ。
・ていうさ~~~~~、大きなスケールで考えるだけだと何か見落としますよね。等身大の話をします。私は疲れました。何に疲れたのかわからないけれど、もう本当に疲れた。過去の言語化ができなかったこと、マッサージの仕事を辞めたこと、それ以外にも自分の中のなんらかが消えてぽっかりと穴があること、そのすべてが混ざり合って自分に対しての大きな失望感と虚無感が覆いかぶさっている。なんにもやりたくねえ。仕事もやりたくねえ。どこにも行きたくねえ。なんにもしないこともやりたくねえ。ご飯は食べたいけれど食べたいものが何も思いつかないのでぐるぐるしている。頭ではやりたいことはあるつもりだけれど、まあどうせ過去の言語化をしなかったように、あれほどやりたかったマッサージの仕事を極めようとしなかったように、お前はどうせやらねえよと思っている。それを超えるほどのやりたいことじゃなかったんだ。ちょっとやりたいことがあったとしても、これやらないで済むんだったら逆になんもやらないほうがいいのでは?という謎の思考に陥っている。すべての人間との間に特大の壁があって、自分の行動・考えに対しては何人たりとも干渉されたくないと思っているから(つまりプライドが高い)、自分が異常をきたしている可能性があるときに他人の考えを受けて矯正できない。
・いやほんとそれだけじゃないんですよね~~~~~。考えていることは無限にある。無限にあることがおかしいと思いつつもどうしたらいいのかがわからない。あーーーーーーー。最近、自分が本当に誰とも話せないのではないかと思うようになってきた。物理的に話すことは当然できるけれど、どこまで自分が考えていることを話しても、自分のコアはその話とは全く関係のないところにある。そのコアは、もうやめたいなのだと思う。すべてをやめたい。意識があることをやめたい。そして、それは叶わないという前提だから、なにを話しても話した実感はない。いや違うか。私はもう自分の中にある言葉を全く信用していない。手前にあって取り出せる感覚も信用していない。存在がもうかなりあやふやなのだと思う。自分の痕跡をすべて拭い去って、海にでも溶けだしたら、やっと実感が存在と一致するのかもしれない。
・耳の痛みが本当に無くなった。痛み止めってすげ~。やったー。
・深夜、YouTubeを見ていたら、匿名ラジオが出てきて、ゲスト:星野源と書いてあったから、んなバカな(笑)と思って開いたらガチで、文字通り本当にひっくり返った。インターネットのあの人とこの人がつながった時の快楽ってあると思うけれど、星野源レベルになるとインターネットの端っこと端っこではなくてもはや真ん中だから(?)快楽というよりもただただ衝撃があった。みんなすごいなあ。そういえば少し前にヒカキンが精神的に不調そうに見えるような感じだったからコメント欄が「休んで~」って感じだったなあ、と思って今はどうなんだろうと思っていたら、第一子に恵まれたそうですね。すごいなあ。みんな生きているんだなあ。私はいつ楽になるんだろうなあ。
・カタパルト、カニクリームコロッケ、カルテット。かりゆし、かもなべ、カリオストロ。口に出したら収まりがいい文字列です。リズムに合わせて口ずさんでください。
・カリンバ買いました。3日で飽きるだろう。
・ペンギン作りました。羊毛フェルトは生き物の温度と質感を感じるので、想像以上に愛着がわいている。たとえ家を失ったとしても彼は捨てられずにリュックサックの中にいるでしょう。
・さようなら
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