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【翻訳】Kaiserreichマイナー・マンデー45 レバノン

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こんにちは、Jeankedezeehondです。今回はTheIrridentista、ShinMNewsNetWork、Owenomalyとともにちょっとしたサプライズをお送りします。もともとはマイナーマンデーで公開するつもりでしたが、もうすぐ公開されるアップデートでレバノンも実装されるので。これは「スモール・サタデー」と呼ぶべきか。

前史

世界大戦が終わり、オスマン帝国は存続しても、レバノンは平和とは程遠かった。1908年の青年トルコ革命直後にレバノン山岳特別区(ムタッサリフ)が廃止されて以来、レバノンは極めて権威主義的で残忍なジェマル・パシャの支配下に置かれた。飢餓や政治弾圧で多くの人命が失なわれ、人々は暗黒の時代を迎えた。しかし1920年にエルサレム特別区が再度設置されるとようやく希望が見えた。それからアメリカが数年間かけて強い圧力を加え、ベイルート周辺の人々が望んだ復興期が訪れた。ジェマル時代の誤りが正され、反体制派レバノン人への逮捕令状や死刑宣告が撤回され、一部は亡命先から帰国した。これが原因となって民族主義団体「レバノン改革協会」の間に亀裂が生じた。改革派は帝国に復帰して議会で活動を続け、強硬な民族主義派は亡命先のアレクサンドリアにとどまった。

第二次特別区時代は復興の時代となった。オスマン自由化の中で、レバノンとそこに住まうムスリム、ドゥルーズ派、キリスト教徒は再建と再定住を進めた。オスマン領マシュリクとベイルートの爆発的成長に支えられながら、各宗教グループの政治的支配層は新しい平和共存体制を作り上げた。だが1936年に危機が訪れた。大宰相ムスタファ・ケマル・パシャと人民党は帝国の集権化を進め、それは「第二次特別区」とレバノンの大幅な自治権の消滅を意味していた。マロン派やアラブ人の中心地ベイルートは近代アラブ運動のシンボルとなり、保守派が主流のダマスカスと対照を成している。革命の炎が燃え広がれば、レバノンもその勢いにのみこまれ、間違いなく新生シリア(アラブ人)国家に統合される。

独立闘争

だがシリア反乱が成功した場合、レバノン山岳特別区も過去のものとなり、非常に不確かな立場に置かれる。レバノンはシリアの大部分とは異なる独自の地域・民族的アイデンティティを有し、レバノンの人々や指導者たちは現地自治を非常に重視している。もしダマスカス政府が新シリア国家を集権化し、レバノンの自治権を侵害しようとすれば、マロン派のキリスト教徒とドゥルーズ派は手を結び、ダマスカス政府に反旗を翻す。

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こうしてレバノン義勇軍がほとんど自発的にレバノン独立を宣言し、義勇軍を指揮するフアード・シハーブ将軍が暫定大統領に就任する。物語はここから始まる。

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独立宣言後、レバノンはシリアとの短期間の独立戦争を進める。レバノンが敗北すればふたたびシリア国家に併合されるが、勝利すれば独立を達成する。

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内部闘争

だが対立が終わっても新しい対立が生まれる。独立運動に参加していたグループをつなぎとめていた外部の脅威はなくなり、国の未来をめぐって大きな隔たりが明らかになると、各グループはそれぞれ独自路線は歩み始める。こうして新しい国家の緊張は最高潮に達する。暫定議会は適切な民主主義の土台づくりを目指して、フアード・シハーブに大統領辞任と議会への権限移譲を求める。

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シハーブは進歩的傾向もあるが、レバノンを牛耳る政治的支配層には強い不信感を抱いている。シハーブが義勇軍から強く支持される国家的英雄であることを考えれば、どう転ぶかは全く予測できない。

シハーブ政権

シハーブが退陣を拒否すれば、彼は理想の国家像を実現するべく、大統領を中心にした集権化改革を進める。ムスタファ・ケマルなどの先人たちから影響を受け、レバノンに潜む悪を排除する一大運動に乗り出し、大統領辞任後も存続する進歩的国家に向けて邁進する。シハーブはレバノンの伝統的な政治支配層が腐敗し、「真の」民主主義に対する脅威になっていると捉えているため、一掃される。そしてムスリム、ドゥルーズ派、マロン派の民族感情を単一のレバノン人アイデンティティに置き換えようとする。

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民主国家レバノン

シハーブが辞任すれば、不安定な国家は暫定議会に託され、近い将来に選挙が予定される。同時にさまざまな問題に決断を下し、未熟な民主主義の息の根を脅かす急進派の成長を抑える必要がある。

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無事に選挙が実施された場合、三つの政党が国のリーダーシップを争う。

