ベランダというバンド

今日は仕事だった。
日曜日はやっぱり忙しい。夜は比較的暇だ、やはり家庭を持つ人間達は日曜日の18時までに鬱憤を晴らし、次の日から何事もなく仕事に向かうのだろう。
今日は17時まで仕事だった、正確に言えば、残業で18:15、おれは6/3の予定を全て諦めかけたが、仕事を終え、煙草を一口吸ったときに、早く向かわなければと思い、二条nanoに向かった。

nanoに客として向かうのは高校生ぶりくらい、月日にして10年ぶりくらいだ。
ハヌマーンのワンマン、オープニングアクトがカスタムノイズ、そんな日以来に遊びに行った。
遊びに行く以外に出た事もある。
ベランダというバンドでギターを弾いていたときである。

今から3、4年前、the PARTYSと対バンした。
その頃は基本的に、対バンはクソ、ダサいという若気の至りという名のダサい蚊帳の中にいた。
しかしベランダは違った。
認めたくない楽曲の良さ、人の良さ、素直に分かり合えるところ、そんな要素がたくさん詰まったバンドだった、少し羨ましいとも思った。
そこから打ち上げでドラムのたけおのラグビー部時代の話を聞きつつ仲良くなった(?)おれは、サポートギターでベランダのライブに誘われるようになった。
京都まで練習に行き、ライブの日にはリハーサル終わりに颯心とコンビニでビールを買い、飲みながら出番を待つ、そんな日々だった。
おれはその頃承認欲求が強かった。
おれをおれとして求めていてくれるベランダのメンバーが好きだった。
曲も好きだった。おれはこのバンドでギターを弾く、それを全うしたいと思っていた。

が、ダメだった。

おれはおれが思っている以上に幼かった。
ダメな子供だった。
ベランダが一歩を踏み出すきっかけを悪い何かと思ってしまっていた。
そこから逃げる様におれはフェードアウトをし、抜けた。
正式メンバーとしてギターも弾いていた、が、ダメだった。
全ておれが悪い、おれが何もかもを壊してしまったと思った。

そこから何年か経ち、新しいアルバムを聴いた。
そのときのおれは素直になれなかった。
良い、とても良い、しかしおれならまだ何かできる、そういうおれの悪い気持ちだけが膨らみ、全てを覆いそうな気持ちだった。

ベランダのAnywhere You Likeというアルバムは、おれらの日常の光を歌っている。そんなアルバム。

新しく出すアルバムが全国どこのCDショップでも買える、そんなアルバムを出すと聞いて、昔の気持ちが高まってしまった。
聴くつもりもなかったが、酔っ払った衝動でアルバムを買っていた。
買ってしまった。
酔っ払った衝動で買ってしまったアルバムを再生、一曲目で全てがさらわれた気がした。
数年前、おれが初めてベランダと対バンし、魅せられたときの気持ちが蘇った。
そのときにおれの心にあったベランダというバンドに対しての気持ちが真っ当になった気がした。
やっぱりおれは颯心のファンであるのがいい。
そう思った。
それからアルバムを繰り返し聴き、歌も空で歌えるようになり、今日が来た。
颯心はおれを見てびっくりしていた、3年ぶりくらいの再会だった。
酒を奢り、ベランダが呼んだ対バンを楽しみ(楽しみすぎてとても酔った)、トリのベランダ。
おれのもやもやした、曇り空に隠したような気持ちは今日晴れると思った。
一曲目で曇り空どころか眩しいくらいの晴天だった。

ベランダは常に前を向き、彼らの歩幅ながら光に向かって進んでいるバンドだ。

何を言いたいのかわからなくなったので寝る。
ベランダ、そして高島颯心は、日々の希望を光にして歌っている。そんなバンドだ。



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