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最近の行動3選


一つの出来事を噛み砕こうとしている

自分の魅せ方がわかっている人が一番強い。
というのもセルフブランディングしやすい
環境であるSNSにいる時間が長いので、
周りの人を見てそう感じる。

SNSのセルフブランティングで
一番よくみるのが「多忙」。

週2回のフルコマに週3の集団授業バイト、
ゼミもフィールドワークもある。
サークルは4つぐらい掛け持ちしている。
空いている日には意中の子を食事に誘い、
もしくは友達と美術展に出かける。

そんな感じで、予定に次ぐ予定があると
いうことをSNS上で言っている人が
まあまあいる。自分もその作法に則って
セルフブランディングしたのが先ほどの文章。
多忙な大学生を演出しているが、実際はnoteを
家で書きながら朝食も食べずに寝転がっている。
気がつけばお昼の時間になったので、無印の
バターチキンカレーを食べ比べしようかと思う。

量的なモノで人生を埋めたくなり、
そしてその量的なモノで自分を彩る
(プロデュース)するのはなぜだろうか。
そこにはきっと恐怖心があるのかもしれない。
イギリスの思想家ロックの立場からすれば、
人間は元来白紙(タブララサ)である。
生得観念などなく、人間は生後の行動によって
形成されるということだ。そしてその白紙の
キャンバスが無尽蔵に広がっているという恐怖。

そうして白紙のキャンバスに雑色を塗りたくる。
しかも厄介なことに、これはのんびり絵を
描くのではなく、コンペティションの
ようなものである。いち早く色鮮やかで
艶やかなキャンバスを見せたものの勝ちである。
それがセルフブランディング
「多忙」の一端だと、自分はそう思う。

だからこそ、自分はその逆張りとして、
一つの出来事をじっくりと味わうことにした。
あまりにも多くの色で自分をペインティング
するのではなく、わずかな絵の具と、
か細い筆で、輪郭に色をつけていくような、
そんな繊細な心と機微な心境を抱き締めて
日常を生きている。具体的には、のんびり
変わらない車窓を眺めたり、その車窓に飽きたら
移動手段を変えたりなどしている。いつも
行っている学食でオリジナルメニュー天津飯を
勝手に開発する。一つの出来事のように
語っているが、多忙としてカウントされうる
出来事にすらならないだろう。

しかし、イベントと非イベントの
重層的存在として人は形造られる。

そのことに気づくための
微細な変化を自分に加える。

古来から日本人がハレとケの
往還の中で生きていたように。


偶発的に非イベントがイベントになることもある。星ピノ




メンクリに通い続けています

メンクリの初診から4ヶ月ぐらい経過した。
症状の揺り戻しに苦しみながらも、
認知行動療法であったり薬物療法であったりを
試している。実際にどちらも効果はある。
しかし、寛解には程遠い。精神との対峙は途方も
ない時間と体力と気力を要する。
そしてお金。お金。お金!!!

基本的にメンクリは自費診療で7000~10000円、
保険を効かせた3割診療でも2000~3000円
かかる。診察でもカウンセリングでも
この値段かかる。薬の処方だと薬にもよるが
自分は2000円弱(3割負担)かかっている。

先日病院代を計算したところ、
4ヶ月で15000円かかっていた。自分のお金で
診療しているのでこの出費はかなり痛い。
さらに、揺り戻しで症状が全て復活すると
いうのも往々にして起こる。しかし、
無駄にはなっていないなという実感はあるし、
何より、「自分自身と向き合う」
というところに絶大な意味を持つ。

「他人をメンクリ代わりにするな」は
私が高校生の時から持っているモットーである。
なぜかというと、
他人はメンクリになれないからだ。


メンクリになれる(と勘違いする)ような他人と
自分の関係値は深い。だから、他人に自分の弱さを
話して全肯定してもらい、自己の承認欲求と存在の
確立を図るということに陥る。そうすると、
自分の悩みの連帯保証人としての他者が消えないこと
ばかりを考え、依存という関係が生まれる。

そこに愛情(と言っても大概こういう場合は
性愛 -セックス相手としてである、つまりは奉仕)
という対価が生じている場合、共依存に
なりがちであるので最悪である。つまりは
奉仕をすることでメンクリ治療を受けるという
お互いにwin-winの関係に見えてしまうこと。
実際はお互いに感情労働と性労働・家庭労働を
提供して、互いの資本を搾取しあっているだけ
である。こういう関係は利害一致で成り立つ関係
「ゲゼルシャフト」と言われる。

すなわち、他人をメンクリ代わりにするとき、
人は、自分が自分として向き合わなければ
ならない問題を他人との関係の問題に
すり替えているだけである。

相手の感情労働のしんどさを慮らずに、
それだけでなくこの倒錯を肯定するために
愛情という綺麗な言葉で、愛情という
フレームワークを使って共依存として囲い込もうと
しているのは、言葉を選ばずにいうなら
バカ同然である。かつての自分に対する喝の
つもりなので気を悪くせずに。

だからこそ、ちゃんとメンクリに行くべきである。
自分が抱えている自分の問題は、自分でケリを
つけるのがいい。そのために金銭と時間を払い、
他人としてではなく自己の補完としてメンクリと
いう機能を自分自身に組み込むような感覚で
向き合っていく(難しい言葉遣いになったが、
自分主体のまま人の助言を受けて自分で本来の
悩みを解決していくに近い)ことが大切。

