見出し画像

人生2回目の厄年が終わりました。〜プリキュアに落ち着いた2019年をメモ書き程度に振り返る〜

1995年3月18日生まれ数え年25歳。

今年は本厄。イノシシ年の年男。

本厄だってことを知ったのは11月になってからでした。

厄年は人生における大きな変化が起こる年らしく、それにふさわしい変化が起きた年だった。

ざっくりと振り返れば

1月:婚約→和光終了
2月:山添に移住→不登校児を預かる
3月:セーブポイントとの合流→新婚旅行1九州編&車壊れ残金ゼロ1回目
4月:歴史カードゲームの復活→新婚旅行2沼津編&SCA誕生
5月:カードゲームショップのスタート&GW子供合宿→結婚式→山添の終焉
6月:再びホームレスに&ワークショップを復活
7月:たのしい遣唐使誕生&カードゲームの人へ&浜名湖ファームでお仕事
8月:新婚旅行vol.3東北編&雑なシッター業スタート
9月:うずらクラファン&うずらグッズ&残金ゼロ2回目
10月:平戸草原まつり出展&鳥取へ&残金ゼロ3回目
11月:残金ゼロ月間&たのしい遣唐使リニューアル&京都へ
12月:そしてプリキュアへ

二年ぶりにホームレスになったが、そのホームレス期間よりももっと理想的な生き方になっているのが面白い。

でもって、去年の年末に望み達成シート的なものを作ってみたところ、その8割型を達成していて、案外簡単に望みは叶うんだなと思った。

ただ、望みは叶ったものの、叶ったからこそより解像度の高い望みが生まれたため、来年は望みの解像度をより高くして、7月まで一気に走り抜けて、オリンピック期間中絶対に東京に行かないようにしていきたい。

1月

画像1

年末、自分が持っている全てのお金を今年お世話になった人にあげるお年玉キャンペーンなるものをしてみた。

これで晴れて僕の手持ちのお金はゼロ円になり、ゼロ円からのスタートだった。なお、元日のうちに渡した分の金額が全て帰ってきたけど。

一年の計は元旦にあり!とはよくいったもので、何度お金を失おうとも必ず這い上がってくるようにお金が入ってきていたのが面白かった。

12月にすでに解約を依頼していたこともあって、1月27日の退去日までは大学卒業をかけて試験勉強に励みながら、撤収に向けたイベントが多かった。

最後のイベントが終わった次の日の夜。マチマチにプロポーズして、1月21日は晴れて婚約記念日となった。

最後の片付けはカトちゃんをはじめとする西野界隈の人たちやショーコのおかげでなんとかなった。

和光ラストパーティーには、今までで一番客層の質が良かったと思った。

さらば、和光。ハロー山添。ちなみに、山添には一月六日に初めて訪れて、一月二十八日に住み始めることになった。

2月

画像2

この月、山添に拠点が移ったものの、自由に山添に帰れなかった。

というのも、車を手に入れておらず、レンタカーを一ヶ月単位で借りれなかったからだ。

にもかかわらず、知り合いの不登校の小学生を山添で預かったり、東京に行ったり、大阪に行ったりとあっちこっち行っていた。思えば、一月も二月も大阪と東京を行き来していた。ちなみに、山添に滞在していたのは10日もいない。

