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泣いて、笑って、名大祭。


12月も佳境に入り、
名駅のクリスマスツリーも見慣れた。
地上に出ればイルミネーションを眺める恋人。
地下街では喧しく響くクリスマスソング。
東山線では父親たちがケーキ片手に家路を急ぐ。

帰るべき理由を持つ場所があるという暖かさ。
そこで愛する人たちと生きているという暖かさ。

愛し愛されているという暖かさ。




地下鉄から降り、郊外行きの電車に乗り換える。
長い時間揺られ、機械的な暖房にのぼせるまで
温められた身体は気だるさを帯びている。
本を読むこともせず、つまらない車窓を見ながら、ぼんやりと思索を重ねる。


「居場所」を考える


「居場所」が私の思索の大いなるテーマである。
とりわけ大学生は居場所にこだわっている。
飲み会、徹夜カラオケ、Bereal、居場所を作るための行為がなされ、また一方で居場所の有無を確かめるような装置まで流行っている。
「居場所」にこだわる理由は何か。
居場所がないと存在は認められないのだろうか。

───なぜこういうことを考えているのか。

いうまでもなく、私は居場所というものを持てなかったからである。地元に友達と言えるような関係性の人も少しばかりしかおらず、大学でも流動的な人付き合いに愚弄され、SNSでも爪弾きにされている。

「居場所」の意味を否定することこそ、
自分にとっての居場所づくりだと
換言できるかもしれない。




「鬱ツイをする」ということ

しかし。結局のところ、
居場所は大事なものである。

しばらく考え、県境を越えたあたりでそのことを自覚する。その時は大抵、「居場所がなくて鬱」とツイートし、瞼を閉じて電車に揺られる。


考えた果てのやるせなさ、そういった感情が
鬱っぽさを帯びたツイート(=鬱ツイ)に詰まっていることが多い。こうした鬱ツイは決して無為ではなく、そのようにやるせなさを纏めて、明日を少しばかり享楽的に過ごそうとする生存戦略でもある。

考えた結果だけでなく、辛い気持ちの逃げ場という目的や手段という意味を持っているのが鬱ツイである。

しかし、無為な鬱ツイも数多存在する。
衝動の先に吐き出され、言語を与えられたことで
自身の感情にフィードバックされてしまう。
このような感情には悩まされているが、大抵はエラーのようなものとして深く考えずに市井の中で過ごしている。

この質問に出会うまでは。

北部の犬:質問箱より

笑いを取る為の鬱ツイと捉えられているということは、きっと日常の鬱憤を込めたものに
疑問を呈しているだけに過ぎないだろう。

しかし、無為な鬱ツイには自分でさえ役割を見出せていない。その役割を考えていく中で、

私は帰りの近郊電車で考える居場所論よりも
もっと生々しい「居場所」との衝突を見つける。




第64回名大祭


あまつかぜ、吹き抜ける。

「無為な鬱ツイ」の中でもっとも思い当たるのが名大祭である。4日間に渡って開催された第64回名大祭は大盛況であり、大学生・高校生・子どもたちの笑い声が絶えないものであった。

特に印象に残っているのが最終日の撤収である。
撤収の手伝いに駆り出された1年生たちは共利に集まり、トラックから雪崩れ込むコンパネや立て看板をバケツリレーで運ぶ。皆が皆を励ましあい、撤収を終える。終わったのは夜更けであるが、その後も祭宴の興奮冷めやらぬまま、学生街では笑い声がこだまする。

学祭と結びつくのはやはり笑顔である。
つまらない学祭ならやらなくていい。
楽しくない学祭なら終わらせた方がいい。
学祭の政治的意義がめっきり薄くなった今、
学祭は楽しむためのものとして聳え立つ。


しかし、私は最終日に名大駅のトイレで号泣していた。そして無為な鬱ツイを繰り返した。
その数は4日間で1000以上にも及ぶ壮大なものである。



名大祭の回想

みんなが笑っていた、その笑顔の合間を縫って私は涙を流していた。しかし、それは妬みによるものか?悲しみによるものか?

