42歳を振り返ってみる
もうすぐ42歳が終わります。どんな年だったからと聞かれれば
「小さく色々とチャレンジした年でした」
と答えようか。では結果は?
「うまくいかなかった」
ポジティブに言えば失敗から学んだ1年だったと。
思い出すついでに振り返ってみようと思います。
チャレンジしたこと
英語の勉強を1年間続ける
大学講師の公募に応募する
部署異動し新しい職種にチャレンジする
社内有志を集めて、社内ワーキングを結成(組織活性化)
断捨離(メルカリ)
投資信託と株式投資
小学校PTAの副会長
おお、思ったよりもたくさんあるな。。。
副会長以外は自ら進んでチャレンジしたものですが、副会長もいやいやではなく前向きに取り組んでいます。
チャレンジした結果(表面的な結果)
それではチャレンジ結果についてお知らせします。ここではまず「表面的な結果」として自分の感覚的なのを含めず、客観的な事実に基づく結果をお知らせいます。
英語の勉強を1年間続ける
→目標達成ならず : TOEIC 目標550点に対して515点大学講師の公募に応募する
→採用ならず : 書類選考で落選。面接すら受けられず部署異動し新しい職種にチャレンジする
→成果なし : 第三者から評価されたアウトプットなし社内有志を集めて、社内ワーキングを結成(組織活性化)
→成果なし : 第三者から評価されたアウトプットなし断捨離(メルカリ)
→130品販売し、売上利益30万円投資信託と株式投資
→問題なし:順調に投資を続けて資産が増えていっている小学校PTAの副会長
→可もなく不可もなく:問題なくこなしている。地域との交流もできてよいかも
書いてみると、全然ダメダメ、ではないですね。
はっきり成果を求めたもの(英語や公募など)がだめだったので、ダメだった感は強いですが。
チャレンジした結果(経験から得たもの)
気づきとして得られたものを列挙してみます
自分のどういう能力や特性に社会的価値があるのかを理解できていない。という気づき
これがしたい!という熱いものがない
アクションしてもなかなか結果は出ない
必要ではないものに囲まれて生活している
自分が価値がないと思っているものも、誰かは必要としている
いざ書いてみて、言語化しにくいことに気づきました。すごく書きづらかったですね。
結局のところ、どうでした?(総評)
冒頭では、「小さくチャレンジし、失敗から学んだ1年でした」と言いましたが、改めてまとめてみた結果を踏まえて総評を述べたいと思います。
これまでの社会人人生は、与えられた仕事で忙しく過ごし、
”給料”と”充実している感”も一緒に与えられていた人の能力にそんなに大きな差はなく、環境や気持ちの影響が大きい
とにかく動かないと何も始まらない(待っててもなにも起きない)
話が飛躍しちゃうんですが、この記事を書いていて改めて思ったこと。
今までの自分っていうのは、与えられた課題や仕事によって作られていたパッシブな自分だったのかなということ。
正直、自分はほかの人より優れていてなんとなく優位な人生を送っていると感じていた。
でも、もしそうだったとしてもそれは与えられたものであって、自らの手で勝ち得たものではないということ。
それに気が付けた42歳だったと思います。
よかった、これに気づけたのが早ければ早いほど立て直しがきく。
もっと早く気づけたかもしれないが、いまさらそんなこと考えても意味はない。
よし、いい42歳だった。 お疲れ自分。
まとめ
42歳という年は小さく色々とチャレンジした年だった。
実際に書いてみると、思ったよりもたくさんチャレンジしていた。
成果はどれも胸を張れるものはない。
でもそこからの気づきはあった。
これまでの充実感は与えられた充実感だった
それに気づけた年だった、早く気づけてよかった
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