理屈よりも感情、感情よりも宗教

今日、40歳の本厄の厄除祈祷に行ってまいりました。

神社に行って神主さんにお経?みたいなものを読んでもらう、あれです。

もちろんお金がかかります。

あんなのなんの意味があるの?って考えている方も多いのではないでしょうか?


神様って存在するの?

いないと思います。物理的(理屈)では。だからって神頼みが無駄だとも思いません。

宗教については勉強不足なものでいえることはないんですけど、あれって心のよりどころみたいなものだと思っています。

神様がいるかどうかは自分が決めればよい。周りの人がどうこういうものではないですよね。

つまり存在するか、と言われればその人によるということでしょうか。

理屈でも感情でもないところに宗教は存在しているのだなと、ふと今日思ったんです。


理屈・感情・宗教が人間のよりどころの三本柱?

このnoteを書き始めた理由にもなっている人との協調。理屈を押し通すのではなく、心情も理解してチームをひっぱる必要がありますよね。

今、理屈と感情、この二つが私の中で対極になるよりどころです。

でも実は2極じゃなくて、もう一極に宗教があるんじゃないのかと、そう思ったんです。

だって、宗教って理屈でもないし、感情論でもない。あれはなんなんでしょうね。私はまだ十分に理解できていません。

企業でいえば基本理念とかそういうやつが宗教チックなものなんでしょうか。



考えがまとまってないのに書き始めてしまってぐずぐずになってしまいました。書こうと思えばもっと書きたいことはあるんですけど、どっちみちまとまった結論にはならないと思いますので、やめておきます。


もし読んでくださったかたがいたらすいません。何が言いたいんだ、と思われたかと思います。

すいません、私もよくわかりませんでした。


そのうち、この記事を読み直して、何かしら答えを出したいと思います。


終わり。

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