無為な鬱ツイへと駆り立てた「衝撃」となるものの正体を1000ツイ以上から俯瞰的に探る。


前日
私は少なからず名大祭を楽しみにしているようであった。なんせ初めての学祭である。入学から数ヶ月経ち、日常というものに少し飽きを感じてきた頃ということもあり、久々のハレの日に期待を寄せていたことがツイートからも伝わる。
準備もそれなりに楽しんでた記憶がある。


1日目
記念すべき名大祭の初日である。オープニング企画からライブまで、豊田講堂はかつてない盛り上がりを見せる。しかし、私は人員不足もあってか一日中手伝いをしていたが、別にそのことに何の怒りもなく、それが責任であり義務である以上はそれを受け入れるのが筋である。しかし、期待と少し違う始まりに鬱ツイが増える。
鬱の強度が高いのだけは気がかりだが。



車校の話が引き合いに出されているのは、車校で失敗続きであったからだと考えられる。詳しくは下のノート。


2日目
翌日だが、私は名大祭には参加しなかった。
サークルの活動があったのでそちらを優先したからなのか。しかし、午前までの活動だったので午後から行けたはずである。たった1日で自己倒錯を感じるがそれの説明の手がかりになる鬱ツイは見つからなかった。



3日目
朝が明けてから日が沈み切るまで名大祭の手伝いをしていた。ツイートを見返したとしても、半年も前のことなので総体としてはそれぐらいの解像度である。ただトイレ巡りをしていた文学部の友人らと一緒に1年に1度しか入れない幻のお手洗いに入ったことだけ思い出した。


そして、4日目。
最終日のツイートはいつもにまして悲観的であり鬱であり、なぜか友人たちに感謝の辞を述べている。この辺りのツイートは見ても意味がない。
この日のツイートこそ無為な鬱ツイの真髄であり、精神が極めて衰弱しているので論理も感情も読み取れないものばかりである。




なぜ鬱なのか───?

私が勝手に「衝動」と定義しているもの。
すなわち無為な鬱ツイの原因は全く見えてこなかった。もっと鳥の目で広く細かく見ても、
それほどの鬱になる道理がわからない。

途中だが弁解をしておく。何度も記述しているように名大祭自体は楽しいお祭りであり、
そこには無数の人の情熱、そして笑顔の結晶が
詰まったものである。そのことは私以外のTwitterや、何より名大生一人一人が心の中に留めているものから簡単に穿つことができる。

閑話休題(よこみちにそれました)。


時系列で物事を俯瞰するのは鳥の目と言われている。つまりは名大祭というもの全体に着目し、
それと自分の関係から物事を考えているということ。そこから離れて、もう一度個別的事象に目を向ける。最終日の撤収、トイレ巡り、そんなさりげない景色に、である。



6月・雨・豊田講堂

豊田講堂とふりゃあ(2023.11)

最終日だったか。
雨の豊田講堂で私は撤収作業の手伝いに準じていた。私の所属していたチームは長い祭りを経て空中分解し、数少ない友人も活動に全くこなくなった。結局独りで豊田講堂での撤収に臨む。

撤収担当のチームではなかった私は、他のチームの中で作業をする。そのチームは非常に団結力が高く、それ自身で盛り上がるようなグループである。そんな仲間たちがいればよかったなと思いながら、私は特に話せる人もおらずに黙々と資材を片付けていた。

聞きたいことがあって先輩に質問する。
しかし、先輩は忙しいのか中々返事を返してくれない。さりげない景色。


さりげないのか。

虫の目で名大祭を振り返った時、
私は無意識にさりげない景色と名大祭の時系列、
そして自らの生活譚のような記憶と結びつける。
さりげない景色のような───、輪の中に入れなかったというそんな日常の齟齬のような瞬間が鉛のような衝撃として受け取られた理由を少しずつ理解する。


「居場所」再考。


名大祭と居場所

名大祭の運営は主に学生によって行われる。
大規模な祭りということもあって入学して間もない多くの1年生もたくさんのチームに分かれて協力する。彼らを集める際のキーワードとなるのが「友達作り」である。

実際学部を超えた友達を作ることができるので
間違ったものではない。私も、名大祭を機に仲良くなり、今でもふらりと出かけるような友達が少しばかりいる。


だから、ここで重要なのは「友達作り」の
キーワードの妥当性ではない。


先輩たちはレクリエーションなどをして、
「友達作り」という大義名分を果たすべく尽力している。しかし、当たり前だが名大祭の目的は「1年生の友達づくり」でないことは言を俟たない。名大祭に向けた準備、そして運営、最後に撤収。それへの参画が1年生の仕事であり、チームとして参画する中で1年生は親睦を生まれる。
「居場所」の誕生である。

