「不健全図書」入門note
はじめに
本noteでは「不健全図書って何?」「名前は聞いたことあるけど詳しくは知らない」、そんな方々向けに不健全図書指定制度の概要・プロセス・影響・問題点等について"ざっくり"と解説致します。
1964年から行われている歴史のある制度で情報量も多いため論点や問題意識共有の為に書きましたが、この道の専門家ではないので不正確な記述等御座いましたらお手数ですがご指摘頂けますと幸いです。
前置き
本題に入る前に、前提知識として「指定図書類」「表示図書類」「類似図書類」という用語について軽く説明させて頂きます。
指定図書類:不健全図書のこと(詳細は後述)
表示図書類:成年コミックマークやCEROのZ指定など、最初からR18としてレーティング・販売されている図書類のこと
類似図書類:表示図書類(R18)ではないが、コンビニが独自にR18相当だと判断・区分陳列している図書類のこと
少しややこしいので図式化してみました。とりあえず、全年齢向けだが内容が"相対的に過激"な作品から不健全図書指定されるということを覚えて頂ければ充分です(分かり易さ重視で簡略化した図なのであくまで参考程度に)
「不健全図書」とは?
不健全図書とは「東京都青少年の健全な育成に関する条例」に基づいて指定された図書類のことで、端的に言うと東京都が「これは青少年が手に取るにはまだ早い」と判断したものを指します。条文は長いので関係がある個所だけピックアップしていきましょう。
「図書類」
先ほどから「図書類」という言葉を使っていますがこれは言葉を濁しているのではなく、実際に条文で定義されている用語です。
「不健全図書」という名前の印象から勘違いされやすいですが、不健全図書指定の対象は漫画などの書籍に留まりません。また電子書籍は対象外となっている点にも注意です(60年前に電子書籍は存在していないので、そもそも想定されていなかったのでしょう)
「不健全図書」
第八条第一項には不健全図書の基準が明記されています。前半の第一号と後半の第二号に分かれており、どちらか一方の基準を満たすと判断されれば不健全図書指定されます。
条文内の「著しく性的感情を刺激するもの」「甚だしく残虐性を助長するもの」「著しく自殺又は犯罪を誘発するもの」「性交又は性交類似行為」については施行規則でさらに細かく定義されています(長くて覚える必要も無いので、読み飛ばして頂いても構いません)
東京都がエロ本ばかり指定するので「不健全図書=えっちすぎる本」と思い込んでいる方が少なくありませんが、残虐性の助長や犯罪の誘発など、性的ではない図書類も指定の対象であるということさえご理解頂ければ充分です。実際に過去には『善悪の屑』4巻のような非エロの青年漫画が指定されたことがあります。
不健全図書指定のプロセスについて
次に不健全図書指定のフローについて。不健全図書指定制度は都の「生活文化スポーツ局都民安全推進部若年支援課」内の担当職員(通称:事務局)を中心に運用されているのですが、実際彼らはどのように動いているのでしょうか。
①実店舗で図書類を購入
不健全図書は審議会の審査を通して指定されるのですが、まずは諮問対象となる図書を見つけるために、事務局の都庁職員が東京都内の書店へ足を運んで目についた図書類を買い漁ります。
購入する図書類のジャンル毎の内訳やタイトル、購入した書店等については完全なブラックボックスです(大体毎月100~130冊前後を購入するので、月の予算は約10万円なのではという説もあります)
事務局としては無作為に購入しているようですが、恐らくタイトル・帯・表紙の時点である程度過激なものが目に留まりやすいのではと推測されます。
②審議会で審査対象となる図書類を厳選
100冊以上の図書類を1回の審議会で審査することは不可能なので、審議会で審査対象となる作品(以降"諮問図書類"と呼称)を絞り込みます。毎月何点選ばなければいけないという決まりは無いですが、大抵の場合は月に最低1冊は選ばれます(最近は多くて3冊、昔はもっと)