画像4

関西という微妙な位置にいるせいで、父の仕事を頻繁に手伝うことになったせいだろう。

その仕事の関係でショーコと共に豊橋に行くことになり、仕事が終わったあとに初めて浜名湖ファームに訪れた。

浜名湖ファームの主・近藤さんの強烈なキャラクターとウズラのかわいさと浜名湖ファームのウズラのうまさに感動し、以降頻繁にここを訪れるようになる。

画像3

3月

画像5

かねてより親交のあったセーブポイントの榊&鬼頭コンビが山添にきた。

彼らはのんびりと今までにやったことを整理したり、のんびり休んだりしていたようだった。

相変わらず、山添には二週間もいなかった。相変わらず東京に行ったり、名古屋に行ったり、大阪に行ったり、九州に行ったりした。

画像7

預かっていた不登校キッズは「ここでの思い出をみんなに話したい!」という理由で学校に通い始めた。別に何も言ってないのに。

婚約後、初めての旅行をすることになったが、その旅行の途中に車がエンジンオイル切れでぶっ壊れるアクシデントが。

画像6

幸い、料金所に入ったところで壊れたため、僕らに怪我はなかった。

が、車が壊れたことと、たまたまこの日保険に入るのを忘れていたのは大変ショックだった。

計画が大幅に狂い、残金が尽きてしまったが、なんとかマチマチからお金を借りずに済んだ。

ちなみに、この残金ゼロを今年はあと6回ほど経験することになる。

誕生日は鹿児島で過ごした。マチマチは熊本に行けなかったことを残念がっていた。平戸には行けた。

画像18

この旅行中に、新しい相棒・Eサイクルを手に入れ、以降日本中でこのマシンを乗りまわすことになった。

4月

画像8

先月から山添でパーティーをよくしていた。

不思議なもので、みんな東京からも大阪からもきてくれた。このときのパーティーも全国いろいろなところからみんながきてくれた。

榊&鬼頭は沼津に行った。ちょっぴり泣いた。

初めて山添で1人で過ごした。急に寂しくなったので、お線香をあげたりしていた。気が楽になった。

いろいろな部屋を開拓していた。ただ、周辺住民との付き合いが少し面倒になってきてしまった。

この月も相変わらず東京に行ったり、名古屋に行ったりしていた。

画像9

で、初めてカトちゃんや榊&鬼頭のいる沼津に訪れる。

「話が通しやすくなるようにするためにNPO作ってみるか」

で、生まれたのがSCA。別に新しいことを始めるわけでもなく、今までやってきたことに名前をつけてあげるだけ。

いい感じと思うコミュニティを定義し、いい感じと思えるような場所にしていくためのサポートをしていく。何一つ新しいことはしていない。思えば、過去のコンテンツを掘り出し始めたのもこの時からなのかもしれない。

ちなみに、歴史カードゲームもこのタイミングで復活させることにした。結構人気だった。

5月

画像10

山添に見切りをつけ始める。オーナーさんとの意向にズレを感じ始めた。というか、周辺の住民にいろいろ言われたオーナーさんも大変だったらしい。めんどうくせぇ。

GWには子供を複数人預かった。残念ながら、ほぼ雨だったため、あまり自然体験をさせてあげることができなかった。それなりに楽しんではもらえたけど。

この月、一番外せないのは結婚式。

画像11

一週間前から準備を始めたけれども、やることやることが多すぎて、ちょっとパンクしていたところを榊&鬼頭&加藤に助けてもらった。頼りになる...。

何よりも、自分で式のために何が必要なのかを全然わかっていなかったのが一番大きかったらしく、みやこさん(榊)に頭の中を整理してもらって以降はかなりのんびりとできた。

画像12

東京や関西、九州から友人たちが集まってくれて祝ってくれた。

当日参加できなかったけど、前日にわざわざ飛騨高山からきてくれてお祝いをくれた友人もいた。高校の先輩からもお祝いをいただけた。

なによりも、結婚式に集まってくれた人たちが皆素晴らしい人たちばかりだったので、式にとても良いエネルギーを満ちさせることができた。

画像13

人生で一番幸せな瞬間を一番好きな人たちと過ごすことができたと思っている。今でも、ここにきてくれた人たちはみんな大好きだ。

が、この式の次の日、水道が流しっぱなしになっていたらしく、ここぞとばかりに住民たちが怒りをぶつけられたことから、いよいよここから離れる決心をした。

2人ほど面倒をみていたけれども、自分を変な形で犠牲にしては行けないなと思い、東京にいるオーナーさんと話して、山添の開拓を中止することにした。その一週間後、僕は山添に別れを告げた。

