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過去の振り返り① 仕事を辞めるまで(自分のやりたくないこと)

・主に高校生のときから、4月に新卒で入職した職場を1週間で辞めるまでの心の移ろいに関して振り返って分かったことを書きます。
・あくまで自分にわかるように書くので、詳しい説明は省いています。ご了承ください。

・↑この表にまとめたことを文章に書き起こします。

・私は仕事を辞めたとき、「これ以上死にたいと思い続ける人生は嫌だ」「生きていてよかったと思える人生がいい」という理由で仕事を辞めました。つまり、死にたい気持ちからの脱却です。死にたい気持ちは高校生から続いており、このままここで働き続けるとそれはかなり長い間続くだろうと思いました。しかし、死にたい気持ちがなんなのか自分にはよくわかっていませんでした。また、職場から離れることがなぜ死にたい気持ちから離れることになるのかもよくわかっていませんでした。

・高校生の時、私は学校に行きたくないと思っていました。その理由は、

①今楽しくない(ストレスで勉強ができない、仲のいい友達がいない)
②この先に希望が持てない

でした。この2つが死にたい気持ちを生んでいました。学校に行かなければいけない、でも死にたい。学校に行かなければいけないというのは、社会規範です。このレールから落ちたら死ぬということです。だから、すごくしんどいと思いつつ学校に通っていました。
・ちなみに、社会規範から外れないようにと世間の目があると思うのですが、自分にとって一番近い世間の目は母でした。誰しも、社会規範の窓口みたいな存在が身近にはいると思います。この先も社会規範は登場してくるのですが、社会規範の一番身近で強力な窓口は母親であり、それゆえに私は「社会規範に従わざるを得なかった」≒「母に従わざるを得なかった」と混同し、社会規範から外れようとしたときに執拗に母に対して反発的になります。

・そうして大学生になりました。ここで私は福祉の考え方に出会います。それは「人と環境の相互作用」という考え方です。これは、生活の問題が生じたときに本人に原因をもとめるわけでもなく、かといって環境に原因を求めるわけでもなく、本人と環境が影響を与え合うシステムの不具合のせいであるとする考え方です。これまで私は高校生の時にカウンセリングや薬物療法でひたすら自分の心をよくしようとしてきていたため、この考え方は自分にとってのあこがれになりました。もしあの時、高校に行き続けていることが不具合を引き起こしていると言ってくれる存在がいたら……と思ったのです。

・しかし、私が専攻した精神障害者の福祉(精神保健福祉士)では、メインのターゲットが精神障害者でした。私はどちらかというと(あえて二分するのなら)健常者も障害者も分け隔てなく社会に居ることの苦しみを分かち合って配慮されることのあこがれがありました。健常者が社会のあたりまえの中で苦しむ状態が変わるような福祉のあり方にあこがれていたのです。

・その背景には、大学生でも変わらずに死にたいと思っていたことがありました。その死にたいとは、

①この先に希望が持てない感覚
 (就活、週5勤務、「大学生が最後の夏休み」という言葉の違和感)
②課題のために綺麗事を言っている感覚

以上2つです。

・ここで高校生の時や大学生の時の死にたい気持ちとはなにかについて書きます。死にたいとは、

「あたりまえ」(社会規範)のためにやりたくないと思っている自分に嘘をついて生きること

でした。そして、中身のやりたくないこととは

①調子が悪いのに無理をすること
②自分に嘘をつくこと
 (嫌だと思っているのにやり続ける)(本当に言いたいことを言わない)

でした。ここからわかる通り、やりたくないことは社会規範そのものではありません。だから、序盤で社会規範と母の話を持ち出しましたが、厳密には「社会規範のうち自分にやりたくないことを強いてくる部分」が嫌だということです。

・そうこうしているうちに、私が就職する職場に出会いました。その職場は、「あたりまえ」に無理やり合わせるのではなく、みんなが対話の中で弱みを晒して補い合って生きるということが当事者だけでなくスタッフも含めて行われていました。私自身に対しても、精神科の薬を飲みつつ、無理のない範囲で働けばいいよおっしゃってくださりました。福祉のあり方として思い描いていた一つの理想がここにある、これなら死にたくならないかもしれないと思い、私は入職を希望しました。

・当時はここに骨をうずめる覚悟だったのですが、今思うとこれは「①調子が悪いのに無理をすること」の解消にはなっていたものの、「②自分に嘘をつくこと」は避けられない場所でした。半年間バイトで働いていたものの、週5日になった瞬間にここでは無理だと思ったは、本当に言いたいことを言えていない状態、やりたくないことをやっている状態が常になったことに耐えられなくなったからでした。

・暗い雰囲気の中に居続けることが嫌だ、楽しくない会話(世間話)を続けることが嫌だと思い、それが強く死にたい気持ちになりました。
・また同時に、弱みを他者に見せて配慮されたとしても、生きがいがないと人生は楽しくならないことがわかりました。そして、生きがいが全くなく世界が狭い自分が他者の支援をすると、それは社会規範の枠内での監視になる予感がしました。
・死にたい気持ちと、生きがいの大切さへの気づきは、まずは自分がどう生きたいかを探りたいという気持ちに繋がりました。そしてその希望の裏側には、「自分に嘘をつかないこと」=「自分の本当にやりたいことをやること」があると思うのですが、そもそも自分の本当にやりたいこととは何かがまだ見えていない状態だということも重要な気づきだと思います。

・さらに、仕事を辞めたときに、これまで自分を抑圧してきた社会規範≒母への強い嫌悪感を抱きました。それにより、母や同じく社会規範の窓口でもある父、病院の先生などに対して強く反発することになります。


・仕事を辞めるまでの振り返りは以上です。


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