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『再訪から4年が過ぎて』

 この話は2018年12月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第134作目です。

 お盆休みが終わるとあっという間に年の瀬だ。愛用して久しいトラベラーズノートの翌年のダイアリーの発売予告は8月下旬に届く。10月の声を聞くとやってくるのは年賀状印刷の案内だ。ハロウィンが終わると翌日から街は徐々にクリスマスになっていく。

 年の瀬の準備を急かす知らせに年内に済ませなければならないことを想起させられる。年内に残された時間にはっとして済ませるべきことが次々と頭に浮んでくる。優先順位が決まりスケジュールを立て始める。間に合うだろうかと時間との闘いが始まる。

 ストーリーの末尾にその表紙を載せ続けさせていただいている「おとなの青春旅行」が予定から1年半ほど遅れてのこの夏に出版された。下川裕治さんからこの本への寄稿のお話をいただいた時期を始まりとするともっと時間がかかっている。

 書店で行われる新著のイベントはどんなに遅くとも発売日からひとつき以内に行われるものらしい。私も参加したこの本のイベントも発売からわずか数日後に都内の書店で行われた。そうなるとようやく出たこの本を手にご無沙汰している方々のところに長年の不義理のお詫びを兼ねて伺う期限は年内一杯だろう。“この夏に出た本なのですが・・・”と“去年出た本なのですが・・・”ではお届けした際の印象は全く異なる。

 11月のある好天の週末の午後に思い立って腰を上げた。30年近く愛用しているL.L. Beanのトートバッグにトラベラーズノート、読みかけの本、ペットボトルの飲みものとともに「おとなの青春旅行」を一冊放り込んで家を出た。

 京成電車に揺られて陽が傾き始める頃に着いた先は京成成田。前回訪れたのは4年前の夏。トラベラーズファクトリーの成田空港店がオープンして間もなくの頃だ。トラベラーズファクトリーに行く前にせっかくだからと成田で下車したのだった。そのときは航空会社を去って以来約13年振りの、成田空港ではなく、成田再訪だった。成田空港は職場であり成田は住民票も移して約7年住んだ町でもある。

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4年振りの京成成田駅。やはり観光地の駅ですね。

 本を届ける先へ伺うには少々時間が早かった。駅から途中横道に逸れつつ成田山の参道へ向かってゆっくりと歩いた。いろいろな想いが湧き上がってくる中で歩いていると、行き交う車がヘッドライトを点け始めていた。それを合図に現実に戻り、寄り道を止めてお届け先へ急ぐことにした。

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日が暮れ始める冬の空・・・が伝わるでしょうか。今回は駅の中を抜けてかつて住んでいたところへ続く道を遠目に眺めました。

 目指すお届け先は成田山の表参道の途中にある。駅からすぐという感覚が抜け切らずにいるが、お届け先の目印となる成田観光館は観光マップ上では徒歩10分の距離にある。行き交う観光客の合間を縫っての徒歩となるので、歩いた時間は10分以上に感じた。

 ようやく成田観光館の前にある菊屋に着いた。「おとなの青春旅行」の届け先は菊屋の女将さんだ。女将さんは私が航空会社時代に一番迷惑をかけたアメリカ人女性の上司と仲が良かったこともあり、私が17年前にその会社を去ってからもずっと親しくさせていただいていた。季節のご挨拶、旅先からの絵葉書、ここに新しい旅の話が掲載される際のメールでのお知らせは欠かしていない。女将さんからも季節の挨拶、ストーリーの感想やお店がメディアに紹介される際のお知らせなどをいただいた。細々とではあるが連絡が絶えないようにしてきた。

 まだ夕方5時前だというのにお店はほぼ満席だった。一人だったのでほとんど待たずに席へ案内された。周りはみんな鰻や天ぷらを食べていたが、先ず生ビールを頼んだ。

 人混みを歩いてきて乾いた喉を生ビールで潤しつつメニューをゆっくり見ていると、若女将が改めて注文を取りにきた。成田の地酒である長命泉を熱燗にしてもらい刺身の盛り合わせを頼んだ。

 長命泉という名に懐かしさを覚えた。成田に住んでいる人ならみんな知っているブランドだからだ。成田に住んでいた頃は、まだ若かったせいか、ビールやウイスキーばかり飲んでいた。日本酒なんて見向きもしなかったなと思った。

