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ようやく夏がやってきた

2024年8月27日

・いろいろなことがありました。こいつ目を離したらいつもいろいろなことが起きてんなって感じだと思います。そもそも8月入るまでにいろいろなことが起きていて、それについてはある程度書いていたと思いますが、8月入ってから前回の投稿までにさらにいろいろなことが起こっていました。そしてそれについては書いていないことも数多くあります。そして、前回の投稿後にもいろいろなことがあり、結果的にはいまようやく元気になりつつある実感を得られているという段階です。「いろいろなこと」がゲシュタルト崩壊しそうですね。

・という感じなので、何を書けばいいのか全く要領が掴めないのですが、最終的にここで書きたいのは元気になったよ(たぶん)ということです。


★追記:ここから下、枠で括られているところで私の過去の心境について書いているのですが、かなりきついものだと思われるので特に読みたいと思わない場合はとばしていただけるとありがたいです。精神状態が悪い場合は読み飛ばしてください。ちなみに、後述しますが枠内の文章は書き進めているうちに体調が悪化してしまい、その後見返すことができていないので誤字脱字がある可能性があります。

・昨日まで、状況は悪化し続けました。過去の傷を早く振り返らなければと思っていた私は、常時過去と半分繋がっているような状態になっていました。過去の苦しみを再体験するばかりか、その時の苦しみが今もこれからも私に襲い掛かるような気がして、そしてそれに対する恐怖が上乗せされた分、苦しみが際限なく増幅されていました。親から拒絶されたように感じた一瞬が世界から常時拒絶されている感覚になり、親への後ろめたさを感じながら部屋で過ごしていた時間が常時世界に存在することの後ろめたさになりました。そして、私はそのように、世界を捉える感覚が狂いまくっていることに気がついていなかった。自分の中の感覚が変わってしまうと、世界そのものがとても居づらいものに感じるようになるものなのです。すべてのオブジェクト、すべての人がおもちゃに見える。100均のおもちゃ売り場に並べられているそれとスーパーで売られている食べ物が違うことはわかるけれど、でもそれが本質的に違うことを理解できない。マジックテープでくっついていて半分になるおままごとのおもちゃは半分にしても戻るし、本を半分のところで開いても戻るし、ペットボトルのキャップは分離しても締めたら戻せるけれど、洋服を半分に切ったら戻らないし、人も半分にしたら戻らなくなる。その事実を一旦しっかりなぞらないと、自分は何かとんでもないことをしでかすのではないかと思っていました。スマホの画面に映っていることの意味はより曖昧で、これをこうしたらこうなるんだっけ?と考えている最中に行動に移してしまっていたりする。ボタンの意味を考えていることが、ボタンを押す欲求だと勘違いしてしまうということです。気がついたらYouTubeのチャンネル登録が解除されていたり、ほしくもない商品を購入していたり、ずっと前にメモ帳代わりにツイートしていたものを半分ぐらい削除したり、ブロックのボタンを押してそれが不可逆だということに後で気がついたりしていました。そして、それらの行動をした結果、自分にもたらされたであろう結果についての意味もあいまいで、今になってそれがどういうことだったのかようやくある程度感覚的に理解できたような気がしています。今これを振り返って思いますが、すべて何かしら失う行動ですよね。少なくとも、自分を幸せにする、より正確に言うと甘やかすために取った行動ではない。自分はとてもたるんでいて、それらをすべて削ぎ落して諦めないと前に進めないのではないかというイメージがこびりついていました。自分はとても醜くて、醜い部分をすべて削ぎ落すことによってはじめて無害になれると思っていたのです。自分を加害して、それによって打ちのめされて、そうして無気力状態で自分のやるべきことにのみ従属する状態を作り出す。自分という密室の中で徹底的に自分を虐待して、ほしい自分以外を排除しようとしていたのだと思います。書いていて、これらはすべて本当だったという実感がありますが、あまりに醜悪すぎて本当に自分の中に起こったことなのか信じがたい気持ちがあります。
・昨日まで自分の身体の中で起こっていたことなので、今は違うと思いつつも、ふと気を緩めたらまたその状況に陥るかもしれないという感覚があります。あまり思い出すべきではなさそうです。
・でも、もうひとつだけ書きたいことがあるので書きます。世界が狂っているという点において、私はありとあらゆる刺激によって自分は死ななければならないと感じるようになっていました。色に対する反応がその例です。黒色以外がすべて自分を刺すように感じて、しんどかったです。黒い服は自分になじんでいるような感じがしたのですが、それ以外の色の服はすべて自分を後ろめたくさせるのであまり着ないようにしていました。私は黒色の背景に赤のさくらんぼがいくつも描かれているワンピースがお気に入りなのですが、赤色がすべて毒々しい目のように感じられて、直視し続けると気が狂いそうになりました。でも着る服があまりないので、あまり意識しないように着ていました。コントラストがある服はしんどかったです。というかコントラストのある光景はすべて苦手でした。夏の日差しははっきりと認識できてしまうので、もう殺してくれと思いました。なぜ、日差しを浴びると死ななければならないように思ったのか、水を飲むと死ななければならないように思ったのか、街を歩いていると死ななければならないように思ったのか、そのときの感覚を思い出して描写しようとすると自分がおかしくなるような気がするのでできませんが、とにかくありとあらゆる動作が、ありとあらゆる刺激がすべて自殺しなければならないと思わせるような極限状態を自分は生きていました。そして、それをとても自然のことに思っていました。前回の投稿の後からこのような異常が生じたわけではなくて、8月頭からこうなっていました。