購入した大量の図書類を担当職員が読み「性交・性向類似行為の場面における下半身描写」「器具を使用している描写」「あからさまな下半身描写」などがあるページに付箋を機械的に貼っていきます。これは審議会での審査効率化のための作業ですが、最終的に厳選された諮問図書類には夥しい数の付箋が貼られるそうです。
③自主規制団体への意見聴取
諮問図書類の選出が済んだら、審議会を開催する前に出版業界に知見のある自主規制団体への意見聴取を行います。各自主規制団体のメンバーは諮問図書類を読み、今回の不健全図書指定が妥当か否かをを理由付きで回答します。彼らの意見は一覧化してまとめられ、図書審査時の参考資料として審議会で配布されます。
意見聴取に応じる自主規制団体のメンバーは下記の通り。
④青少年健全育成審議会の開催
いよいよ審議会の開催ですね。事務局は全審議委員に付箋が貼られた状態の諮問図書類を1冊ずつ配布し、それを読んだ審議委員が「指定該当」「指定非該当」「保留」とその理由について1人ずつ回答していきます。最終的に多数決で不健全図書指定するか否かを決定します。
尚、審議会自体を傍聴することは可能ですが図書審査の部分は非公開のため、傍聴人や関係者(編集者・作家など)がその場で異議を唱えることは出来ません。そもそも事前に何が審査されるのか分からないので関係者がその場に居合わせることなど基本的に無いのですが。
⑤不健全図書指定の告示と周知
審議会で何が不健全図書指定されたかはこの時点では非公開情報です。なので書店等で青少年が買えないようにするために、東京都の広報やHPにてタイトルを発表する必要があります。但し審議会を開催した当日に発表してしまうと書店等の対応が間に合わないので、審議会開催から数日置いて改めて告知されます。
その間に事務局は、葉書で東京都内の販売業者(新刊書店、コンビニ、古書店、DVD店、漫画喫茶・ネットカフェ等)に新しく不健全図書指定された図書類のタイトルを告知します。これを受けた各販売業者は条例に基づき、対象作品を区分陳列して販売しなければなりません。
不健全図書指定の影響・問題点
ここで少し趣向を変え、不健全図書問題に明るくない人によく見られる勘違いや疑問をQ&A方式で取り上げながら、不健全図書による影響や問題点を皆さんに共有していこうと思います。今までと異なり私の主観が多分に入ることがありますが何卒ご容赦ください。
Q. 不健全図書指定された作品は買えなくなる?
A. 不健全図書は禁書ではないので買えます。但し買える店は限られてしまいます。
そもそも不健全図書指定の目的は「都が問題視した作品を都内の青少年が読めないようにゾーニングし健全な育成を促すこと」です。都内の成人が購入する分には何ら問題ありませんし、何なら他県の青少年が読んでもいいのです。
但しそれは不健全図書指定後も対象作品を書店等が引き続き取り扱ってくれればの話です(上記ツイートのように意欲的に取り扱ってくれるのは非常に稀)
都の規則に従って区分陳列すれば不健全図書を販売することは可能ですが、全ての販売店がその区分陳列に対応できる販売スペースや人員・コストを確保できるわけではありません。そもそもアダルトコーナーを設けていない所も少なくないです。
これらの書店の売り場からは、残念ながら不健全図書指定された作品は撤去されてしまいます。「棚を入れ替えるだけ」とお考えの方もいるかもしれませんがそう単純な話でもないようです。
Q. 書店から撤去されるとしても東京都内だけの話なので、影響は軽微なのでは?
A. 東京都内の書店の数は他県と比べて圧倒的に多いので、他自治体で有害図書指定されるよりも影響が大きいです。
Q. 不健全図書指定されてもAmazonで買えばいいのでは?
A. 不健全図書はAmazonでは発禁になります。
Amazonは規約で不健全図書をストアで取り扱わないことを定めているので、指定された作品はストアから削除されてしまいます。本来不健全図書指定の対象外であるはずの電子版や、ナンバリングタイトルなどの関連著作までごっそり削除されるケースもあります。
アダルトグッズやR18本も取り扱っているので不健全図書も同じ区分で売ればよいと思うのですが、東京都が「青少年に悪影響を及ぼしかねない」とレッテルを貼っているので、Amazon側が萎縮して取り扱いをやめてしまうというわけです。
