無理したり我慢したりして頑張ったりできなくなったり。
疲れた。
文が書きたい。文を羅列しようと思う。
文なら書ける。文しかもうやれることがない。ずっと書いていたい。今日も一日書いていた。9ページにもなった。
もう無理ができない体になってしまった。無理なんて無理だ。もう。
早いよな、競争レースからのリタイアだ。
ずっと前にもうリタイアしていたと思っていた。
思っていたよりまだそこにいたらしい。いると思っていたらしい。いると思いたかったらしい。
無理して動いていた。
無理していないと思っていた。自分のやれることを今はやってるんだ、大丈夫だって。これやるっきゃないって思ってた。
いざ、仕事を終えてみると(辞めてみると)、
あれ?
もう動けなくね。全然動かないぞ。おかしいぞ。ていうか、無理してたんだ。って気づいた、
友人に心のエネルギーチャージしなきゃねって言われた。
そんな話じゃなくなってるなって思った。
普通は休みの日に心のエネルギーをチャージしてそれを使って走るんだと思う。私もそのつもりだった。
でも私の走り方は心のエネルギーなんてのはとうに切れていてそこからは自分で自分の顔をとって食べるアンパンマンのような無謀すぎる走り方をしていた。
そんな走り方でうまくいくわけがない。
そんなことをしていたから今は体を修復する時間が必要なのだ。
必要だと言い聞かせないとまた無謀に動き出しそうだから必要だと言っておく。修復しろよぼけ。
疲れた。もう疲れた。我慢して頑張る以外の動き方を知らなかったんだとまたまたまたまたまたまたまたまた思い知らされる。
我慢して頑張る瞬間が必要なのはわかるよ。それが必要なのをわかっているからそうしてきたんじゃないか。これじゃないと社会に適合できなかったんだよ。
我慢して動いてきたからもう動けなくなったんじゃないか。我慢をあまりしないで動ける生活を設計しないとほんとにもうだめだ
もうだめ。だめだぞ俺。
無理するができないのはそれだけじゃなくて、
欲望の解放がクッソ下手なのもあるんだ。
無理になるのはストレスが溜まったままになるからだ
無理になってるのは無自覚の無理やストレスを見過ごしてきたからだ。
ちょっとした嫌だもちゃんと見逃さないでいてやらないと壊れるんだよ。
↑て言われてもできないよね。わかってる。わかってたら我慢癖なんてついてねえ。
疲れた、もう欲望から離れたことはできない。欲望に沿ったことじゃないとできない。それから逸れてることは俺はできない人間なんだ。悲しいね、悲しい。悲しい?悲しいかな。悲しい、、、?
欲望から離れないように離れずに生きよう。お主はそういう生き物らしい。
ちゃんとやることやろう、欲望に素直になろう。やることやっていこうぜ。
でも今はまずは修復からだ。とにかくノートやnoteに書き続けよう。君はもう動けないだろう。動けるように傷を治していこうや。
また動ける足や体になるまで待とう。
書こう、とにかく書こう。書こう書こう。書こう書こう書こう。
書いて書いて書いて書いていよう。書くことしかもうできない。
たまに本を読んで音楽を聴いて散歩してご飯を作って掃除をしてまた書こう。
書いて書いて書き続けよう。今はそれしかできない。今はそれでいい。
そして無理なく動けるような生活を設計していこう。無理なく動いてるのに回る生活を作っていこう。それをずっと続けていこう。
ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると。
淡々と淡々と。淡々と。
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