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「怒哀楽」

笑顔を忘れたわけじゃない
楽しい話を聞けば笑える
でも喜んでいるのかと問われれば
それはよくわからない
私の「喜」はどこへ行ってしまったんだろう
私は「嬉しさ」を感じなくなってしまったのだろうか

私の「喜」はどこへ行ってしまったのだろうか

 最近、Xの自分のポストを見直していて、気づいたことがありました。「◯◯して嬉しい」のような、「喜び」についてのポストが極めて少ないのです。

 「喜び(嬉しい)」の反対は「悲しみ(悲しい)」なのだと思うが、嬉しさを感じていないからと言って、一日中悲しく塞いでいる、というわけでもないです。ただ、嬉しさを感じることがあるのかと問われると、それはよくわかりません。

 よく眠れたなあ。(別に嬉しくもない)
 今日のお味噌汁、めっちゃ美味しくできたなあ。(別に嬉しくもない)
 あー、お風呂気持ちいいなあ。(別に嬉しくもない)
 今日も一日、無事に終わったなあ。(特に何も思わない)

 と、こんな感じなのです。
 平穏な毎日に感謝することさえできない、というのが近いのかもしれません。

自分が喜べないなら他人が喜ぶことをしよう!

 「喜」がどこかへ行ってしまった私。
 ならば、他の人が喜ぶことをいろいろやってみよう。そのうちに、だんだん私の「喜」も戻ってくるんじゃないかな。
 そう考えて、早速、実践することにしました。

実践①娘にシャインマスカットを食べてもらおう!

 今日、娘と一緒に、週末の買い物に行ってきました。私も娘も大好きな、シャインマスカットがちょっとだけ安く売っていました。
私「一週間よく頑張ったから、シャインマスカット、食べる?」
娘「(にっこり笑って)うん、頑張ったから、食べる。」
 昼食のデザートに早速出すと、大事に大事に、ゆっくり食べていました。「んー、美味しい♪」実に幸せそうな笑顔でした。

実践②母に新しい時計を探しに行こう!

 母が、デイサービスにつけていく腕時計を新調したいと1週間ぐらい前から言っていました。電池を換えながら20年近く使っていましたが、文字盤が黄ばみ、時計の裏には緑青が。「じゃあ、私が探してみるよ。」と請け負い、何件か時計屋さんをまわったものの、80代の母にとって使いやすいような「文字盤の数字が1から12まで全部書いてあって、程良い大きさではっきりしているもの」「それでいて文字盤は大き過ぎず、つけていて邪魔に感じない」「指先が震えるので、ワンタッチで簡単に止められるシンプルなメタルブレスタイプ」の3つを満たしているものが全く見つかりません。
 あちこちまわって4か所目、いわゆる「町の時計屋さん」に立ち寄ってみました。入ってみると、誰も居なくて、お店にはエアコンもなく、レジの電源もついていません。「こんにちは。」と店の奥に向かって声をかけると、おばあちゃんが出てきました。母が以前に使っていた腕時計を見せて「こういうタイプの腕時計を探しているんですけど、ありますか?」と尋ねると、おばあちゃんはガラスケースを指して「そこに入っているぐらいしかないんだよね。」と。女性物の腕時計は5本しか並んでいませんでした。しかしその中の1つに、母の条件のうち、2つを満たす腕時計があったのです!メタルブレスではなかったのですが、なんと、バックルの部分だけはメタルブレスのタイプになっている、とても変わったデザイン。これなら、母も自分でつけられます。合格!というわけで、購入しました。いやー、町の時計屋さん、侮るなかれ。(熱中症警戒アラートも出ている日、時計屋のおばあちゃん、涼しいところで過ごしてくださいね・・・)


Rikiのホームページからお借りしました。
一番右の、落栗色のものを購入しました。

 早速、母に買った時計を持って行きました。サイズを母の手首に合うように調整すると、「素敵な時計だね。ありがとう。」と、とても喜んでくれました。

娘と母の「喜ぶ姿」を見て

 私の「喜」が戻ってきたか、と言われると、微妙な感じではありますが、少なくとも、安心した、ほっとした、という感覚はあります。悪い気分ではありません。
 それでいいのかな、と思います。
 そのうち、私の「喜」も戻ってくることでしょう。「どうして喜べないんだろう?」と悲しい気持ちになるのではなく、そんなことを考えている時間があるのなら「他人が喜ぶこと探し」の実践を積み重ねていこうと思います。

 さて、私もお茶でも入れて、シャインマスカットを食べようかな。


特別支援教育に興味を持つ教員です。先生方だけでなく、いろいろな職業の方とお話して視野を広げたいし、夢を叶えたいです。いただいたサポートは、学習支援ボランティアをしている任意団体「みちしるべ」の活動費に使わせていただきます。