桃太郎はなぜ人間を仲間にしなかったのだろう(勝手な想像)
今日は、いつもの記事と毛色が違いますが、私の頭の中をそっと覗いていただいて、笑っていただけたらと思います。
割とどうでもいいことも考えてるんです。
なんか、ふと思ったんですよね。
桃太郎は、どうして犬や猿、雉を仲間にして、鬼退治に行ったのかな、って。
そもそも、人が動物とコミュニケーションをとるって、大変だと思うんですよ。
自分が、仲間を探すんだったら、絶対、人を探します。
でも、「鬼を倒したいんです、一緒に来てください。この黍団子をあげますから」って、そんなこと急に言われても、ってなりますよね。
「鬼ヶ島?どうやって行くのさ、そこまで。船の安全性は大丈夫?」
「黍団子?もうちょっと報酬をもらわないと、やってられないよ。っていうか、俺の分の武器は用意してあるの?」
それ以前に
「鬼!?そんな強いやつ、もっと屈強な人が倒せばいいんだよ。君が頑張ることないって」
人は賢いです。できることとできないことが区別できます。
そう考えたら、動物、になるのかもしれないですね。
動物「(いい匂いだな、これは、なんですか?)」
桃太郎「ああ、これ?黍団子だよ。おばあさんが作ってくれたんだ」
動物「(一つ私にくださいな)」
桃太郎「鬼退治に一緒に来てくれたら、あげるよ。これを食べたら百人力さ」
ああ、動物たちはなんて純粋なんでしょう。
動物たちは、未来のことを考えず、目先の食べ物につられて、同行することを決めました。なんなら鬼退治の意味もわかりませんでしたし、鬼が何かもわかりませんでした。
それでも、みんなで力を合わせた結果、鬼ヶ島で鬼を倒せて、宝物を持って帰宅する桃太郎。
しかし、桃太郎のお話には、帰宅後の動物たちの話は、どこにもないんですよね。
何と言って動物たちと別れたのでしょう?
桃太郎「みんなありがとう。君たちがいなかったら、鬼も倒せなかったし、宝物も得られなかったよ。じゃあ、またね!」
動物「(黍団子おいしかったね)(鬼も倒せてよかったね)(宝物って何だろうね)(またね、ってどういう意味だろうね、また黍団子くれるのかな)」
動物たちは未来のことが考えられません。宝物の中身も想像できません。
何なら「人にとっての宝物」に過ぎず、動物たちには何の価値もないものなのかもしれませんから、桃太郎も敢えて説明を加えず、何事もなかったかのように家に帰ったのかもしれません。
動物たち「(桃太郎さん、せっかく家に帰ったんだから、おばあさんに黍団子を作ってもらって、僕達にくれてもいいのにね)(うん、でも僕達も疲れたし、解散しよう)」
そんなことを考えたかどうかはわかりませんが、もし仲間として人間を連れて行ったら、ご褒美の黍団子どころか、宝の分け前で別の戦いが始まっちゃいそうですね。
だから、動物たちを仲間にしてよかったのだと思います。
まあ、真相はこうらしいですけどね。
というわけで、いろいろ書いていましたが、私の中の結論は、
「桃太郎は要らぬ不満を言われたり、新たな争いをしないために、動物たちを仲間に選んだ」
で落ち着きそうです。
実に思慮深く、道徳的なお話だと改めて思いました。
みんな、仲間選びは大切だよ!
・・・はい、というわけで、私の頭の中でした。こういうことを考えながら過ごす夏の昼下がりです。
普段はもう少し真面目なことを書いていますので、是非他の記事も見ていただけたら嬉しいです。
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