プロ雀士モブキャラ列伝 厚谷昇汰 編

2019年6月30日。
麻雀最強戦2019プレミアトーナメント「恐れ知らずの打撃戦」に、
羽根付きハット蒼薔薇の刺繍入りのシャツという奇特な服装で現れた一人の男がいた。

彼の名は厚谷 昇汰あつや しょうた
当時27歳で日本プロ麻雀連盟所属の若手麻雀プロである。
前年の「全日本プロ代表決定戦」の決勝に残り、単に目立ったからか麻雀が評価されたかは定かではないが、プレミアトーナメントに呼ばれて2年連続でAbemaTVで対局をすることとなった。

モブキャラ列伝の記念すべき第一回は、
会社員として働きながらプロ雀士として活動しており、遊戯王インストラクターという聞き慣れない肩書きも持っている厚谷昇汰についてクローズアップしていこうと思う。


【学生時代までの厚谷】

1991年11月19日生まれ。
北海道札幌市出身。
父親は会社員、母親は自宅でピアノ教室を開いている家庭環境で育つ。母方の祖父母と弟を含む6人家族だった。
裕福、というほどでもないが、不自由はなかったとのことである。

———昔はどんな子どもだったのでしょうか?

「性格そのものは今とあまり変わっていませんね。ルールとか規則を守れない人が大嫌いで神経質というか。ゴミをポイ捨てする人間とか本当に嫌いでした。あとはまぁ…、一言でいうと『イジめられっ子』でしたね」

———イジめ、ですか。

「はい。そんなに酷いものではないですけど。僕の私物が壊されたり隠されたりとか、僕のプリントはぐしゃぐしゃになってるとか。あ、授業中に穴を開ける"キリ"が顔面に刺さったことがありますね。太い輪ゴムで錐を飛ばされて左目の3cm下くらいに刺さりました(笑)

———(笑い事ではない)

「まぁ勉強もスポーツもそれなりにできて、生徒会長とかやってて調子乗ってましたからね。言葉は悪いですけど、『イジめられる方にも原因がある』というやつですよ。」

間違えた受け取り方をしてほしくないのだが、イジめられていた過去を持ち、それを乗り越えた人間が使うから意味を成すのであって、決してイジメを肯定する言葉ではないことは肝に銘じていただきたい。イジメをする方が100%悪い、紛れもない事実である。

「だからこそ自分の人生をリセットするために、周りのクズ人間が絶対に合格することはないであろう自学区から外れた北海道最難関の高校を受験しました。実家にいながらちゃんとした人生を送るにはそれしかないと思ったんです」

この辺りの話は詳しい内容をまた別の機会に書いていきたいと思う。
ただ一つだけ、あなたがどんな苦難に見舞われていても、正しくあり続ける限りは必ず味方は現れてくれる。それは覚えておいてほしい。

「それからの学生生活はかなり楽しかったですね。イジメなんてくだらないことする人間もいませんでしたし、部活やったり高校生クイズに参加したりとか。若い頃の思い出はほとんどこの期間です。やっぱり知能指数が合う人間とじゃないと居心地が良くないですね」

最後の一言にイジめられていた原因が濃縮されているような気もするが、厚谷はそれなりに苦難の人生を変えることに成功したようである。
もしこれを読んでいるあなたが同じような状況に陥った時、早まる前に信頼できる誰かに相談してほしい。もちろん私でも構わない。恋愛相談以外なら真摯に応える所存だ。

「些細なことでイラついたりでメンタルはそれほど強くはないんですけど、こういう経験があるからか『病む』ことは滅多にないですね。大抵のことは寝たら忘れます」


【麻雀との出会い〜プロテスト受験】

さてここからは、厚谷がどのようにして麻雀を覚えたか、そして何がきっかけで麻雀プロになろうと思ったかについて訊いていこうと思う。

———麻雀を覚えたきっかけは何でしょうか?

「家族麻雀ですね。両親と祖父母がみんな出来たので。最初に実家の麻雀牌を触ったのは9歳くらいの頃だったと思います。中学高校ではゲームセンターの『麻雀格闘俱楽部』や『MJ』をずっとやってて、大学に入学してすぐにフリー雀荘デビューしました。札幌駅近くの雀荘、ハートランド』です」

———なるほど。では、麻雀プロになろうと思ったきっかけは?