....が、このタイミングでマチマチが奈良に引っ越してきた。

この月も東京〜大阪を2往復くらいしていた。山添にいたのは子供合宿の時と結婚式のときくらいか。

6月

山添からの完全撤収。

画像14

最終日はマチマチと華さんと三人で迎えた。

マチマチとひたすら奈良を探索した。結婚式のオフ会なるものにも参加した。

画像15

で、自分の家がなくなったこともあって、再び僕はホームレスになった。

ただ、二年前のホームレス期間とは全く別物で、ちゃんと帰ってこれる場所があるし、仕事もそれなりにあって、お金にはあまり困らなかった。三ヶ月くらい。毎年そんな感じ。

奥多摩の古民家で、榊&鬼頭&加藤とベジさんと共に難関ミッションを切り抜けた。沼津組の三人はここで信頼を大きく得たらしく、いろいろな仕事をし始めることになったらしい。よかったなぁ。

画像16

この月は哲学対話を二件やった。今年一年、過去にあるもの全てを掘り起こして勝負をしていたような印象がある。

あいかわらず、奈良には二週間もいなかった。こういうのが向いているらしいなと思い始めた。

7月

画像17

「たのしい遣唐使」の誕生。以降、爆速でカードゲームを作れる才能を開花させ、浜名湖ファームのカードを作ったりした。

この月は個人の力でいろいろやってやろう!と全力になっていて、それがうまく回っていたところがあった。

この月、父が入院しはじめたりして、心労の絶えない月だったけど、なんとか切り抜ける。

奈良への滞在が初めて二週間を超えた。マチマチと長い時間を過ごしてみる中で、お互いの生活でいろいろ気づくことも増えた。

やっぱり結婚してよかったなぁ。そして、ちゃんと何かあった時には伝え合える仲になっているんだなぁと思った。

この月は、浜名湖ファームでやった仕事の印象が一番大きくて、初めての企業案件であり、しかもウズラ農家というかなり特殊なスタートだった。

画像19

この四日間でウズラのことをよく知り、心身ともにウズラマニアになった。

爆発への大きな充電期間。よくやった!

8月

はじめて東京都内でシッター業を営むことになった。

画像20

1日五千円+諸経費での遊びは子供に引っ張られたり、逆に引っ張ったりしながら普段絶対にやらないであろう遊びをたくさんやれたのが面白かった。

遣唐使ゲームもウズラゲームも両方とも多くの子どもたちにプレイさせてもらえる機会をかおりメソッドよりいただけたのも嬉しかった。

おかげで、この八月は子どもたちと思いっきり遊べた。

東北に車で行ったりもした。走行距離制限を大幅に超過してしまって、追加でかなりお金を取られたのも少し苦い。

マチマチと2人で三内丸山遺跡をウエディング姿で歩いたのはとても面白かった。

画像21

1日1000km以上運転したのもこの月だったかな。

八月後半にはウズラクラウドファンディングもスタート。

最初の一週間で目標達成50%を超えたのはとても嬉しかった。

画像22

あと、うらないフリマとかも勝手にやったりした


9月

画像23

ウズラに全力を注いだ月。クラウドファンディングの大きな弱点を忘れてしまっていた。

クラウドファンディング期間中は、そのことに全力で集中しなければならないため、それ以外のことは何もできなくなる。全集中、ウズラの呼吸!!!

