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『訪れた証・5』

 この話は2015年5月にトラベラーズノートのウェブサイト「みんなのストーリー」に掲載された旅のストーリーです。現在も掲載されています。そのままここに掲載いたします。現在も「みんなのストーリー」に毎月一作旅の話を書いています。これは掲載第91作目です。

 球春到来。海の向こうのメジャーリーグでも新しいシーズンが始まるとそう表現されるのだろうか。日本の場合は、長くて寒い冬が終わり、陽気に誘われて外に出たくなる気候になるとプロ野球の新しいシーズンが始まる。この時期は季節が変わるとともに日々の暮らしがいい方向に向かい始めないかとつい期待してしまう。選手達も毎年不安を抱えつつも期待一杯で新しいシーズンを迎えているのだろう。

 今年開場101年目を迎えたシカゴのリグレー・フィールドでは、シカゴ・カブスが2015年のシーズンをスタートさせた。2014年のシーズンオフより4年計画で始まったリグレー・フィールドの改装が、雪や強風の影響を受けて工期が停滞し、予定通り開幕を迎えることが危ぶまれたが、開幕戦は予定通り行われた。しかし、シカゴは球春と呼ぶにはもう少し時間がかかりそうな様子だ。開幕戦のダイジェストをテレビで観たが、さすがアメリカ中西部、観客の寒そうな様子といったらなかった。毎年シカゴでの開幕の模様をテレビで目にすると、真っ先に観客の様子に目が行く。スタンドで露出しているのは目のまわりのみという防寒対策をしている観客の多いこと。その観客の姿に何年も前の11月にシカゴを訪れたときに体感した寒さが甦って来る。リグレー・フィールドはインドアの球場ではないので、足繁く通うファンはボールパークの中でこれから季節の移り変わりを感じられるのだろう。ボールパークで“シャツ1枚でも寒くなくなった”とか“ビールが美味しい季節になった”等を感じられるなんて何だか羨ましい。

 その開幕戦こそ落としたが、シーズンオフにかなりの補強をした今年のカブスは今のところ順調である。トラベラー各位の中にはスポーツに興味のない方もいらっしゃると思う。もし自分が訪れたことがあるアメリカの都市にプロスポーツのチーム(ベースボール、フットボール、バスケットボール、アイスホッケー。最近ではこれにサッカーも加わる。シカゴにもシカゴ・ファイアーというメジャーリーグ・サッカーのチームがあるそうだ。)があるのなら、その場所に思いを馳せつつそのチームを応援するのも一興だろう。特に大都市ならば、複数の競技のチームが存在しているので、一年を通して楽しめる。現在はインターネットが発達しているので、現地のファンとほとんど同じタイミングで試合の経過も結果も知ることが出来る。

 かつて勤めていた会社がミネソタにあり、在籍時はミネソタのチームの結果も気にしていた。しかし、面白いもので、退社した途端、まだ現地に親しい人達がいたとはいえ、ミネソタのチームの試合結果は全く気にしなくなった。いくつか手元にまだ残っている現地で入手したミネソタ・ツインズのキャップを身に付けなくなって久しい。

 シカゴ・カブスとリグレー・フィールドを語る上で欠かせない方がいる。トラベラー各位の中で名物アナウンサーのハリー・ケリー氏をご存知の方はいらっしゃるだろうか。各ボールパークで7回表終了後に行われる “ 7th inning stretch “ で、“ Take me out to the ball game “ がボールパーク全体で歌われるが、リグレー・フィールドでは1998年に83歳で亡くなったハリーさんが歌っていた。シカゴ滞在中リグレー・フィールドに毎日通ったその1995年の旅では、当時既にかなり高齢だったハリーさんが放送ブースから場内に流れる音楽に合わせて歌うのではなく 、放送席から客席に向かって見ぶり手振りで “ 7th inning stretch “ を盛り上げていた。

