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あんたが知らない私1話

 上京して,目まぐるしく変わる景色にすっかり慣れた頃,私は生まれ育った街に帰ることになった.帰りたいと願って異動希望を出したのはもうだいぶ前のこと.それが今になって回ってきた.

 大学を卒業してからずっと帰っていなかったけれど,私の街の景色は何も変わっていなかった.あの公園で日が暮れるまでボールを蹴っていた.今も変わらない,放り投げられたランドセルの山に1つしかない赤色はよく目立つ.自転車の後ろからいつも見ていた夕陽はこんなにも赤かっただろうか.門限を守らない私たちは二人揃っておばさんによく怒られた.流石に駅前は知らない店も増えているか.たまり場だったあの店は今も学生たちで賑わっている.そこで毎年開催された個数発表で自慢げに本命数を語る彼は私のをカウントしていたのだろうか.遅くまで研究室にいた帰り道,知らない子と入っていく彼を見つけたあのビルは今も変わっていなかった.名前も思い出せない先輩と私が入った向かいの建物は面影すらなく,よく見る雑貨屋に変わっていた.

 卒業式の日,私は惜しむ間もなく,東京行きの新幹線に乗らねばならなかった.一人,ホームで待っていた私は聞き慣れた声に呼ばれて振り向いた.彼は花束と紙袋を両脇に抱え,息を切らして立っていた.
あの時の切符は,今も手元に残っている.

  翌朝,彼と私は着替えを買いに出た.二人でお揃いのシャツを着て、学生の頃に何度も通った店でコーヒーを飲んだ.小さかった頃と同じ二人の穏やかな空気.同じ街で同じコーヒーの匂いを嗅ぐと彼の表情,声,匂いもまるで昨日のことのように思い出せる.

 着信で我に帰った.大学時代仲良し組だったあの子から,週末に飲み会をするからとのことだった.相変わらず,私の予定は全く考慮しない.彼女とも,もう随分と会っていない.大学時代は親友と呼ぶに相応しい関係だった.彼女の下宿でよく情報交換と作戦会議をしたものだ.卒業して間もなく,風の噂で彼とあの子が付き合ったことを知った.