Q. Amazon以外で買えるから大した問題ではないのでは?
A. 幸い代替の入手手段は確かにありますが、Amazonの過剰な自主規制を軽視していい理由にはなりません。
不健全図書は東京都の制度ですから、全国全世界のAmazonユーザーが影響を受けていること自体がおかしいのです。「電子書籍は全部Kindleで揃えたい」「AmazonPrime会員だからAmazonで買いたい」という需要もあるでしょうしね。
Q. 不健全図書に携わった出版社や作家は逮捕される?
A. されません。
刑法第175条と論点を混同しているケースです。条例では販売業者に区分陳列を、出版社には自主規制の努力義務を課しておりこれに違反すると罰金を科される場合がありますが、事前に警告や指導が入るので即罰則とはなりません。そもそも都職員に誰かを逮捕する権限などありません。
Q. 新聞や医療デマ本の方がよっぽど不健全なのでそちらを不健全図書指定すればよいのに
A. 現行の基準や今までの指定状況を鑑みると、それらが不健全図書指定される可能性は非常に低いと思われます。
事務局が毎月どのような図書類を購入しているかについては完全なブラックボックスなので、審査の対象になっているかすら不明です。ちなみに不健全図書指定は巻数毎に行うので、例えば「〇〇新聞そのものを不健全図書指定」「〇〇という作品自体を不健全図書指定」ということも出来ません。
Q. 不健全図書指定されたくなければ、最初からR18として売ればよいので自業自得では?
A. 一理ありますがいくつか考慮すべき点があります。
まず第一に、作家側にはR18として売る自由も全年齢として売る自由もあります。そしてR18を取り扱っているレーベルは確かにありますが、全年齢と取次が異なり販路はかなり狭まります。「〇〇されたくなければ全年齢で売るな」というのは一理ありますが脅しに近い文句です。
第二に、本の売り方について作家が関与しているとは限りません。表紙の構図、帯の文章、タイトル、修正度合、全年齢向けでいくかR18で行くか等々……これらは作家ではなく編集者などが方針を決める場合があります。不健全図書指定を受けると作家が矢面に立たされがちですが、一概に作家一人に責任を追及できるわけではないのです(そもそも咎められるようなことをしていないのですが……)
余談ですが施設から利用を断られるので、不健全図書指定を受けた作家や作品関連のイベントが開きにくくなるといった問題もあるそうです。東京都が無根拠に「青少年に悪影響を及ぼす可能性がある」と指定し周囲が腫物扱いすることは作家や作品の社会的スティグマの強化にも繋がります。
Q. でもこの漫画の内容は明らかにR18では?
A. 漫画において明らかなR18基準というものは存在しません。
出版業界には映倫やCEROのようなレーティング団体が存在しないので、共通のR18基準といったものがそもそもありません。R18として売るかどうかは各出版社が独自に判断しています。その自主規制ラインも時代によって変わり、業界や出版社に留まらず場合によっては部署毎に異なることもあるそうです。
勿論「この作品が全年齢向けなのはおかしい」と声を上げるのは自由ですし一定の共感を得られるかもしれませんが、明確なR18基準が存在しない以上、それは感想の域を出ません。
全年齢向けの中でも性的・暴力的な描写を含む作品は数えきれないほどありますが、その中でも不健全図書指定されたのは一握りにも満たないのが現状です。その中で、不健全図書指定された全年齢向け作品と、不健全図書指定を免れた全年齢向け作品を完璧に仕分けることができる人はいないと思います。
同様に出版社側も東京都の不健全図書指定のラインを図りかねています。修正を強める、器具や薬剤の使用シーンは避ける、学生同士の恋愛は取り扱わない、など試行錯誤している節はありますが……
Q. 性器の修正が薄いから不健全図書指定されるのでは?
A. よくある勘違いですが修正の度合いはあまり関係ありません。
性器の修正が薄いと事務局や審議会からそのことを問題視されやすくなるという傾向は確かにありますが、修正をしっかりしていても「修正されているからOKというわけではない」と他に理由をつけて結局は不健全図書指定されるのです。過去に性器の修正が濃かったことで指定を免れた例は1つもありません。
性器の修正は主に刑法第175条対策と思われます。
Q. 不健全図書指定には基準が無い
A. 不健全図書の指定基準は冒頭でお伝えした通り条例で定義されています。基準そのものが曖昧で不明瞭という問題は残っていますが。
Q. 不健全図書の審議会は傍聴できるし議事録も公開されるので透明性が担保されているのでは?
A. 傍聴には行けますが図書審査時に傍聴人は退室させられますし、議事録にも問題があるため透明性が担保されているとは言えません。
議事録を読んで頂ければ分かりますが、傍聴人が傍聴できるのは会議の冒頭と終わりだけです。会議を傍聴しにいったのに、待合室で待機している方が長いのです(傍聴とは……?)
