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『旅先にうまい水あり』

 この話は2012年9月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第59作目です。


 飲料水をあえて買うようになったのはいつ頃からだっただろうか。今から25年前にイギリスに滞在したときにペットボトルに入った飲料水を買うことを覚えて習慣になり、日本に帰ってきて買おうとしたところ、種類が限られ、値段も高かったことを薄らと記憶している。

 当時はミネラルウォーターなんてものは高級なバー等にしかないもので、ほとんど業務用だったのではないだろうか。飲み水といえば、以前は水道から普通に飲んでいた。ミネラルウォーターが一般に普及し始めたときでも、飲み水をあえて買うなんて・・・という風潮だったのを覚えている。

 水道水といえば、幼い頃千葉の従妹が夏休みに遊びに来ると、我が家の水道水を飲んでは「東京の水は不味い」と言っていたのを夏になると思い出す。そんな水道水でも東京の下町では普通に飲んでいたし、お茶やコーヒーだってその水を湧かして淹れていた。

 幼い頃の飲み水の思い出といえば、子供達の遊び場になっているお寺の近くにある水道局の水だ。遊んでいて喉が渇くと水道局内の水飲み場に行き、夏場は局内にクーラーが効いていたので、涼みながらよく冷えた水をたっぷりと飲んだ。同じ町内なのに何でこんなに温度も味も違うのだろうかと子供心に思ったものだった。そういえば、あの指で押しながら水の出を調節して飲む機械も見かけなくなって久しい気がする。

 それはきっと、家庭での使用も珍しくなくなったウォーターサーバーが各所に普及したからだろう。あの水の入ったタンクを逆さまにサーバーに差したものが一般家庭にまで普及し、飲料水が定期的に配達されるものになるなんて思いもしなかった。欧米の映画やテレビドラマの中の小洒落たオフィスでしか見なかったウォーターサーバーの家庭への普及は本当に早かったと思う。

 この夏読んだ本の中に片岡義男さんのエッセイ集がある。片岡さんの友人が、「旅先にうまい水あり」というタイトルを片岡さんに与え、何か書いてみろと言ったその話が面白かった。その話を読み終えたときに、僕にとって旅先で水が美味しいと感じたのはどこだったか思いを巡らせてみた。

 それは間違いなく小学校5年生の時に林間学校で訪れた日光だ。宿舎の水道水が、夏でも長いこと触れていると手がかじかむほど冷たく、普段飲んでいる水道水より数段美味しかったのは今でも忘れられない。日光と耳にして真っ先に思い浮かぶのが、東照宮でもいろは坂でもなく、宿舎の水道水だ。そのくらい強烈に記憶している。恐らくこのときに出会った水ほど美味しかったと思い出せる水に、現在まで出会っていないのではないだろう。

 西麻布にあるRainy Day Bookstore & Cafe で片岡さんのトークライブを聴きに行ったことがある。最近はちょっと足が遠退いているが、ここは都内にある大好きな書店でありカフェだ。このお店の名付け親は片岡さんで、片岡さんとお店で開発したという「片岡義男ブレンド」のコーヒーがここでは飲める。美味しいのでRainy Day Bookstore & Caféを訪れる度に飲んでいる。

 読んだエッセイを通して片岡さんに、君も旅のストーリーを書いているなら「旅先にうまい水あり」というタイトルで何か書いてみなさいと言われている気がして、ちょっと夏らしい感じもするので、今回はこのタイトルで書いてみた。

 トラベラー各位も世界中の様々な旅先で、思い出に残るような「うまい水」に出会っているだろう。この夏の旅先での一番の思い出は「うまい水」に出会ったことだったとう方々も多いと思う。旅先のどんなホテルでも、ライティングデスクの上やバスルームにミネラルウォーターのボトルが常備されている時代だ。「うまい水」に出会えた旅が出来た方々を本当に羨ましく思う。その「うまい水」が生活水である人々に対しても羨望の気持ちが湧いてくる。

 綺麗な川の水を両手で掬って飲む景色に憧れはするが、僕は所謂アウトドア派ではないので、生水が飲めるようなところへ旅をする可能性は非常に少ないと思う。だから、「旅先にうまい水あり・2」 はないなあとミネラルウォーターを湧かして淹れたコーヒーを飲みながら思った。


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