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立教大学を卒業しました。

【ご報告】
五年間通い続けた立教大学を卒業いたしました。
もともと多摩美術大学で演劇の勉強をするつもりでしたが、それよりも学校の中に居場所を無くしてしまっても、自由に自分の居場所を探すことができる人を育てたい意志をもって、教員の道を志して浪人、そして今の大学に進学したのですが、問題の本質はそこじゃないってことを教えてくれたのが僕が通っていた「文学部教育学科」だったと思います。

一年前期のときには学校誕生の背景である近代史の勉強、ソーシャルビジネス、先生が生徒をどのように「社会化」していくか、教育と宗教の関わりの勉強を、一年生後期にはいじめ自殺、図書館の役割や地域コミュニティのこと、二年生以降ではより教育に近い内容で教育心理学、そして哲学対話、ファシリテーション、地域コミュニティ、ワークショップ、メディアと教育の関わりについてと、思い起こせば実に今の考えに至る多くのことを学ばせていただきました。

一年生のときに教育科目ばかりだったのが、二年生行こう地域コミュニティや社会学の方に目移りしたのは、一年生後期で見た「世の中のためになる教育を実行できたとしても、祈祷権益やメディアがそれを望まないから、結果として潰されてしまう」現実を見てしまったからでしょう。

結局、本気で教育を変えようとするなら、学校の先生では役不足で、地域・家庭・学校の全てに介入しなければならないことがわかり、実際に家出少女の相談を受けたことによって、その仮説が見事に証明されました。
https://note.mu/north0318/n/n6cd176cf469c

大学での授業の多くは非常に楽しく、課題にも取り組み甲斐があったため、これから大学を選ぼうとする人たちに胸を張ってオススメできる大学だと思います

あの頃から、浪人生の時に志した「今自分に必要な環境を自分自身で選択し、移動して行くことができる人を育てる」という思いは全く変わっていません。

だけど、ただまっすぐにそれを実現させたいがために、自ら視野を狭め、他のものには目をくれてやらなかったあの頃よりかは随分人生の寄り道を楽しめるようになり、その結果いろいろな気づきと学びを得て、Ground Mole山添および和光、成増学園のワークショップなども反映させることができました。

「大学に通う意味なんてない。オンラインサロンの方が有益だ。」なんて言葉を目にしますが、その言動に傾くことがないのは、僕自身大学に通ったおかげで得ることができた知見や経験が僕の血肉となって今の活動に活きているからだと思います。というのも、大抵何かを学び始めたときに、自分が想像もできなかった問題の本質を知れるのは自分が見ていた方向ではないところから何かがやってきたときだと思うからです。

現に、今の大学に通ったおかげで出会えた仲間も多く、僕より一足先に大学を去った彼らは今どうしているのだろうかなんて考えることも多々あります。

そう思えるくらいに、大学生活も学問も充実し、最終的に自分の手で何かをやってみたくて行動に踏み出すことができた五年間だったと思います。

三年生の時に、東京での生活にいよいよ耐えきれなくなったため、大学に通うことが難しくなったために大学に顔を出す機会が激減しましたが、無事に大学を出て、新しいキャリアを歩み始めることができました。

今年度は新卒で山奥に引きこもり、週末山村留学や民泊、今お世話になっている会社の業務をやって自分の実験を続けていきたいと思っています。


最後に、あえてこの投稿を4月1日にしたことだけを覚えておいてください。

「嘘を通して、隠された本当を発信する」

成増学園のテーマの一つ故に、今日この日にこれを投稿する意味があるのではないかと。

改めて、大学でさまざまな知見を与えてくださった先生方、心の支えとなってくれた友人たち、そしてときに住処となったり、Ground Moleの原点ともなった我が母校に感謝を伝えさせていただきたいと思います。

ありがとうございました。


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