公開される議事録にも問題があり、そもそも公開が審議会開催から1カ月半~2カ月と非常に遅いです。また殆どの発言者の名前は匿名となっています。表現規制によって名指しで経済的・社会的不利益をを与えている行政側が匿名で手厚く守られているという構図です。
また過去には傍聴人が聞いた審議委員の問題発言が議事録では触れられていなかったという話や、現役の審議委員として積極的に不健全図書問題の発信を行っていた都議が事務局から発信を極力控えるように"お願い"されたという話もあります。
少し話は逸れますが、諮問図書類の選定や書店での購入基準などは条例で定められていないので完全なブラックボックスとなっているという問題もあります。
Q. 審議委員はみんな敵?
A. そんなことはありません。
特に審議委員を務める東京都議会議員の中には(都議は1〜2年で委員交代)、表現の自由に理解を示し、内側から制度を変えようと奮戦して下さっている方もいます。
Q. 不健全図書は統一教会案件では?
A. 要出典。
Q. 色々と問題はあるかもしれないが不健全図書指定には抑止効果が見込めるので、子供達の為にも制度はこのまま続けていくべきでは?
A. 確かに不健全図書指定には見せしめや抑止力、必要悪的な側面があることは否めません。しかしここで重要になってくるのは抑止力があるかないかだけではなく、「不健全図書による規制は必要か?」「青少年の健全な育成に実際に寄与できているのか?」という点です。
前者についてですが、そもそも日本には児童ポルノ防止法や刑法第175条など、より強力な法規制が既に存在しています。仮に不健全図書指定制度が無くなったところで、書店に性的・暴力的な図書類が氾濫し青少年が非行に走り社会が混乱に陥る、といった事態になるとは考えにくいでしょう。
後者についてですが、東京都は不健全図書指定制度が都内の青少年の健全な育成にどれだけ貢献しているか、といった類の調査をこの約60年もの間一切行ったことがありません。効果測定や検証を定期的に行い、適宜制度・運用の見直しを図るのが一般的かと思いますがそれをやっていないのです。指定によるメリットを数字で語れる人が規制側にいません。
60年前ならいざ知らず、現代の東京都内において、お小遣いを握りしめて親に内緒で書店へ行き、『鬼滅の刃』などの人気漫画ではなく、過激な内容の本を買おうとする青少年が一体どれだけ存在するのでしょうか?
勿論全く居ないとは思いませんが、今はわざわざ書店まで足を運ばずともネットで本を注文出来ますし、電子書籍も急速に普及しています。無料で漫画を読めるサービスもあります。漫画以外のエンタメも豊富で、わざわざお金を出してまで書店で紙の本を買おうと思う未成年は減ってきているのではないでしょうか。
またネット社会ですから各種SNSや検索サイトで"不健全"な情報へのアクセスは容易にできます。青少年が健やかに育つことは良いことかもしれませんが、今の時代において作家・出版社・販売業者へ押し付けられる不利益を上回る利益を、不健全図書指定制度は社会にもたらしているのか。考える機会があってもいいのではと思います。
最後に
不要な情報・論点を極力そぎ落としたつもりでしたが結局長文になってしまいました。最後までお付き合下さった方々は本当に有難うございます。
主観となりますが不健全図書指定はすっかり形骸化し惰性で続いている制度だと思っています。事務局が諮問図書として厳選したものを、審議会はほぼ満場一致で流れ作業のように指定するだけです。ただこんな制度でも、作家や出版社、販売店に与える影響は少なくないのです。
保守的で凝り固まったこの制度をいきなり廃止または改正する、というのは理想ではありますが非現実的です。今は一人でも多くの方に正しい知識と関心を持って頂くことで、少しずつでも良い方に向かえればなと思っています。
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