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コロナ自粛のおかげで分かった「巨悪なき時代」の生き方について

書き殴ったエッセイです。

何かのノウハウを得たい人はブラウザバックしてどうぞ。

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「〇〇という課題を解決するために〇〇がしたいんです!」

去年あたりから、こんなことを言う頻度がものすごく少なくなってきた。

何かを売るために、いちいちストーリーとか課題とかそう言うものを語るのが面倒くさくなってしまったのだ。

でも、今の現状を見るとそれで良かったのかもしれないと思う。

別にだれも変わることを望んでいないし、この混沌としている世の中だからこそ、いろいろなことを変えるチャンスなはずなのに、大して世の中は変わっていない。全て茶番だったんだろうかと思えてしまう。

かつては僕も世の中を変えようと思っていた。

でも、本当に変わらなきゃいけないのは自分を含めた人間という生物一つ一つで、うわべだけの仕組みを変えたって、誰かのロールモデルとなる道を切り開いたって、本当の課題を解決することにつながらないことが分かった。

多くの物語の悪役が描いた「人類絶滅」の大義名分に理解を示してしまうこともあった。実際、それが一番早いのだから。

でも、そこに自分の両親であったり大切な人が含まれるとなると少し考える。そう言う意味では自分も相手も気づかないうちに苦しまずにささっと全員死ぬことができたならどれほど幸せなのだろうかと思う。

最近作った仮想宇宙では、まさに全員が現実世界で突然の死を迎えて、金も不動産も装飾も…と言うよりはそれをアイデンティティとすることが、むしろアイデンティティを持つことが無である世界へと移動するようになっている。

そういう世界では、面白いことを考えた人が強くて、面白い人に学び、面白いことを想像していくのが楽しい世界になる。

最近は歴史熱が再び高まってきている。

お気に入りのカルタゴの歴史の話なんかは、どこかで人と話す機会があるたびにしている気がする。

歴史の何が面白いかって言うと、どんなに調子のいいところも最後に必ず滅ぶとこと。

栄えて滅んだからこそ、間違っていることは間違っていると言えるし、正しいと思うことを今に活かすことができる。

ただ、人間たちが相変わらず、自分たちの現状を守るために常に誰かの犠牲を強いることを続けている。犠牲を強いた人に滅ぼされることを知らずに。

カルタゴは紀元前600年くらいにはアフリカ一周をしていたらしい。再びそれが成し遂げられたのは2000年以上経った大航海時代。もし、カルタゴが滅ぼされずにいたならば、今頃は地球連邦とかジオン公国とかができていたのかもしれない。

今、書店ではカミュのペストが流行っている。

予想もしないところからの征服者とか責任の押し付け合いと考えるならば、個人的には元寇とかポエニ戦争後のローマとかの方が個人的にはしっくりくる。

ペストで人は死ぬ。だけど、コロナでは死なない人の方が多い。

褒美のない戦い、終わりの見えない戦い。そういう意味では元寇や戦後のアメリカやローマの方が、戦いに勝っても次なる戦いが控えている地獄のような状況だと考えるのがいいかもしれない。

教育への関わり方を変えることを決めた

僕が教育の道に進みたいと思ったのは高校生のとき。

良いともったものを素直に良いと言えず、賛同したいものに手をあげることもできない愚痴だけでしか繋がることのできなかった同級生や自分に腹が立ったから、自ら先生になって、教育でそういう人をなくしていきたいと思ったらしい。

受かっていた美大の進学を捨てて、1年間浪人。

一ヶ月で10時間くらいしか勉強してなかったであろう僕が1日に最低10時間勉強している日々を経て、晴れて教育のことを学べる大学に入ったのも6年前の話になる。

ただ、大学で教育のことを学べば学ぶほど、大方学校は変えないのがいいし、教育における悪いとされている部分の改善は責任転嫁のループになることも分かった。

なんだか、馬鹿らしくなったので、先生になることを辞めて、自分自身で学びの場を作ろうと考えるようになった。

成増学園とかGroundMoleをやりはじめて、やはりそれは楽しかったし、僕自身が人を観察して楽しみつつ、自分が最大限に楽しんでいるときこそ、奇跡は起こった。

そういう意味で、自分が楽しみつつ、人が勝手に成長しているのが理想だと考えた。

シンプルにやることは二つ。

「面白い!」と思ったことを伝えること、誰かの成長を見守っていくこと。

この二つだけでいい。

もちろん、それをやるために、面白いと思うものに出会い続けること、成長を見守れる誰かを見つけていくことも欠かせない。

最近のリリースで言うと、前者に関してはオンラインセミナー勉強会や武士道の解説で、




後者に関してはママプリとそれの小学生向けバージョンか。


知恵で解決していく生活が一番楽しいのかもしれない。


GroundMole木津が楽しすぎる。

人間の欲望と意地汚さがすごく明るい感じで出ていて好きだ。

特に雨の中でも焚火で肉を食って焼きたいと言う欲望から生まれた木の枝とブルーシートで生まれたテント=底辺テントを作っているときには死ぬほどワクワクした。

その辺の石を使って木をガンガンへし折ったり、皮を剥いだりするのが楽しかった。

現代のそこそこ便利な道具を持ちながらも、あるものだけでなんとかしていく縄文的なスタイルほんと好き。

来月になると鮎釣りが解禁されるらしい。鮎あんまり好きじゃないから多分また焚火バーベキューだけど。

そういえば、初めて上京したとき、おからをいかに美味しく食べるかを研究したり、どうやったら水シャワーに耐えられるのかをいろいろ工夫を凝らして実験したのも楽しかった。

不便な状況を知恵とアイテムを使って解決していくのが本当に好きなんだろうな。

そう言う意味では自然は無限に工夫できるから楽しい。



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