居場所」が誕生する、
はずだったんだけどなぁ。



こうしてチームは崩壊する


「チームが居場所になる」の裏返し。
それはチームの未形成・崩壊=居場所の未形成・崩壊である。2度目だが名大祭の目的は「1年生の友達づくり」ではない。名大祭の円滑な実行のためにはチームよりも個人で動いた方が実利に叶うならそれが正しい。

それに加えて活動を途中で抜けるような不届きものもいる。彼らは他に居場所を見つけ、泥舟のように分子になるチームには拘らない。こうしてチームは崩壊する。

そして私はチームを失った。転々としながら
ドリンク販売や記録写真撮影などに準ずる。



これこそが「居場所は自分で作れ」という
極めてアノミー的な生存状況
誕生の瞬間である。



「居場所は自分で作れ」

6月・雨・豊田講堂。
私はその自身の生存状況と居場所を持った人々との隔壁を目撃し、えも言われぬ衝撃を受けたのであった。

「居場所は自分で作れ」
これは正当性を持った響きでありながら、
私はその言葉の残酷さを今でも考える。
そもそも居場所というものは独りで作り出すものではなく、先達たち複数人の共同によって生まれるものである。

そもそも居場所を作るとは何か?
友達に話しかける、LINEグループを作る、一緒に授業を受ける。これらは主体的なもののように見えるが実際にはそうではなく、「返事をする人」「LINEを教えてくれる人」「授業を一緒に受けてくれる人」の存在があり、さらに裏を見れば「話しかけられるような環境と境遇」「LINEというアプリ」「授業」も重要な因子である。
つまり先達の作り上げた居場所の実を収穫しただけにすぎない。

この話は飛躍しすぎかもしれないので読み飛ばしても良い。


すなわち、「居場所を自分で作れ」という衝撃に、私はただ慄いていた。



共用利用施設は大時化のように

しかし、名大祭も豊田講堂もそして撤収作業も
そういった因子になるだろう。なんせチームが居場所の原点だとしても、それが全てではないからだ。

独りで豊田講堂での作業を終えた後、
私は共用利用施設へと向かった。簡単に言えば物資や備品の保管庫である。撤収作業も大詰めとなり、あらゆるチームが一挙してその保管庫へと集まる。

もう独りではないかもしれない。
所在ない私のような人含め、先輩、チーム、
あらゆる人が次々に集まる。夜凪のように静かであった保管庫前は大時化の時を迎えたように人の動きで荒れ狂う。

撤収作業といってもすることは無限にある。
大量の備品の収納だけでなく、ゴミの仕分けや
テントの後片付けなど、枚挙に遑がない。
そして撤収作業の中で、チームは個々に分解されるのではなく、また小さなチームに分かれる。
そして他のチームと繋がり、新たな居場所を生む。

撤収作業の中ですることも変わり、チームも変わる。チームはまた小さなチームに分裂し、そして合体する。そのような流動的な居場所に、何ら紐帯的な支柱を持たない私は翻弄される。大時化の中で私は流れゆく居場所に取り残される。


最終日の昼。静寂の共用利用施設。



撤収の手伝いに駆り出された1年生たちは共利に集まり、トラックから雪崩れ込むコンパネや立て看板をバケツリレーで運ぶ。皆が皆を励ましあい、撤収を終える。終わったのは夜更けであるが、その後も祭宴の興奮冷めやらぬまま、学生街では笑い声がこだまする。

共用利用施設、「共利」を渦巻く笑顔と汗と熱気の大時化はさらに大きくなる。そこに私の汗はあった、むさ苦しい熱気を発していた、ただ笑顔がなかった。




「居場所のなさ」その衝撃。

先ほどのポエティックな話を整理する。
豊田講堂と共通利用倉庫での撤収作業からは、
一般論で言えば名大祭において「友達づくり」が
どのように達成しうるか、内面的に言えばチームに依存した居場所の生成に翻弄される自分自身が描写されている。
この記事はあくまで中立的であるということを
再度ここで主張しておきたい。


