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プロレス&マーケティング第42戦アントニオ猪木に学ぶ、マーケティングとは積み重ねのこと。

この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:猪木展は東京での成功を受けて大阪開催が決定。その威光は死してなお、輝きを放つ。ここにマーケティングの真髄がある。

マーケティングとは積み重ね

京王デパートで開催された、「燃える闘魂・アントニオ猪木展」は3万人の来場者が集まったという。

東京での成功を受けて同展が、11月15日から26日まで、阪神百貨店梅田本店で開催されることが決定した。

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「映画・アントニオ猪木を探して」も全国の映画館で封切られ、アントニオ猪木が蘇ったかのようだ。

おそらく、世間はまだ猪木をなきものにしないのだ。猪木のスピリットが、哲学が、闘魂が必要であり、常にその勇姿を心に留めておきたいのだ。

アントニオ猪木はマーケティングなどという小さな枠にはめることなどできないが、マーケティングはアントニオ猪木から学ぶことがある。

それは継続、積み重ね、ということだ。

60年途切れなかった存在

アントニオ猪木は1960年17歳でデビュー、現役生活は38年間だが、レスラーとして名前が出てから、亡くなるまでほぼ60年間、世の中に愛され続けた。

プロレスマスコミは、猪木が引退した後も、常に猪木を追いかけた。週刊誌も常に猪木の動静を報じ、スキャンダルを血眼で追った。

アントニオ猪木を商品として見れば、60年間広告、宣伝の最前線にいたわけで、それも一切のコストをかけてない。

マスコミがタダで扱うことを、マーケティングではパブリシティという。

いわば無料の広告だが、パブリシティこそ、マーケティングの理想なのだ。

スキャンダルや批判もあったが、それは今考えてみればすべてアントニオ猪木の魅力を増幅しただけに過ぎない。

猪木が死後も、生前に勝るとも劣らないカリスマ性を放散しているのは、ひとえに、60年間続く”マーケティング”のおかげなのだ。

アントニオ猪木、ブランディング論

昭和の新日本プロレス全盛時代、テレビで毎週金曜8時から1時間、猪木がゴールデンタイムを独占していた。

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ドル箱のコンテンツには、テレ朝は金を惜しまなかった。

世界の強豪を呼び、猪木にぶつけた。海外での猪木のタイトル戦には常に同行。

経営危機が伝えられれば、テレ朝の経営陣を新日本プロレスにぶっこんだ。

アリ戦では、何億円かを援助したとも言われる。

テレ朝はおよそ30年ほども、テレビという公器で、アントニオ猪木という製品を宣伝し続けたのである。

これが、プロレスラー・アントニオ猪木という唯一無二のブランドを創ったのだ。

ブランドとは、そのジャンルでの超絶イメージを持った存在のことである。

それは製品のインパクト✕露出✕年月で計算される。

一人の人物が、これだけのインパクトを持って世間に長く露出をしたのは、アントニオ猪木をおいていないだろう。

確かに時代が猪木に味方をした。

昭和のプロレスブーム、馬場猪木というプロレスを支えたカリスマ、テレビ全盛という時代背景。

「猪木の時代じゃない、闘魂は古い、猪木を追い抜く」などと言うレスラーたちがいる。

しかし、あなた達が深夜の誰も見ないような時間帯で、ほんの僅かな露出をしている時、アントニオ猪木は2000万人(視聴率20%と換算)の前で、毎週プロレスファンを、一般人を熱狂させていた事実を知らねばならない。

レスラーも、関係者も、なぜ焦らないのだ。

猪木は、絶え間なく積み重ねてきている。

このまま、世間を騒がせることもなく、プロレス内の狭い旧態依然の軍団対立なんてチンケなことをやって、飛んだりはねたりしているだけで、何もしないあなたがたが、いやだ。

猪木から何も学ばなかったのか。

アントニオ猪木の本質

猪木の本質は強さなんかじゃないんだ。

彼の本質は、マイノリティが屈辱を感じる感性、なんだ。

プロレスには、偏見、蔑視、軽蔑がつきまとってきた。

今もそうだ。

プロレスに命をかけ、愛し抜いているからこそ、猪木はそのプロレスの宿痾(しゅくあ。とりついてはなれない業のようなもの)と戦ってきたのだ。

猪木の闘魂の正体は、対戦相手と戦うことではなく、世間の偏見と戦うことだった。

アリと戦ったのではない、世間の偏見と戦ったのだ。https://qr1.jp/u4qzei

プロレスという世間に虐げられたマイノリティの怨嗟、これがアントニオ猪木の本質であり、最強のマーケティングを60年にわたって展開させた原動力なのだ。

現代のレスラーに、猪木のその感性は微塵も見られない。

だから、彼らのファイトは人の心を打たないのだ。別の言い方をすると、彼らのプロレスには社会的テーマがないのだ。

猪木の一挙手一投足に、世間を見返す、プロレスは真剣勝負だと認めさせる、という怨念がこもっていた。

だからファンは猪木に共感し、60年もの間マスコミの寵児であり続けた。

マーケティングの極意は続けること、そしてそれを可能にするのは怨念、なのだ。

なぜ、今のプロレスラーは、プロレス内だけにしか目が向かない、コップの中の嵐でしかないことになぜ気が付かない。

まだ、猪木のプロレスを世間に認めさせる、という戦いは終わってないんだ。

死して後なお、渦巻き炎を上げる怨念。

猪木の生霊は、神になった。

しかし、お参りするのには形式はいらない、あなたの心の中に住み着いた、アントニオ猪木を思うだけでいいのだ。

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最強のマーケターは、こころに猪木を住まわせている、あなた、だ。

野呂 一郎
清和大学教授

自著の宣伝はしない主義ですが、あえての、です。


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