人前で泣くのをどうにかしたい話

本当は先日の追いコン飲みのことを面白エッセイ風につらつら書こうかと思ってたんですが、面白く書けそうにないのと、そもそも5時間分の記憶が保たれてないというところで、お見送りです。
(途中会場から抜け出して、深夜の渋谷をひとり徘徊した時の話は別記事にしたい。)

表題ですが、これは追いコン飲みにおける私のスーパー反省点です。先日はいい年したM1の癖に泣きじゃくって申し訳ございませんでした。

号泣して人に迷惑をかけた経験は今までの人生にも沢山あります。例えば中3の修学旅行で広島で戦争のお話を伺った時にも号泣して周りをドン引かせたし、ノンフィクション将棋映画で号泣してピカデリーから出られなかったりとか、B3の菅平合宿とか。人生をかけてどうにかしないといけない問題だと思っています。

しかしどうにかしなきゃなあ、と思いつつも泣く場面って急に訪れるので対策できずにここまで生きてきた感じです。。泣き虫が言える話ではないのですが、人前で泣くというのは本当によくないことだと思っています。例えその原因が人であれ、泣く方が100悪い。泣きたくて泣いているわけではないのに泣いてしまうので自己嫌悪が物凄い。

さすがに反省しようと思って、最近の号泣シーンを振り返ってみると


①自認している自分自身の欠点を正論を以て突かれた
②泣いた後に同情された、慰められた(更に泣く)

に大別されそう。

①は伝え方による。(悪意あるのかってくらいに)ストレートにドスドスくると、かなり素直な性分なもので、まともに受け取って死ぬ。自分の至らなさ・社会不適合さを再確認する形で死ぬ。

②はこれもけっこうキツくて、相手は善意から声をかけてくれているのにこちらが泣いてしまうので申し訳ない。最初は人の優しさに触れて泣いているのだが、途中から相手に対する申し訳なさと、泣くべきでない場面で泣く自分の不甲斐なさに泣いている。

いずれのパターンせよ、酒が入っているというのも条件としてありそう。酔いが回っていると「やばい、心にぐさぐさ来てるなう」みたいなときに「トイレいきまーす」みたいな機転が利かなくなる。あと、普通に感情の振れ幅が大きくなるよな

この人生の中でもかなり印象的な「焼肉のタレ毒霧事件」を振り返ると、あれは非道な行為そのもので泣いたとかではなく、そのあとに皆に慰められたりとか、このまま幹部代になる不安とか、自分が部にいる意義とかに思いを馳せた時に、堪え切れずに菅平のキャベツ畑を放浪して泣いた思い出。自分、どうやら意味の分からない事象に対しては泣かないもよう。

泣くことの何が一番いけないかって「人に要らぬ迷惑をかける」ことだと思っていて、別に一人でめそめそ泣く分にはいいと思う。信じてもらえないかもしれないけど、人前で泣きたいと思って泣いたことはない。。

映画で共感して号泣するにせよ、人に正論突かれて泣くにせよ、慰められて泣くにせよ、私は感受性が高すぎるのが問題だ。あと、感情と涙腺の繋がりが強固すぎる。どうすりゃいいんだろう、メタ認知的に生きればいいのかなあ。。

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