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アントニオ猪木追悼2:エリザベス女王とアントニオ猪木。

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:国歌斉唱とプロレスの関係。プロレス演出考:派手vs威厳。アントニオ猪木の貢献はプロレスファンにプライドを持たせたこと。

英王女国葬で思い出したこと

不謹慎かもしれませんが、先日エリザベス女王の国葬で、イギリス国歌God saves the Queen (葬儀の日からKingに変更)が流れてきたとき、思わずプロレスのあの試合を思い出してしまいました。

それは1975年12月11日蔵前国技館で行われた、アントニオ猪木vsビル・ロビンソンの一戦です。

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試合前のセレモニーで両国国歌の斉唱があったのです。そこで流れてきたのが、ロビンソンの母国の英国国歌だったのです。

両雄がガウン姿でリングに上がり、試合前の緊張が張り詰める中、ロビンソンは胸に手を当てて、厳かで勇壮な音階メロディーに聞き入っています。

猪木も英国国歌と国旗に向かい、同様のリスペクトを示しています。

ミスマッチと思われるプロレスの試合前の国歌斉唱が、これほど似合う試合はありませんでした。

WWEでよく見られるような、スモークを炊いて花火を打ち上げるようなど派手な入場シーンが当たり前に見られるようになってきました。

しかし、この猪木vsロビンソン戦の国歌斉唱は、まさにその対局に位置するものでした。

大音響でド派手な演出は、いかにもWWE的です。

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国歌斉唱はまさに、それと正反対の概念です。

そこには、プロレスに対しての日米の価値観の差が見られます。

なぜ、観客は全員立ち上がったのか

猪木ロビンソン戦で国歌斉唱が始まる前、場内アナウンスが「両国国歌斉唱です。ご起立をお願いします」と告げたとき、座ったままの人は一人もいませんでした。

それはその日の観客全員が、この両雄の戦いが「国歌斉唱に値する」と直感的に信じたからです。

それは、観客たちのプロレスに対するプライドがそうさせたのです。

俺たちがこれから見届ける試合は、プロレスが肉体芸術の最高峰であることを証明する試合だ、というプライドです。

同日同時間に行われた、ライバル団体の世界最強タッグ観戦を蹴ってきたのだ、という内なる誇りです。

猪木vsロビンソンこそ、本当のプロレスが見られる、という過剰な思いです。

それらすでに両者がリングに上がった瞬間に、静かに爆発していました。

プロレスにおける強さとテクニックを磨き抜いた両者の風格、たたずまい、ガウン一枚下に息づく鍛え上げた身体、それらが相まって、国歌斉唱だけが試合前のセレモニーにふさわしいと思わせる空間になっていました。

あの日の観客は、国歌斉唱=右翼などの下世話な議論を飛び越えて、国歌斉唱にプロレスファンのプライドを託したのです。

国歌斉唱に値するプロレス

対ビル・ロビンソンは、果たして、アントニオ猪木史上、いや日本プロレス史上最高の試合になりました。

思い入れが強いプロレスファンの中でも、日本人vs外人で最高の試合は、となると「猪木vsロビンソン」で文句は出ません。

国歌斉唱が観客の、そして両雄のプロレスに対してのプライドをいやがおうにも高め、それがこの試合を現代プロレス最高の芸術に高めたのかもしれません。

僕もこの試合を生観戦しましたが、この試合の一挙手一動に、「これがプロレスだ」という両者のプライドを強く感じたものです。

それは取りも直さず、アントニオ猪木の「プロレスをショーだ八百長だという世間を見返してやる」の気概だったのです。

ひるがえっていま、国歌斉唱がふさわしいプロレスの試合など、あるのでしょうか。

アントニオ猪木の遺した教えとは、「誇りを持てるプロレスをやれ」ということなのです。

さて、今回でnote連続投稿500日になりました。

皆様がいつもご覧頂いているおかげです。

あくまで毎日拙くても記事を書くこと、これを目指しています。

今後ともご愛読いただけるよう、頑張ります。

                           野呂 一郎
              清和大学教授/新潟プロレスアドバイザー


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