アラビアのキリスト国家

第一候補がビシャーラ・アル=フーリー率いる保守派の立憲ブロックだ。

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彼らはレバノンが「キリスト教的性質を備えたアラブ国家」であるとの考えを持ち、近隣のアラブ諸国との和解を進めると同時に、「国民協約」の成立を支持する。これはレバノン国内の異なる宗派が政府内の地位を配分して議員を選出するという不文律の取り決めだ。

フーリーと立憲ブロックはスンナ派ムスリム地主や有力一族とも協力するが、だれからも歓迎されるわけではないし、コネの拡大によって汚職のそしりを受けることにもなる。

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改革主義国家

全国選挙のもう一つの選択肢がベイルート改革協会の進歩派とその指導者サーイブ・サラームだ。

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改革運動の前指導者サリーム・アリー・サラームを父に持ち、第二次特別区時代にレバノンに帰国してからは、父の地位と進歩思想を受け継いだ。サラーム家の下、協会は統一レバノン人アイデンティティの育成を支持するようになり、レバノンの分離主義を放置する「国民協約」には反対している。また世俗主義を強く支持し、女性の権利や女性参政権も推進している。

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中東の西洋国家

だが改革協会には「アレクサンドリア派」と呼ばれるもう一つの派閥が存在する。彼らは特別区再建後もアレクサンドリアに(しぶしぶ)とどまる決心をし、レバノンに帰国した進歩派とたもとを分かった。派閥の代表でもある親仏派のペトロ・トラッド首相とエミール・エッデ大統領は「国民ブロック」を自称し、改革協会の右派の多くを糾合する。

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選挙に当選した場合、レバノンはかなり異なる路線を進む。国民ブロックはレバノンを西洋国家であると訴え、レバノン=アラブ国家論を批判し、独自の民族・社会改革を実施し、レバノンのムスリムやドゥルーズ派国民が不利益を被る。

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神、祖国、家族

だがまだ終わりではない。レバノン独立運動に参加した勢力、とくにマロン派の一部には、レバノンを民主国家や包括的国家にするつもりなどなく、それよりも権威主義や民族ナショナリズムに傾倒している。彼らは古代のキリスト教戦士の名を取り、ピエール・ジェマイエルを中心に「マラダ運動」を名乗っている。

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マダラ運動はマロン派が文化・遺伝的にもアラブ人ではなく、純粋なキリスト教徒の子孫であるというフェニキア主義を採択している。レバノン系アメリカ人の実業家ウィリアム・ハウィからの巨額の支援、独立戦争下での急進的思想の成長、マラダ民兵の成長によって、マラダ運動は組織と影響力を拡大する。

この団体は選挙で政権に選ばれることはない。そのかわり、反暫定議会運動を扇り、民兵団に独立戦争を呼び掛ける。十分な勢力に育った場合、マダラ運動はクーデターを敢行する。

ジェマイエルは権力を握るとともに有力なマロン派一族や教会と連携し、マロン派キリスト教国家の理想を実現すべく、運動のモットー「神、祖国、国家」に沿って社会変革を進める。

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(補記:ここで言うマラダ運動は史実の同名の組織とはだいぶ異なるため、詳しい人は若干混乱しているかもしれない。これはKRのマラダ運動が実質的に史実のカターイブ党、いわゆるファランヘ党の別名バージョンであるからだ。KR世界のファランヘ主義は有力なイデオロギーではないため、ジェマイエルの運動も別の名前に変えることになり、結局マラダが一番しっくり来ると判断した。だがこの運動と史実のマラダ運動とは全く異なるものであり、それには上記の理由が絡んでいる。これで混乱がすっきり解決してくれるとありがたい。)

経済闘争

オスマン帝国の終焉とシリアからの分離独立によって、大オスマン経済圏の密接な一部と化していたレバノン経済は苦境に陥る。どの勢力がレバノンを率いようとも、シルクやワインといった産業を育てたり、レヴァント最大の港湾施設を有するベイルート港を拡大して、国内経済の刷新と拡大を進める必要がある。

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世界の中のレバノン

最後のフォーカスツリーは外交と軍事関係だ。政権に合わせて異なる外交オプションがオープンする。立憲ブロックはアラブ世界への復帰を望み、カイロ条約か、存在している場合はアラブ連盟に加盟する。シハーブかベイルート改革協会は戦争で勝ち取った独立を複雑な同盟関係によって危険にさらされるのを恐れ、中立を維持しようとする。トラッドとエッデの親仏的態度から、国民ブロックは協商の国粋フランス加盟を試みる。佐渡に、マラダ運動は外交でタカ派的態度を見せ、大レバノン実現に向けて動く(だがゲーム内では請求権は付与されない)

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みんなが0.16を楽しんで、開発チームと同じくらい0.16.1の実装とレバノンのリリースを期待しているとうれしい。最後まで読んでくれてありがとう、この若干駆け足気味のマイナー……サンデーを!

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