 席から店内がよく見渡せた。酒と肴を待ちながら席からそっと店内を見回した。ほぼ満席の店内は半数以上外国人客で占められていた。女将さんは英語が堪能。菊屋では日本語ができなくても安心して和食が楽しめる。それはクチコミがSNSだった昔から外国人観光客のあいだに知れ渡っているのだろう。私の席から見て左手奥の席で鰻重をビールとともに一人で楽しんでいた外国人女性を見てそれを確信した。店の各所では、若女将もフロア係の女性たちも、他の外国人の客たちに日本人の客にするように自然に英語で対応していた。

 菊屋は以前にも増して観光地となった成田山の老舗で繁盛しているお店だ。訪れたときに団体客の貸切りにぶつかることを心配した。事前にこちらのことを詳しく伝えることなく電話で問い合わせた。その際に男性スタッフが、“お席はお作りしますのでご心配なさらずにいらしてください。”と対応してくれた。看板が大きいだけの有名店でチップを弾んだとしてもここまでの対応はない。女将さんはずんと年下の私のことを必ずさん付けで呼び、敬語で接してくださった。どんな客でも客を逸らさない姿勢がお店の隅々にまで行き届いていて改めて感心した。

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こんな感じです。お察しの通り長っ尻になってしまいました。お届けものに来たのに・・・。

 お銚子が2本空いた。刺身の盛り合わせの皿もきれいに空いた。若女将が鰻になさいますかという感じでテーブルを整えにきた。白焼きと白焼きに合う日本酒を頼んだ。お酒はこれも成田の地酒で不動という名前だった。ベストな飲み方だという冷やでいただくことにした。

 江戸切子の徳利と猪口で出てきた不動はさっぱりして美味しかった。白焼きは一口食べてまたすぐに食べに来ようと瞬時に思ったほど美味しかった。白焼きと初めて飲んで気に入った日本酒をゆっくりと楽しみながら再び店内を無意識に見回していた。

 このお店を過去に何度も訪れたときのことが思い出された。もう何年も会ってなくて名前すら忘れていた人たちの顔がいくつも浮かんできた。ここは英語で話しながら和食を食べた回数が一番多いお店かもしれないなと思った。お届けものに来たことをすっかり忘れてタイムスリップをしてしまった。

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絶品の白焼きと美味しかったお酒。自分の飲み方が変わったと思ったひとときでした。

 支払いをしながら若女将を呼んでもらった。自分が誰なのかを名乗り、名刺とともに持参した「おとなの青春旅行」を一冊渡した。若女将は名前を見た途端フロア係でリーダー格と思われる女性を呼んだ。

 旅先からの女将さんへの絵葉書はお店に送った。届くと二人のどちらかが取り次いでくれていたのだろう。絵葉書の送り主が来たから呼んだのだ。絵葉書を手にしながら女将さんと三人で“いまはここに行っているんだね。”などと話したそうだ。

 女将さんは残念ながらもういらっしゃらない。年の瀬を知らされる様々なお知らせには、できれば一つも受け取りたくはない、喪中の知らせもある。去年届いた喪中の知らせの中に女将さんが亡くなったことを知らせる葉書もあった。

 約4年前に再訪したときに、次回は自分が書いたものが載った本が出たとしたらそれを持参しての再訪にしようと思った。直接お渡しつつ昔話に花が咲いたらと思っていたが叶わなかった。発売が遅れたし・・・。

 私が書いたものが載っているページを開きながら“御本のことは早速女将の仏前に供えて伝えます。”と若女将が言った。

 店を辞して外に出ると陽がすっかり落ちていた。上り坂になっている参道を歩き始めて間もなく、思わず夜空を見上げていた。若女将の言葉がまだ耳に残っていたせいか、鼻の奥がツンとしたのを感じた。そして月が少し霞んで見えた。

追記:

1. 今回の再訪から数日後に若女将(もちろん現在は女将さんです)から丁寧なお葉書をいただきました。菊屋さんには暖かくなった頃に再訪しようと思います。

2. 四年前の再訪は「遠出・5」というタイトルで書いています。未読の方はどうぞご笑覧ください。成田は散歩にも小旅行にもいい場所です。季節を選んでトラベラーズノート片手に訪れるのも一興です・・・今更ですけど、そう思いました(苦笑)。

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「おとなの青春旅行」講談社現代新書                 「パブをはしごして、青春のビールをーイギリス・ロンドン」を寄稿


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