 ハリーさんのいる放送ブースがデーゲームでもライトアップされ、観客が席から立ち上がり、一斉にそちらを注目すると“ 7th inning stretch “が始まる。観客のどの顔にも心なしか笑みが浮かんでいるように見えた。これを楽しみにリグレー・フィールドを訪れるファンも多かったはずだ。このリグレー・フィールド特有の “ 7th inning stretch “ を実際に体験したときに、シカゴでメジャーリーグを観ているのだと実感した。

 その日はロサンゼルス・ドジャースとのデーゲームで、翌日はナイトゲームが予定されていた。ドジャースの先発はあの野茂英雄さんの予定になっていた。

 試合終了と同時にハリーさんが実況をしていた放送ブースを目指した。 手にはシカゴのダウンタウンにあるハリーさんのスポーツバーで買ったお店のロゴが入ったキャップがあった。流石にシカゴの人気者だけあり、ちょっとした人集りが出来ていた。お付きの方に支えられるようにして歩いていた姿が印象的だった。キャップとペンを差し出しサインを願うと気持ちよく書いて下さった。

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これがサインをいただいたハリーさんのスポーツバーで買ったキャップです。“Holy Cow”というのはハリーさんが実況の中でよく使っていたフレーズだそうです。カブスは勝てない時期が長いチームなので、何度もこのフレーズが口をついたと想像します(笑)。

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キャップの後ろにそのトレードマークとなったフレーズが(笑)。    まさにHoly Cow ! (笑)

 サインをいただいたお礼の他に、“日本からカブスの試合を観に来ました“くらいは言ったのだろうか。”明日は野茂が投げるね。“くらいはお話してくれたのだろうか。それに関しては記憶が曖昧だ。

 アナウンサーでありながらその人気振りに日本とアメリカの違いを見た。きっと各チームにそういう方がいて、地元では相当な人気者なのだろう。そんな方の側に行きサインをいただいた当時の自分を振返ってみると、少々恥ずかしい気がするが、メジャーリーグ通、もしくはシカゴ通の一人になって悦に入っていた。

 シカゴには子供の頃から思い描いていたアメリカが、ニューヨークやロサンゼルスよりも沢山残っているところだった。日本人選手がそれぞれカブスとホワイトソックスに在籍していた時期があった。シカゴのガイドブックも以前に比べてさらに充実し始めたのも同じ頃だった。そのとき、“日本食”や“カラオケ”等の日本語の看板が街中に見られるようになっていなければいいなと思った。

 今回この話を書くにあたり、ハリーさんのスポーツバーのホームページをチェックしてみた。懐かしい気持ちにさせてくれて、あ〜、こういうスポーツバーに行きたいんだよな〜というホームページを期待していたが、見事なレストラングループのそれであった。訪れたときには日本人の客は誰もいなかった、アメリカならどこにでも普通にあるスポーツバーだったそのハリーさんのお店も、何だか外見が今風になっているように思えた。地元の人達が仕事の帰りや週末に、試合のチケットが取れなかった人達などが店内のテレビで観戦するために集まってくるお店も、しばらくご無沙汰している間に観光地化されてしまった様な気がしてならない。国内でもしばらく訪れていなかったところに久々に足を運ぶと、その変わり様に驚くことがあるが、これは世界共通なのかもしれない。ハリーさんはこの状況を天国でどう思っているのだろう。” Holy Cow ! ”と呟いていなければよいのだが・・・。

 アメリカに行くならどこがいいかと尋ねられることがある。尋ねた人がアメリカへ行くのが初めてではない場合には、もう何年もシカゴと答えている。近々再訪するチャンスがあったとしたら、その答えは変わってしまうのだろうか。(2006年にワシントン、ニューヨークでの仕事の帰途に乗り継ぎでオヘア空港に降りたが空港の外には出ていない。)

 厚みのある独特のあのシカゴスタイルのピザが都内で食べられることを最近知った。写真を見る限り現地で食べたものと遜色ないように見えた。食べてみたい気もするが、もし期待外れだったらシカゴで食べた思い出まで台無しになってしまう気がする。安くはないお金を払って ” Holy Cow ! ” とは言いたくないし・・・。


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