恋愛なんてダサい

この世は恋や愛に満ち溢れている。
暇があると誰かを好きになりたい!と漠然と愛に触れたがったり、テレビコマーシャルもウキウキ片思いだのワクワク告白だ。
ディズニーでショーを観た時も「恋をしよう!恋って素敵!」というコンセプトにわたしはデートだったのにも関わらず涙が出た。
「なんでそんなに恋愛させたがるの?」

元を辿れば子孫繁栄の…という話はもう本能がどーたらと一緒にスッこんでろ。
現在私は乳飲み子抱えて絶賛育児中である。
子はまだ4ヶ月なので、4ヶ月前の生みの苦しみはまだ記憶に新しいところだ。

「女の人って強いよねーあの痛み忘れちゃうんだよねー」じゃねーよ。違うの、それどころじゃなくなっちゃうの。もっと身近な痛み(頭イテーとか乳首イテーとか)とか「死なせられない!」と必死で育ててるから上書きされちゃうの。陣痛のあの世界が割れるような痛みも似てる痛みが無いから例えられなくて伝えられなくて… と 痛みについて話すと、わたしの腰をさするように看護師に頼まれた夫が「眠い!できない!」とそっぽ向いてしまった苛立ちを鮮度プリップリで同時に思い出してまた怒って別の話になっちゃうからやめとくけども、

子供にお乳吸わせて乳首が切れたり、お股の縫い痕にお小水すら恐怖したりしてるうちにおセクとは一体何だったのか?お伽話か何かだったのかな??と思う。
あのたぎる性欲や人肌に触れたい気持ちはどこに行ってしまったのか?つい空を見上げる。
性的なイメージが全く湧かなくなってしまったのだ。
街を歩く時も子を見つめ過ぎて周囲を見回さないからかっこいい男の子に目が行く事がなくなった。おかげで視力が落ちてしまった。
視力5.0あるというウィッキーさんは都会に住む今はどうなのだろうか?

出産前は、「陣痛=痛い」「産むとき=痛い」「あそこを切る=痛い」ということは理解していたが、実際はもっと宇多田ヒカルの音階みたいに複雑な辛さがあった。

例えば子宮口が10cmくらいまで広がらないと出産に進めないのだが、その広がりを助産師が手突っ込んで指で測るのだ。これがクッッソ痛い。痛すぎて体が強張ってしまう。どんなに我慢しても声も漏れる。この内診の時だけなぜか夫が室外に出されたのだが、見せても良かった気がする。
そして出産中に会陰切開をしたのだが、結局膣内まで裂けてしまった。この縫合がまぁ痛い。

今までセクシャルな使い方しかしてなかった乳首と陰部を殉職させてしまったというのに、
また急に趣向変えた使い方する理解がスムーズに出来ない。あんな痛い思いしたところに吸った揉んだの抜き差しならぬ関係に!?(悲鳴)
恋愛というファイルごと消失してしまったので、なんとなく解脱した気分だ。

携帯を忘れて外出すると何かから解放されたようなどことなく晴れやかな気分になるのは皆さんも体験してるかと思うが、それと似ている。

全ての悩みには恋愛がつきまとっていた。恋愛がベースとなって悩みが渦巻いていた。そこからポーンと抜けた感じ。
あ、皆さんまだ恋愛してるのネ、そんな子供騙しなことはもう遅いわぁ、と。

というのも、育児を優先させる為に性的な気持ちにならないホルモンが出ているとかなんとかあるらしいのだけど、
時々寂しくなることがある。

体型も変わっちゃったしわたしはもうセックスしないのかなー、誰かに欲されることもないのかなー、夫と仲悪くはないけどもうわたしとはできないのかなー、と驚きの恋愛呪縛に気付く。自分こそが、恋愛至上主義だったのだ。
怖くて涙が出た。

結局自分が何をしたいのか分からなくて、つくづくダサいと思う。

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