「単純に麻雀プロの世界に興味があったんです。ゲームセンターのゲームや『近代麻雀』で麻雀プロという存在については知っていましたが、実際にどんなものなのかは全く分からなかったので。ちょうど大学の単位の目処もついてきた頃だったので受けてみようかな、と。過去問見たら思ったより簡単でしたし」

———最後の一言余計だろ。なるほど。大学卒業後は一般企業に就職していますが、麻雀だけの道に進もうとは考えなかったのでしょうか?

「麻雀だけで生活できる自信はないですし、生活が安定していないと勝てる勝負も勝てなくなると思ってますから。もともと趣味で始めた麻雀なので、仕事にはしたくなかった気持ちもあります。僕の性格というよりは親の教育方針に近いです」

厚谷曰く、厚谷の両親はやりたいことを自由にやらせてくれるが、どうせやるならとことんやれ、と、よく言っていたとのこと。
おそらくは今の厚谷の思考回路のベースになっていることだろう。

「服装とかも親の影響ですね。単純に趣味ってのもあるんですけど。"目立ってナンボ"が両親から受け継いだ僕のマインドです」

厚谷昇汰 3歳

確かに、男子プロは名前を売るのがとても大変だ。タイトルをたまたま1つ2つ獲ったところで埋もれてしまうのが常である。
そういった環境で「麻雀以外の個性」を出していくことは、手っ取り早く認知してもらえる手段になるのではないだろうか。

「もちろん麻雀で勝つのが一番良いですけど、この業界は勝負のフィールドに立つまでが大変なので。少しでも可能性が高くなるなら、他人に迷惑かけること以外はなんでもやりますよ。僕は」


【プロ活動と今後の展望】

———今の活動についてお話を聞きたいです。

「んー…、追っかけとしても物申しnoterとしても、別に『こうなろう』とかって気持ちはまるでないんですよね。自分の好きなようにしてたらたまたまそういうふうになってしまっただけで」

厚谷がどのような経緯で追っかけになったかは別のnoteで詳しく書いている。
端的にいうと、休みの日にゲスト先に行き続けていたところ、いつのまにか「追っかけ」になっていたらしい。

「noteで追っかけについてとか所作とかについて書き始めたのも自分が疑問に思ったから書き始めただけですし、決して自分が正しいとは思ってないです。ただ、正しくあろうとしてるだけで。別にnoteの内容がブーメランになっても良いと思ってます」

———と、言いますと?

「自分が書いた内容がいくら正しかったとしても、それがブーメランになってたら誰かしらに指摘されるじゃないですか。それで自分自身の成長につながりますから。『正しい姿』にまた一歩近づけます。逆に言えば、それすら指摘されなくなった時は真に『人として』終わりだって思ってます」

これについては全くもって同意見である。
麻雀界に限らず、注意されると逆ギレする輩はどこの世界にも存在する。注意する方もそれなりの覚悟を持った上で注意しているという意識を持ってほしいところである。

「現状のシステム的に、初心者レベルの麻雀でもプロテストに合格できてしまうのは仕方ないと思います。でもだからこそ、ルールに書いてあることすら遵守できない人間に"プロ"を名乗ってほしくないし、その意識改革の一端になれればと思いながら最近はnoteを書いています」

———ありがとうございます。最後にこのインタビューを読んだ方々に一言お願いします。

「プロテストに合格したばかりの方や、これから麻雀プロになろうとしている方も大勢いると思いますが、常に『見られている意識』と『他人との繋がり』を大切にしてほしいと思います。最初は何もかもが覚束ないと思いますが、他の人の意見に耳を傾け、自ら変わろうとする心構えを常に持っていてください」

麻雀プロほど"プロ"を名乗ることが簡単な競技を私は知らないし、お金を払ってプロであり続けているのも間違いなく事実である。それ故に一人一人が持つ意識は低くなりがちだ。
麻雀プロ、そして麻雀界全体の価値を高めていくためには、個々人の意識を少しずつ変えていかなければならないと感じたインタビューになった。

今後の活躍に期待しよう。




…我ながら一体何を書いているのだろうか

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