ウズラ帽子のウズオもここで生まれた。

マチマチの雑な絵を雑に活かす力がひたすら身についた。

Tシャツのデザインもやったことなかったけど、やってみた。

画像24

ウズラを成功させるためにはなんでもやった。

だからこそ、僕1人の力だけではどうしようもできないことを知った。

ウズッティが生まれていなかったら、このプロジェクト自体どうなっていたかわからない。

かなりぎりぎりの勝利だった。

この月はウズラで完結する。

その他は385円で買った飛行機チケットで宮古島に行ったり、九州に帰るついでにマチマチと熊本に行ったりした。

画像25

相変わらず奈良には二週間もいなかった。

10月

画像26

クラファン不況....だけれども、それは早期振込で回避。

いろいろお金が入る機会を積極的に作ってみたものの、10月がきてしまったことにより、ありとあらゆるアイデアがストップしてしまった。

そこそこ稼いだけれども、ウズラによって空いた一ヶ月を取り戻すのはかなり苦労した。取り戻せたのかどうか怪しいけれども。

画像28

ただ、平戸に行って草原まつりというキャンプ場で行われるフェスのようなところにボドゲカフェ&あやしい小物屋をマチマチと2人でやれたのはめちゃめちゃ面白かった。

画像27

どんどんいろんなお祭りに出てみよう!の気が高まった。

出ればよかったなぁ。

ショーコの知り合いの紹介により、東京から鳥取まで車で往復するだけの仕事もやった。サンドアーティストの人だったけれども、思いの外話があってて面白かった。

11月

画像29

ほぼ無収入月間。ほぼ手持ちゼロ円だったこともあって、ひたすらまちまちのいる奈良に転がり込んでいた。というか、クラファンのリターンの発想をした途端に全てが0になった。

おかげで、今まではスルーしていた問題にいろいろ気づくことができた。

丁寧にぶつかり合って、丁寧にその解決を探っていったために、この一ヶ月でかなりマチマチとの絆が深まった気がした。

で、ちゃんと売れるものにしていこう!ということで、新遣唐使を全面リニューアルすることにした。

マチマチに絵を書いてもらって、2人で妥協なくデザインをやっていく。

不思議なことに、11月は絶対に仕事をしない!という去年の年末に立てた目標をしっかり達成した。来年は仕事しなくても困らないくらいに貯金豊富にあるを目標にしよう。

プレステ3をメルカリで売ったり、本を売ったりしてなんとかしのいだ。ふう....。

ほんとうにありがとうマチマチ。

11月の終わりには久しぶりに仕事があったので、それで東京へ。

12月

画像30

東京でしっかり仕事をしてくる。で、帰ってくる。お金にも困ることはなかったけれども、お金に不安を大きく持つようになっていた。

お金に不安をもっているから、動かない。そんな感じで奈良にだらだらいようとしていたけれども、マチマチから「できる限り一緒にいたいけど、動きたいのに動けない祐介をみるのはいやだ。私もいろいろ何かやりたいし。」と言われたおかげで、「ああ、マチマチは俺がいなくても寂しくないのか。だったら会いたくなった時に会いに行けばいいじゃないか!」と再認識。

そうそう、そのための別居婚だったじゃないか!

ということで、そんな話をした翌日に東京に出る。

絶賛改装中だった立野さんのただいま商店街のおかげで、池袋の地下室にテントを張って、そこを拠点に10日間動きまくることができた。

そして生まれたのはプリキュアだった。

今までの活動をフルに活かした本気のプロジェクトを爆誕させるきっかけができた。

今は、このプリキュアについてのヒアリングを女性を中心にやっている。

一月末にはなんとしてもリリースできるようにしたい。お楽しみあれ。

来年の目標

画像31

来年はプリキュアを育てて、そのプリキュアと共に世界を大きく盛り上げていこう。

23年間、仲間探しをし続けてきたけれど、今度は自分で仲間を育てる版だ。

そういえば、去年にもプロフェッショナル3.0なんてことをいって、「できることを誰かにシェアして、それによって伸びた人と共に新しく何かを作り上げていく」みたいなことをいっていた気がする。

ちょいちょい原点に帰る。ちゃんと原点に帰れば忘れない。

今までの全てをプリキュアにぶつけよう。お楽しみに!





最後まで読んでくださってありがとうございました! サポートもらえると、テンション上がって更新ペースが上がるかもしれません。