・やべー。想像以上に飲み込まれそうになっていることに気がついたので、ちょっと時間をおいてから続きを書きます。いまはたぶん元気になって、これから体の不調も徐々に回復してくると思うのですが、そうなったきっかけについて書きたいです。というかそれについて書こうと思って、これを書き始めたのに、余計なところに気をとられ過ぎました。


・上記を書いてから4時間経過しました。あれを書いた後に、体調が悪かった時と同じような息苦しさと心臓の違和感が再燃してしまい、慌てて眠りにつきました。今は大丈夫ですが、読み返すとまたぶり返しそうなので枠で括られた部分は読み返さないまま投稿しようと思います。誰かを傷つける類のことは書いていなかったはずです。そして、調子が悪かったときの体感を振り返るとろくでもないことになるということが判明したので、調子が悪かった時のことは触れないようにします。


・昨日、とあることがあり心がとても軽くなりました。それについては詳しく書けませんが、結果的に自分が救われた言葉をメモ代わりに載せておこうと思います。

・「自分は悪くない」「今の自分は変わる必要がない」「動けば動くほど惨めになる」「映画を見るのと同じように過去の傷を見る」です。

・前から3つは、ともすると現実とは異なり自分をかばう言葉でしかない気もします。これを友達に言われても心の奥まで言葉が届くことはなかったと思いますが、言われた状況とタイミングがよかったので奇跡的に自分を止めることに繋がりました。この言葉が本当であると信じているわけではないですが、少なくともこのような考え方で生きるタイミングがあってもいいということを思えたのは大きかったです。

・なぜ自分が救われたのかをより詳しく書こうとしましたが、疲れているからなのかあまり書く気が起きないのでとりあえず今は書かないことにします。語るには多すぎること、語ることに大きな負担がかかること、語ることが恥ずかしいこと、語ることがどのような意味をもたらすのか想像できないこと、などなどいろいろなことが混み合いすぎました。とにかくゆっくり休もうと思います。ようやく、ゆっくりと休むことに幸せを感じるようになりました。昨晩、湯船に浸かりながら気持ちいいと思えたことにとても驚きました。それまで気持ちいいと認識していたものはすべてそうではないことがわかったからです。それまでは、気持ちいいと感じなければ、過去を振り返りつつ現実に満たされている感覚を抱ける自分でいなければならない、そうでなければここに存在するべきではないという思考によって、皮膚に熱を感じる状態を気持ちいい状態であると結び付けていたのです。こういうほんの断片を思い出すだけでも心臓がおかしくなりかけていますね。怖いですね。

・今は縁側で陽に当たりながら丸まっている猫ちゃんと同じ状態です。よかったです。頭痛と疲労がありますが、精神状態さえ狂っていなければいずれよくなると思います。消化器官の能力も低下してしまっていて、固形物を食べるとおなかの張りと痛みが出るような状態になっていましたが、徐々に固形物を食べられたらいいなと思っています。ひとつの出来事で精神状態の問題がすべて解決していない可能性もあるので、もしやばかったらさすがに病院に行きます。

・しんどいとき、もし元気になってもこの先の様々な苦悩を考えると早めに死んだほうがよかったと思うだろうと思っていましたが、今は生きていてよかったなと思います。基本的にはいつ死んでもいいと思っていますが、さすがにあそこまで狂っている状態のまま死ぬのは嫌だなと思いました。子どもの頃とか、妖怪の話をきいて「なんでこんなに歪んだままでずっといるのだろう」と思ったりしていましたが、たぶん自分が体感した狂いのような状況のまま死んだから妖怪になったのだと思います。


・怖いのは、自分が自分でなくなっていくほど、誰にもなにも言えなくなってくるということです。これも深掘りすると調子が悪くなりそうなのでこれ以上深掘りはしません。言葉を発したり、動いたりすることもできなくなってくるので、最悪の状態になった時に頼れる誰かはいたほうがいいです。お金を払って会える人で、自分が話せなくてもなんとかなったりすればよりいいです。場所も遠くないほうがいいです。身体イメージが崩れていって、自分が化け物になったような感じがし始めると、お金を払わないのに誰かに会うということができなくなります。今思うと、お金を払うというシステムがあって本当によかったです。多分ご飯を食べるのとかも、お金を払って対価として受け取っているという感覚があったから、まだそれほど後ろめたくなかったのだと思います。元気な時の自分を前借りしてゴミみたいな状態の自分を相殺できるので、貨幣経済は最高です。よかったよかった。


・という感じでした。もう少し元気になったら縁側の猫ちゃんを卒業して、その辺を徘徊したりしようと思います。


・タイトルを回収するのを忘れていました。昨日、自分を立て直せるような言葉をいただいてから帰りの電車に乗っていた時、「夏じゃん!」という感覚がしました。それまで、夏だけど夏じゃなかったんだなと思いました。車窓からみた空は綺麗でした。やっと私にも夏がやってきました。もう日差しに脅迫されることもありません。夏の日差しはやっぱりいいですね。


・調子が悪くなったら今度こそ諸々ちゃんとよくなるための努力をするので安心してください。


・さようなら




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