以下、メンクリに関心がある人に関するTips

得意分野を調べよう
発達障害に強いメンクリもあれば、
境界性パーソナリティ障害に強い病院もあるし、
カウンセリングに明るい病院もあれば、
とりあえず投薬で寛解を目指そうとする方針の
病院もある。メンクリならどこでもいいとか、
とりあえず名古屋駅で絶えず広告が流れている
「ひ○まり心クリニック」にするのではなく、
いろいろ調べてからの方がいい。
限界なら人に調べてもらうのでもいいとも思うし。
あと絶対駅近がいい。


バレたくない人は複数の科がある病院に行こう
親にメンクリについて話すのが憚られる人も
多いと思う。その理由で保険が使えず、自費診療で
かかっている人もいるが値段的に現実的ではない。
保険でばれる理由は確定申告である。
確定申告で被保険者の家族の受診した病院がバレる。
だから、「〇〇メンタルクリニック」に
するのではなく、そういった屋号が入っていない
病院にすれば多少言い訳の余地が効く。ちなみに
総合病院は紹介状がないと受診できないので注意。


まじで自立支援医療に申し込もう
保険を使えたとしてもメンクリは高い。筆者は
週2回のカウンセリング+月1回の診療と薬の
処方を受けているが、3割負担で1万円弱は
かかる。学生にとっては痛い出費である。
もちろん行政もそれを見過ごしているわけでは
ない。自立支援医療という制度を使えば、
1割負担もしくは0割負担(全額免除)になる。
自治体によっては返金制度もあったりするらしい。
自立支援医療には大量の書類と高い診断書が
必要になるので、早めに、早めに申請しよう。




メンクリ終わりにはよく散歩をする。ケチなので、
カウンセリングで言われたことを一字一句噛み砕く。





最近サークルを立ち上げた

新しいことをするというのが自分の行動原理で
ある。とにかく続けるということが
苦手な性分だからだ。

強迫性障害が少しずつ寛解しようとしてた頃、
ちょうど春休みだったのでキャパシティに
余裕が生まれていた。さあ、何か新しいことを
始めたい。しかし、2年生になった今から新しい
サークルに入るのはハードルが高く、その上
興味のあるサークルが大学に存在しない。

だからサークルを作った。フィンランド発祥の
スポーツ「モルック」をするサークルである。


モルックのスキットル

モルックのルールについては割愛する。
興味のある人は調べてほしいし、いつかになったら
モルックの紹介記事も宣伝のために書こうと思う。
私が立ち上げたサークルについても
「名大 モルック」と検索すれば一番上に
出てくるので説明を割愛する。とりあえず
屋外で/みんなが集まってする/ラフなスポーツ
という3点を押さえておいてほしい。

スポーツ経験がなければ集団系の部活動に
入ったことすらなかった私は、みんなで集まって
何かをするという経験に目ぼしいものが
見当たらなかった。高校の時は研究部だったが
部室にこもり、他の研究をしている部員と、
研究に全く関係のない哲学や科学のこと、
もしくは下劣な噂話や破廉恥なジョークを
話してはずっと個人研究に没頭していた。
みんながそうだったし、みんなで何かする
というのが自分の人生のトラックに
存在していなかった。そのことを大学に
入ってから指摘されることもしばしばあった。

だからこそ、モルックの経験は全てが新しい。
みんなで1つのことをするということの楽しさを
知ったのはもちろん、みんなで1つのことを
する中で自分はどう活躍すれば、自分らしさを
出せばいいか、というところまで考えが
回るようになった気がする。私は代表だが
モルックはかなり弱い。いつも狙い外れのところに
投げては部員たちに馬鹿にされている。
しかし、それすらも一つの役回り、
キャラクターとして受け入れられてたら
本望である。そういえば部員は数ヶ月で
40人近く集まった。嬉しいことである。

まあ、そうやって呑気に考えていられるのも
ラフなスポーツだからだろう。これが
中高の部活動や体育なら集団主義の中にある
競争主義に晒され、評価され、特に技能を
持たない自分だった場合はいわゆる
「落ちこぼれ」とラベリングされていただろう。
それは今だったらキャラとして受け入れられるが、
競争主義の空間では「要らない」と排除される。

長々と話しているが、つまりは、まあ個人的には
体育のいいとこ取りが今のモルックサークルだと
思っている。しかし多くの人は競争主義や
排除原理までもを体育の良いところとして
評価している。そしてサークルにそれが
求められる日もいつか来るだろう。
なるほど困った。

私もそろそろ受け入れなければならないかも
しれない。「みんなで一つのことをする」を
自分なりに消化できた私なら、競争主義も
排除原理も受け入れられるのかも。そういう
よく分からない希望を持っていたりもする。

少しだけ触れたがモルックには
投げるという動きがある。
しかし、振り返って後ろに投げることはない。
そして他の競技と違い、上から投げることが
できない。無闇に勢いがつけられないのである。

投げては少しずつ加速する。
見当違いのところに落ちたりするのは
勘弁だが仕方がない。


けど少しずつ、少しずつ加速する。


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