居場所というものは当たり前すぎるように存在する。しかし、人は居場所がないという言葉をよく使う。かまってちゃんが発する常套句でもある。


しかし、それは仲良い人がいなくて寂しい、
話せる人がいなくて気まずいといった感情に換言される。つまり、居場所そのものからの排除を疑った言葉ではなく、単なる一人の寂しさを表現した語句に過ぎない。

近郊電車で考える「居場所」論の起点も、
そんなちっぽけな寂しさからである。



あの時、豊田講堂で味わった
居場所の無さという剥き出しの事実が
体を突き抜ける経験。

あの時、共同利用施設で味わった
居場所が大時化のように変容する中で、
自分が排除されていくという経験。


居場所がない=寂しいなどという表層ではなく、
「居場所がない」という事実そのもの、その居場所に翻弄され、その事実をさらに身体に染み込ませたという経験。

すなわち「居場所のなさ」その衝撃。
それこそが無為な鬱ツイの
根源ではないのだろうか。




僕らには居場所が必要だ

衝撃の正体がわかれば、最終日以外の鬱ツイの正体も見えてくる。とりわけ、1日目は単なる期待の裏切り(裏切られたと勝手に思っている悪質なもの)だと感じていたが、実際は豊田講堂や共利で経験したような感覚をどこかで味わっていたのだろう。朧げな記憶で、全学教育棟かIB館でその衝撃に似たものに触れた記憶があるが、辿ることはできない。

言えることとしては、もし私に居場所があれば、
前から他のチームに入っていれば、もしくは他人たちの領域に入る図々しさがあれば、無為な鬱ツイは生まれなかっただろう。きっと名大祭での鬱ツイも、名大駅で独り流した涙も、辛さゆえだけでなく悔しさゆえだったのかもしれない。


とにかく、僕には居場所が必要だった。

僕らには居場所が必要だ。





補論

泣いて、笑って、名大祭。

人生は悲喜交々。どれだけ優秀な暮らしをしている人にも、悲しみに打ちひしがれる時は訪れているはず。しかし、それを見せない。なぜなら悲しみはそれほど人に見せるものではないからである。

名大祭も、涙と最も遠い場所に位置している。
これは悲しみは見せるものではないという理由だけでなく、学祭は楽しいものという前提があるからである。

しかし、笑顔で迎えられた名大祭の裏で
「居場所のなさ」の衝撃に喘ぎ泣く私。
みんなが「笑って」いた名大祭に、
たった1人「泣いて」いた人の存在があったことを記録してもいいのではないか。

きっとこのnoteを読んでいる一人一人に名大祭との物語がある。大抵の人は幸せなエピソードとしてそれを語るだろうし、もしかしたら私のように何らかの不和で涙を流した人もいるのかもしれない。行ってない人はのんびりした梅雨の昼のことや、友達と行った旅行のことを語るのだろうか。

別に私だけの世界だとしたら「名大祭ぼっちで激鬱!」でも良かったし、私がいない世界だったら
「名大祭最高!最高!最高!」になっていた。

奇しくも、この世界には私がいるし、私以外の人もいる。だから、「泣いて、笑って、名大祭。」に決めた。「居場所」を考える上で、みんながいるというのは思考の原点ではないだろうか。



三ツ矢サイダーで作ったIB館。



あとがき

「まもなく───。」
重い瞼をあけると、見慣れた最寄り駅の看板が目に入る。急いで荷物をまとめ、駅のホームに身を投げ出すと、あまりの寒さに心細くなる。

以前より「居場所」についてうだうだと考える時間は減っていた。その代わり寝る時間が増え、乗り過ごしそうになる。名大祭にメスをいれ、無為な鬱ツイとその衝撃に理由をつけ、「居場所のなさ」に直に触れた自分自身を見つめ直したからである。「居場所は実はあるのかもしれない、ただ寂しいだけなのかもしれない。」という思いまでも少し持つようになった。


この前、友達から「鬱という言葉を軽々しく使うな。その代わり中指を立てろ。」と言われた。
一理あるかもしれない。常にぼんやりとした辛さに喘ぐぐらいなら多少攻撃的に日々を過ごす。
それも一つの乗り越え方だろう。




まあ、結局、居場所は大切。



駅の駐輪場に向かう。最低気温3℃。
自転車のペダルを漕ぎ、向かう先は家。
家族仲は悪い。私はもう一度鬱ツイをする。



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